そんな意地悪言わないで…
当時は合同選抜です。
「
偏差値」という点では、長崎五校はみんな同じです。
自分で選べませんでした。「長崎五校」とか、西陵ができてからは「諫早二校」という受け方でした。
友達みんなが東なのに自分だけ南で号泣とか、西を熱望していた友達が北でどこでもいいよと言っていた自分が西、というようなことがたくさんありましたし、住んでいる所により、きょうだいで北と北陽台というようなこともありました。
西はどこからでも通いやすいので比較的広範囲に生徒がいましたが、住んでいるところなど、いろいろなことで、「たまたま」西になったということです。
ただ西は自由で楽しい学校のイメージでした。
当時は南と北陽台が勉強も規則も厳しい学校でした。時代は変わりましたね…
なんだか、みなさん、質問の答えになって、ないような…。
お父様の時代より、今の西高は、全然
偏差値がちがいますってことです。
総合選抜廃止により、生徒の質が、かわりました…から。
答えになってないことはないでしょう。
当時は
偏差値は五校が同じでした、ということで、
偏差値にあまり意味がありませんでした、ということで。
ちなみに全国
模試とかでは五校の
偏差値40台でした。
私立の滑り止めも受けない子が多かったし、平和な時代でしたね〜
私は別にあれでよかったですよ。
ただ昔の「西出身」という人がなぜか「頭よかったとね〜」と言われているのは納得できないけど(笑)
とにかく解ってない方が多すぎる。暗黒の総合選抜、合同選抜の時代が去って、まともな制度になったのです。まず理系クラスを創設し、国立中学などの優秀な生徒たちを募り、やる気のある生徒集団の希望に沿って教育方針を決め、チャクチャクと実績を固めたのです。この際、長崎高校、陽輝高校、緑岩高校などに名称を変更すべきです。全く異なる学校が創設されたことを宣言すべきです。さもなくば、質問者のような的外れの質問が繰り返されるのでしょう。