それでも合格できそうなら別にいいんじゃないですか。受験に向けて必死に努力しなきゃいけないルールなんてありませんし。
ここからはちょっと脅しておきます。
もし合格が危ないのにそんなことを言っているのなら、基町に入ってもろくなことにならないのでやめた方がいいんじゃないですかね。基町の校訓は自主自律です。それもあってかテストや
模試の点数が低い、もしくは提出物が適当でもそこまで怒られたりしません。受験という自分の人生を左右し得ることでさえやらないといけないことをやれないのなら、自分を律して高校生活を送るのは無理ですよ。そんでもって、やる気が出ないことを言い訳にだらだら高校生活を送った末に待っているのは、周りに流されて大学には行きたいけどいわゆる難関・準難関には到底及ばないという状況です。そういう人は奇跡が起きない限り志望大学には合格しないので、大体は受験する大学を妥協するか浪人を選択するのでしょう。行きたい大学を諦めて妥協して大学を選んだらあなた方はきっと「行きたかった大学じゃないからやる気が起きない」とかいって講義もろくに行かなくなります。なら浪人をして難関大を目指すとどうなるか。きっと今までやる気が出ないことを理由に逃げ続けているので本気で取り組むことができず、浪人の末に大したことない大学へ進むことになります。それで講義には行かなくなるんです。中身のない大学生活を送った上に誰でも入れるような大学へ進むと、ほぼ確実に自分が就きたい仕事、もしくは待遇がいい企業へは就職できません。そんな人間腐るほどいるので、待遇が良く仕事内容も魅力的な人気企業がわざわざ雇おうとは思わないでしょう。それで働きたいとは思えない企業に就職することになり、また働く気が起きないとか言ってダラダラ働いて出世できず、パッとしないまま生涯を終えるまでダラダラし続けるのです。
やらないといけない状況でやる気が起きないからできないというのは子供の言い訳で、いつまでも誰かがお尻を叩いてくれてやらないといけない状況に追い込んでくれるわけじゃありません。普通そんな人は見捨てられるんですよ。
周りの人に見捨てられたくない、将来の夢を実現したい、将来の夢はないけど裕福な暮らしを送りたい、そんな思いがあるのなら、面倒なのは我慢して机に向かいましょうよ。今ならまだ間に合うんですから。頑張るべき時に頑張れる人間になりましょうよ。
きっと辛いですよ。大人になってろくな人生を歩めてないとなった時に責めることができる相手が自分だけというのは。