『 進路3について 〜 遠い思い出 〜 』
千葉県立柏高等学校長 鈴木 実
紫陽花の咲くころ、今日は雨、午後は休講、道玄坂を上り細い路地を右に折れると左手にライオンがある。静かで人もまばら、暇つぶしにはちょうど良い。中高生はいない。ちょっと大人気分で店に入り込む。静かな店員にレスカを注文し前から3番目、横から4番目の厚手の椅子に腰かけて体勢を整える。吹き抜けの2階を見上げると、3mぐらいありそうな見たことがないスピーカーから天空の音楽が降りてくる。誰かがリクエストしたツェルニー、スカラッティ、そしてベートーベンのテンペストへと続いた。60粒の珈琲と赤ワインを好んだといわれるベートーベンは、この頃には難聴も進行し、苦難と失望のなか数少ないニ短調のソナタを作曲した。お馴染みの第1楽章、退屈で重々しい第2楽章、目が覚める第3楽章へと進んでいく。思いどおりにならないともがき苦しんでいても、ついにはどこからか射し込む光を供するのは、救われて幸福なのか、それとも本当はもっと悲しいのか、楽聖ベートベンの仕業である。
フランス革命後、音楽一家に生まれたツェルニー、大作曲家の子として生まれたスカラッティも時代の要請なのか気まぐれなのか、その時々で考え悩み進んだ路なのであろう。自らが決めたつもりでも、環境や状況に飲み込まれながらでも、生き抜いたる強い意志を纏った進路4選択は能動的で輝かしく思える。それは、命の躍動、生き様を選択するが如し。これまで小学校、中学校、高校を卒業し、大学の教養課程を終え、今は専門課程の学生実験が楽しい。来年は遺伝子組み換え技術とバイテクブームの二重らせん構造の就職活動、メーカーか販売かサービスか金融か、それとも大学院に進学するか、ペースを上げて考えなければならない。
長髪を束ねボートハウスの白いトレーナーに紺色のデッキシューズを履いた細身のアルバイト店員は、青学の学生っぽい。都会慣れの感があるから、同じ3回生かな、卒業したらどうするのだろう、自分を映してみたりして過ごす。無駄な時間かもしれないが、どうせ暇なんだから止められない、止まらない。これぞモラトリアムかと思いつつ、進みたい、進むべき、より確かな道を探しもするが、些少なサジェスションも見つけられない。成るようにしかならないと時代の潮流に身を任せプランクトン生活に馴染むか、逆らってでもネクトンにとどまるか、音楽にのせて畝々と考える。
静電気でレコード盤に吸着した埃を吹きはらい、世界初の水晶発振子を備えたデンオンのDDターンテーブルにD103の針を下す、その無駄のない自然で安定した手際と真空管アンプのほんのり橙に光るフィラメントに、なんとも安心した気分となって、いましばらく居座る。増幅回路前段のMT管は120Vで、終段の出力管は450Vでカソードから真空中に電子を飛ばす。グリッドをすり抜けプレートに集まった電子はトランス内を流れインピーダンスを小さくしてコーン紙を揺らす。物理の世界もロマンチックな音楽のエネルギ―を創造しているものだ。
不思議なことがある。日が傾き、店内が薄暗くなると何故か低音がよく聴こえてくる。右脳は普通に受け止めるが、左脳は理解できない。早く解決しなければならない問題がある。いつしか解決しなければならない問題もある。見えない未来の自分を創ることを考える。挑戦が成長、創作と開拓、明日のために今は頑張ろう。
雨が上がったころ店を出ると進路5選択、進路6実現を終えたはずの大人たちがそれぞれの歩幅で道玄坂を
下っていく。自分も、遠くにかかる虹の向こうを横目に、やはり駅に向かう。
明日は晴れるかなと (令和4年5月30日)