旧ポッポ市民ですがこれずっと気になってたんですよね
鳩高や旧戸田高はアレで川口も全体的にイマイチなのに、なぜ蕨高だけ進学校なんだろうって
この辺に良い学校ないから作ろうってことで初めから今のレベルだったのか、それとも最初は普通だったけど改革されて今のレベルになったのか
外
国語科があるのと関係あったりするのかな
お答えしよう
まず、県南地区には文京都市浦和があり交通・商業の中心大宮とともに浦高 一女 浦和西(旧二女)大宮が既に存在していた
そこへ戦後のベビーブーム対応で1957年設立された町立蕨高校である なお、この翌年58年には上尾高校が2町1村共立高として設置されている
つまり最初から進学を前提にした学校ではなく、需要に対応した学校であったと思われる
設立時は不明だが15年後1972年頃は上尾とほぼ同じくらいで
浦和 一女>浦和西>>大宮で次グループ
蕨>上尾>川口>大宮北>大宮西のような感じだったそうな
偏差値は55くらいだったと聞いた
鳩ヶ谷、戸田、川口は県内では荒れた地域であったため人気が出なかったせいだろう
地理的にも設立の経緯からもニュートラルなところが幸いしてるのかも
創立時はわからないけれど
自分が受験生だった90年ごろは蕨の
偏差値63ぐらいだった記憶がある
25年前を思い出しながら以下余談
川口は市立川口と川北が60前後で(川北はもうちょっと上だったかも?)
残りの川口市内の公立高校は50あればどこでも入れるぐらいだった
戸田だと南稜は45〜48、戸田高は40〜42程度
戸田高と和光は名前が書ければ合格と言われてた(笑)
浦和は浦高一女(70↑)>西高(68)>市立浦和(63〜65)>南高(60〜63)>北高(59〜62)>>>常盤(当時女子高、55ぐらい?)>浦東(50前後)>浦商浦工(43〜48)