校長?橋昭仁です。
天候にも恵まれ、卒業式が無事終わりました。呼名される卒業生を一人一人壇上から見ることができ、校長という立場の幸せを感じました。
卒業生に幸多かれと祈るばかりです。
この通りには読みませんでしたが、今日の式辞の要旨を掲載します。
????????????????????????
式辞
校長の?橋昭仁です。本日は、山端PTA会長、朝倉後援会長をはじめ、多くの卒業生のご家族の皆様にご出席いただき、心から感謝申し上げます。
皆様とともに、第45回卒業生136名の門出を祝福できますことは、本校にとって大きな喜びであり、学校を代表して心からお礼申し上げます。
卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。そして、「三年間通ってくれてありがとう」
皆さんは中学校の最後の1か月からこの3年間の高校生活まで、常に新型コロナウイルス感染症の影の下に過ごしました。皆さんが抱いた大きな不満と不安を、私たち大人はどれほど正しく理解してあげられたかと、自問する日々でした。
大人たちが感染症に翻弄され右往左往する様を散々見て、大人のいい加減さも感じさせてしまったかも知れません。
皆さんはそうした大人の姿を冷静に見ながら、自分たちができることを仲間と共に考え、支えあってきたものと思います。手に入れた情報を整理し、現状を少しでも良くしようとして行動を起こした姿は、頼もしさを感じさせるものでした。皆さんは、ここにいる多くの大人と異なる高校生活を体験をしたのです。この経験は、皆さんがこの先新しいことを生み出す力になる可能性を秘めている、私はそう思います。どうか自信を持って進んでください。
皆さんに、私から最後のメッセージを贈ります。
それは「生涯を通して学び続けてほしい」と言うことです。
何事も鵜呑みにせず、それは本当かと疑問を持ち、調べ、考えて欲しいという願いです。
なぜなら、そのことが巡り巡ってより良い社会、より良い未来に繋がると信じるからです。
学ぶとは、自分が知らなかったことを知る営みです。
自分にとって新しいことを積極的に取り入れることです。
苦労して学んだ知識が思い出せなくなることは誰もが経験していますが、時間が経つと身に付けた考え方と繋がって確かに残っています。それを、日本を代表する数学者であった広中平祐さんは、「学問とは何か」という著書で「知恵のようなもの」と言いました。
人は課題に直面したとき、考えて自分の行動を選択します。そして、その選択に責任を持たねばなりません。
目の前の商品を選ぶといった身近なことから、気候変動や、国や民族の対立による戦争、考え方の違いによる人々の分断など人類全体に関わる問題に対する自分の行動まで、日々選択です。
深い知恵に基づいて選んだ行動は、より良い未来につながると思うのです。
皆さんが進むそれぞれの道、立場で新しいこと、未知のことに関心を持ち、疑問を抱き、学び続け、知恵を深めてください。
私も皆さんに負けずに学び続けるつもりです。
ただ、残念ながら、この先、順風満帆な人生などほぼありません。どんな人にも、成功も失敗もあります。挫折に涙し、絶望に嘆く日もあります。
でも、その苦しみの中からも大切なものを学ぶことがあります。それも受け止め、自分らしく生きてください。人生では全く同じことは二度と起こりません。毎日がいつも特別な日です。
一日一日を丁寧に生きていかれますよう願っています。
今日は最初に3年間通ってくれてありがとうと言いました。
これは一人の大人としての皆さんへの感謝です。
皆さんは私たち大人のあとを繋いでくれる希望です。
今日は、一緒により良い未来を作る仲間として、皆さんを迎えることができました。だから嬉しく一層嬉しく思うのです。
ご家族の皆様に申し上げます。本日は誠におめでとうございます。ここまでの子育てのご苦労に心から敬意を表します。そして、本校の教育活動にご理解とご協力を賜り誠にありがとうございました。
3年前、「15歳の子ども」でお預かりしたお子様は、大人になりたての若者になりました。
私たち自身が社会に出たときに、先輩の大人から受けた支援を思い出しながら、この若者たちを応援してまいりましょう。
私たち教職員は、未来ある頼もしい若者と同じ時間を過ごしたことに感謝し、後に続く高校生に向き合ってまいります。
この先もご支援くださいますようお願い申し上げます。
卒業生の皆さん、これでお別れです。
皆さんの人生が、皆さん自身にとって輝かしいものとなることを願って、式辞といたします。
令和五年三月一日
北海道苫小牧南高等学校長 ? 橋 昭 仁