令和5年度卒業証書授与式

ただいま卒業証書を授与した315人の熊高生の皆さん、卒業おめでとうございます。また、御列席の保護者の皆様、お子様が立派に成長し、本校を卒業されますことを心よりお喜び申し上げます。重ねて、卒業生のために御臨席を賜りました、大竹PTA会長、岸澤後援会長、染谷同窓会長に、厚く御礼申し上げます。

今年度、創立128年を迎えた本校の卒業生は3万6000人を超え、日本、そして世界の多方面にわたって活躍しています。今日、皆さんはこうした先輩方の仲間入りをします。伝統ある高校、熊谷高校で学んだという誇りを持ち、それぞれの進む道で頑張って欲しいと思います。

しかし、これから皆さんが進む場所は、間違いなく、予測不可能な社会です。何が起こるかわかりません。だからこそ、大切なことに貴重な時間を使う人生を送って欲しいと願っています。 

この話を聞いてください。

ある大学1の授業で、大きな壺を持ってきた教授が、岩を一つ一つ、壺がいっぱいになるまで詰めて、学生に問いました。この壺は満杯か?

学生は、はい、と答えました。すると教授は、砂利を取り出し、壺の中に流し込み、岩と岩の間を埋めて、もう一度問いました。この壺は満杯か?

学生が、わかりませんと答えると、今度は砂を壺に流し込み、もう一度問いました。この壺は満杯か?

学生は声を揃えて、違いますと答えました。

教授は、続けて、私が何を言いたいのかわかるかと問いました。

1人の学生が、大きな岩でいっぱいに詰まったように見える壺であっても、小さな岩であれば、さらに詰め込むことができます。つまり、どんなに忙しくても、さらに予定を入れることができるということです。

この答えに、教授は、違うと答え、次のように語り始めました。

大きな岩を先に入れない限り、それが入る余地は、その後、二度とない。君たちにとって、大きな岩とは何か?

それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家族であったり、夢であったりと、君たちにとって、一番大切なものだ。だからこそ、それを最初に壺に入れなさい。さもないと、君たちは、一番大切なものを永遠に失うことになる。

壺の容積は、人生の持ち時間です。人間、誰もが限られた時間しか持っていません。自分にとって、さほど大切でないもので時間を埋めていくと、大切なものに割くべき時間を失ってしまいます。

だからこそ、卒業生の皆さんには、自分にとって何が大切なのかを見つけ、心にしっかり刻んで欲しい、そして、貴重な人生を、その大切なことに使って欲しいと願っています。ところが、世の中には、スマホに代表される時間つぶしの楽しいアイテムがたくさんあり、それらを断ち切る強い意志が必要です。

しかし、心配はありません。何故なら、君たちには、伝統ある熊高の矜持が、しっかりと心に刻み込まれているからです。とてつもない大きな財産です。恐れるものは何もありません。

我らが熊高で学んだという自覚と誇り、これまでお世話になった全ての方への感謝の気持ち、そして、何よりも熊高の矜持を忘れずに、次のステージに大きく羽ばたいてください。

熊谷高校の卒業生一人一人が、これからの日本、そして世界の未来を切り開く大切な人材として活躍することを心から期待し、式辞とします。

高76回生の熊高生諸君、卒業、おめでとう!!

令和6年3月14日 埼玉県立熊谷高等学校長 加藤 哲也

令和5年度3学期始業式

まずは、年始に発生した能登半島地震で被災された皆さまの安全、そして、被災地の一日も早い復興を心からお祈り申し上げたいと思います。

熊高生の皆さんには、被災地で何かをということはできないかもしれませんが、終業式で話をした、自分ができる、あるいは、自分が思う親切を、身近な人にしてあげて欲しいと思います。何故なら、こうした行動は、巡り巡って、間違いなく、被災地の皆さんの心に伝わると信じているからです。 

