課題や小テストは増えたかもしれませんが、基本的には今まで通りの放任指導を貫いていると思います。
こどもが今年からお世話になっています。
皆さん 放任だほったらかしだ とおっしゃいますが そうですか?十分面倒見てくれてると思いますが。
曜日を決めて小テストがあるようですし 毎回不合格者には追試もあるようです。
国語では毎月新しい課題本があって読後かんたんなレポート提出もあります。
英語も原文の小説を読むことが課題で出ます。
数学の課題の多さは有名のようですし。驚いたことに(放任と聞いていたので)夏休みには夏季講習もやってくれました。
十分じゃないですか?と言うか どれくらいやってくれたら「面倒見がいい」と言われるのかよくわからないのですが。
テスト勉強しないのも 課題本を読まないのも 夏季講習に申し込まないのも 本人の問題です。わからないところをそのままにして勉強についていけなくなったとしても それは学校のせいではないですよね。もう高校生なんですから 自分で動かなくちゃ。それはどこの学校でも同じだと思いますよ。
面倒見のいい進学校では放課後残って教える。
置いていかれないよう全員に予習させる。
授業中、先生が頻繁にあてて全員参加型にするので
寝たりぼーっとすることが出来ない。
いわゆる底辺の子も持ち上げてくれます。
課題の量がハンパない。
進学校は燃えつき症候群多いですから。
人間の大半は放っておくと怠けます。
へー。
今時の高校って大変なんですね。
わからないところを放課後聞きに行ったり
置いていかれないように予習したり
授業をしっかり聞く
なんてことは 自分のやるべきことであって
学校のせいにするのは言い訳だと思いますけど。
やる気がある子もない子も等しく掬いあげようとするのが「面倒見のいい学校」で
やる気がある子が伸びるように指導すると「面倒見の悪い学校」と言われるのだとしたら
私は後者に子どもを任せたいですね。
社会に出るための良い勉強にもなりますから。
私も後者ですね。
面倒見が悪いと覚悟していましたが、とんでもない!
地元ではなく静高を選んでよかったです。
旧帝大卒の担任・副担の先生方の話も素直に聞ける
ようです。
うちの子の場合は自分でやりたいタイプなので
面倒見が良いのは逆に困ります。今が丁度良いです。
「自称進学校」という言い方を
ときどき聞きますけど
学校のネームバリューに守られている
「なんちゃって静高生」にならないよう
生徒も変わりましょう。
静高は静岡県の顔とも言うべき高校ですよ。自由な校風は頭の良い学校の特権。自称進学校なんて静高に失礼だな。
自分の子が在校中だからこそ思うのですが、「特権」とかやめませんか?別に普通の高校ですよ。特権なんてあるわけないじゃないですか。。
静高にあるのは「優秀な子たちだからうるさく言わなくてもちゃんとやるだろう。」という周りの期待と、それに応える責任です。その責任が果たせていないのなら 皆で言ってやりましょうよ。
頭が良ければいいってもんじゃない! って。
それが大人の責任だと思うのですが。
静高は静岡だけでのネームバリューですよね。
私は静岡に来るまで静高なんて知りませんでした。
それに最終学歴が静高でもないのに
静岡の人は静高にこだわりがあって驚きました。
昔、名門、今、二流になってる高校も多いので
静高には本当の意味での名門をつらぬいて欲しいです。
静高は静岡県だけでのネームバリュー?それはない。
他県でもある程度の地位の方なら「静高」で通じます。何せ前身が旧制中学ですし。日本全国にいち早く文武両道の精神を広めた名門中の名門です。
高校野球の活躍も相当な広告になっています。
公立の進学校で甲子園に出て、全国に紹介されます。
他の生徒にしても運動能力に優れた生徒が多いことに驚きます。
体力測定も文化部の生徒でも良いですし。
文武両道を誇れるすばらしい学校だと思います。
文武両道?文武分業ですよね?
↑おっしゃる通り!
トップ校として文武両道を掲げてるなら、県内全域から学力不問の見境のない裁量枠入学を自重してほしい。
さすがに教育委員会も再来年からは見直すみたいだけど・・・
文武分業とか言うのやめてくれません?野球部から旧帝大が出る事もありますし、彼ら厳しい練習の中勉強もかなり頑張ってるんですよ?
正直、静高野球部はそこらの凡校の高校生より遥かに勉強も野球も頑張ってると思いますが。
正確には野球部でも勉強をやっている子はいる、ですよ。
裁量枠でない子たちも入部してますし。
やってない子は見事に勉強やってません。
授業中はいつも寝てます。
別に分業だろうが両道だろうがどちらでもいいじゃないですか。
確かに野球裁量枠は武での一芸入学だから、はっきり言って国立大進学は皆無に等しいです。
一般入試入学して全国大会出場&国立大進学は少数ですがいますよ。
ただそれは静高だからではなく、個人の能力に因るところが大きいと思う。