それでは、令和6年の始まりにあたって、課題解決能力の話をしたいと思います。

例えば、何かの課題を解決しようとしたとき、その課題と類似した状況を経験していれば、経験知から対処方法がわかることがあります。これは、いくつかの問題を組み合わせて作成されることが多い、数学の入試問題に似ていると思います。

つまり、過去にどれだけ経験(問題を解いたか)しているかが、重要になってくるということで、おそらくこれまでの社会で重宝されてきた手法です。

しかし、それだけでは、前例のない課題、経験したことのない課題をスムーズに解決することができません。もしかしたら、最先端のAIは、その解答を導きだしてくれるのかもしれませんが、それは、AIの回答であって、私たち人間の心が導き出した回答ではありません。

わからないことはすぐにスマホが教えてくれる時代、チャットGPTに代表されるAIが世界を席巻するであろうこれからの時代、ますます、人間が、頭の中で課題解決のための思考をしなくなっていくのかもしれません。それではいけません。私たちは、自分の頭で考え、行動しなければ、本当に、AIによって滅ぼされてしまいます。

  しかし、課題解決能力、特に、前例のない課題を解決する能力は、技術や語学のように、勉強すれば身に付くものではありません。課題解決力について解説されたビジネス書は数多く出版されていますが、それを読むだけでは、知識や考え方を知るにすぎません。

課題解決能力を向上させるには、常に探究心を持って日常生活を送ること、そして、トライ・アンド・エラーを繰り返していくしかありません。

  そういう意味において、熊高生の皆さんには、何か疑問に思ったら、決してそのままにせず、直ぐに調べて欲しい(その際、ネットの情報を鵜?みにしないこと)、あるいは、友だちや先生に聞いて欲しい(その際、質問や意見をぶつけあうこと)と思います。そして、何よりも、失敗を恐れず、何ごとにも挑戦する姿勢を持ち続けて欲しいと願っています。

探究心こそ、未知の課題の解決への糸口、そして、失敗こそ、学びの原点、熊高生の皆さんの更なる頑張りを期待しています。 

令和6年も、走り続けてください。

また、3年生の皆さん、いよいよ受験本番です。これまでの努力の成果を存分に発揮し、希望校への合格1を勝ち取ってください。応援しています。

令和5年度2学期終業式

今日は、小さな親切運動の話をします。

まずは、この話を聞いてください。

「小さな親切を、勇気をもってやっていただきたい。そしてそれが、やがては日本の社会の隅々までを埋めつくすであろう、親切というなだれの芽としていただきたい。大学2で学んだ様々な知識や教養を、ただ頭の中に百科事典のように蓄えておくだけでは立派な社会人とはなれません。その教養を社会人としての生活の中に生かしていくには、やろうとすれば誰でもできる小さな親切を絶えず行っていくことが大切です。小さな親切は、バラバラな知識を融合させる粘着剤の役目を果たすのです。」

この話は、今から約60年前、昭和38年3月、東大の卒業式での、茅総長の式辞の言葉で、その後の、小さな親切運動のきっかけとなったものです。

しかし、その時はまだ、東大の学生は、勉強はスペシャルにできるけど、人としての優しさには少し難があるので、総長は、敢えて、こういう話をしたんだろうという論調が多数を占めるなど、小さな親切運動の広がりは見られませんでした。

ところが、その後、地方から東京に修学旅行に来て、迷子になった高校生を助けてあげた東大農学部の学生が、「総長が小さな親切を実践するようにおっしゃったから。」と言ったことがマスコミで報道されたのをきっかけに、総長の想い、すなわち、日本の未来を明るくするためには、周りの人たちへの心配りが大切であるということが、ようやく社会に浸透し、今につながっています。

また、コロナ禍で、多くの人が心にボディブローを受けている今、小さな親切運動は、心のレジリエンス(耐久性・回復力)を高めるための貴重なプラットフォームとしても見直されています。

そういう意味において、熊高生の皆さんには、自分ができる、あるいは、自分が思う親切を、まずは、身近な人にしてあげて欲しい、次に、その輪を、少しずつ広げていって欲しいと願っています。

そして、やがていつの日か、熊高生が広げた親切の輪が大きく広がり、より、明るく暮らしやすい日本になることを期待して、話を終わります。

埼玉県立深谷高等学校創立50周年記念式典祝辞

埼玉県立深谷高等学校が、創立50周年を迎えられますこと、埼玉県高等学校長協会を代表して心からお祝い申し上げます。本日は、深高生の皆さんに期待することをお話したいと思います。

まずはこの話を聞いてください。

昔、一人の木こりが材木屋に仕事をもらいに行きました。申し分のない条件だったので、仕事を引き受けることにしました。最初の日、木こりは親方から斧を一本手渡され、やる気満々で森に行き、1日で18本もの木を切り倒しました。次の日、朝早くから森に行きましたが、15本が精一杯でした。疲れたかなと思った木こりは早く寝て、次の日に備えましたが、その日は、18本どころか、その半分も切り倒せませんでした。次の日は7本、そのまた次の日は5本と、努力も虚しく減っていきました。

木こりが親方に報告に行ったとき、親方から、最後に斧を研いだのはいつかと問われた木こりは、こう答えました。研いでいる時間なんてありません。木を切るのに精一杯でしたから。

深高生の皆さんは、どう感じましたか?

どんなに頑丈で鋭い斧であっても、刃先は少しずつ劣化していき、刃が劣化すると、作業効率は低下します。木こりは、忙しさにかまけて、斧を研ぐという大事な仕事を、なおざりにしたという話です。

では、私たちにとって、斧を研ぐとは、何を意味するのでしょう。

一つは、体の調子を整えることです。

体の調子が悪ければ、何ごとにも集中することはできません。今は感じていないと思いますが、身体のあらゆる機能は、20代をピークに衰えていきます。深高生の皆さんには、卒業後も、運動を習慣化することで、衰えの速度を緩めていって欲しいと思います。

もう一つは、頭脳を鍛えることです。

頭脳は銀の食器と同じで、磨くことを怠ると曇ってしまいます。体調を整えるための日常的な運動は誰もが知っていますが、知力を高い水準に保つために学び続けることが大事であるということは、あまり理解されていません。

深高生の皆さんには、生涯、どんなに仕事が忙しくても、刃を研ぐ習慣、すなわち、学びつづける習慣を持ち続けて欲しいと思います。コロナ禍が、ようやく落ち着いてきましたが、この3年半、マスクやアルコール消毒液が手に入らないなど、かつて、想定すらしていなかったことが起こりました。そして今後も、こうした不測の事態が起こる可能性は否定できません。

そんな時代を過ごす皆さんが、最も大切にすべきは、間違いなく体力と知力です。しかし、木こりがそうだったように、目の前のことに一杯になっているときは、中々、気づくことができません。だからこそ深高生の皆さんには、少し行き詰ったかな、そう思った時は、ぼんやりとした時間を作って欲しいと思います。何故なら、ぼんやりとした時間は、頭をリフレッシュさせ、大切なことを思い出させてくれるからです。

そして、深高生としての自覚と誇りを持ち、先輩たちが築いてきた50年の歴史と伝統を引き継ぎ、深高ならではの校風を守り続けてくれることを期待しています。

結びに、本校の末永い発展を御祈念するとともに、関係の皆様の本校に対する変わらぬ御支援・御協力をお願い申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。

 令和5年10月20日

埼玉県高等学校長協会北部地区会長

埼玉県立熊谷高等学校長 加藤 哲也

着任の御挨拶

 

熊谷高等学校は、1895年(明治28年)に創立した県下有数の伝統校です。

保護者の皆様、様々な分野で活躍する卒業生の皆様の御支援をいただきながら、教職員一丸となって、世界の幅広い分野・領域で活躍する人材を育成してまいります。

御支援、御協力を賜りますようお願い申し上げます。

第40代校長 加藤 哲也

アクセスカウンター
0 1 2 4 1 4