良さそうな先生ですよ♪
再来年度の学校の雰囲気と結果の出具合でしょうね。
良くも悪くも田川校長先生のインパクトが強かったため、後任は今まで以上の結果を求められるはずです。
生徒にとってはとてもいいようです。
田川前校長は外からはいろいろ言われていますが、生徒たちには好かれていたと思います。
生徒たちも新しい校長先生とも早く馴染めるといいですね。
今年は西高だけでなく、東、北、北陽台、諌早など校長先生がかわった高校が多いですね。
田川校長は、生徒間でも賛否両論でしたよ。
否の方が多かったと思います。
卒業生と今の生徒での感じ方の違いもあるかもしれませんね。
ただ自分の学生時代を思い返すと、校長先生なんてあんまり記憶にありません。
そのあたりを考えると前の方が書かれているように、前校長先生は「良くも悪くもインパクトが強い」先生もだったんだなあと感じます。
実はJR通勤だったりします笑笑
校長先生が変わったら、学校の雰囲気も変わりましたよ。いい感じです。影響が大きいんですね。
伝統の自律、自由の西高に早く戻ってほしい。
T元校長は、賛否両論あるだろうが、学校伝統文化の破壊者だった。
長崎5校総合選抜から単独選抜になり序列ができ、西高は幸いにもトップ高になった。立地条件や北や南と比べ歴史があったことや一応旧制中学の系譜につながった高校であったこともある。でもトップ高に位置に固まるまでは、西の自由、自律の校風に優秀な中学生がひかれたことも大きかったですよ。
九州でも他県のトップクラスの名門公立校は自由な校風が多いです。
西高の自由な校風が中学生に選ばれたことは大学の先生の論文までなったます。
↓参考
http://jsasa.org/paper/37_7.pdf
昨日、保護者会がありましたが、全体的に雰囲気が変わりました。軍隊っぽさが減ったというか・・・。最近、少し病的な雰囲気があったので、これで、少しでも元のおおらかな西高に戻ってくれたら、と思います。東大に入る子は、おおらかな中でも十分に力を発揮して合格すると思います。難関校を受験しない子たちの力も、おおらかな方が自主的に底上げされるのではないでしょうか。
保護者会の欠席者が増えましたね(笑)
以前の西高はおおらかなのびのびとした高校で、大好きでした。
ただ他県の自由と言われるトップ高に比べ、勉強という面では全く違いました。合同選抜時代が長く、中学時代に勉強をしないまま高校に入るので、目標にむけて一生懸命頑張るという全体の雰囲気は足りなかったと思いますよ。だから上の方が書かれているような「自主的に底上げ」は難しかった。
他県トップ高は自由な学校が多いですが、自由の中にも勉強も頑張る雰囲気はありますし、とにかく中学で勉強してきているから、学校がとやかく言わなくてもきちんとやれます。
西に「みんなで勉強を頑張る」という雰囲気が生まれたことはよかったと思いますよ。
ただやはり昔の西の良さが失われてしまったことも事実。
現校長と今年度の二三年生が勉強も頑張りながら、自律の校風をどう取り戻していくか、大切な一年になると思います。
↑の卒業生さんが紹介してくださった論文面白かったです。
西高の「自律」がいかに歴史のあるすばらしい校訓なのか実感しました。やっぱり西高は西高らしくあってほしいです。
そして前校長先生の考え方が、M高的考え方であったことも納得しました。
こんな論文があったんですね。
紹介していただきありがとうございました。
前校長は、とてもすばらしい教育者だと思いますよ!
改革者は、批判されるのが宿命。私もすべて賛成できたわけではないですけど、それでも貫くのがリーダーシップ。
そして、何より生徒第一に考える、愛情のある偉大な先生ですよ。
それでも批判があるならちゃんと言わないと。こんなサイトで愚痴ったってしゃーない。笑
>こんなサイトで愚痴ったってしゃーない
単なるOBのつぶやきですし、学校経営の責任者は校長なのです。
ただ、T校長たった一人の登場で伝統が変わるところが、総合選抜が長かった長崎県の高校文化の底の浅さでしょうね。私も西高にたまたま振り分けられたクチですから。
九州他県の自由な校風の公立トップ名門校はそれこそ明治時代からずっと頂点にいて、地元政財界、教育界、官界の主軸にOBがたくさんいて同窓会も力持ってますから。
ただ、私たち年代は西高出て良かったいう人が多いし、逆にそれこそ同世代にM高で過ごした人の中には今でも、徹底した管理的、軍隊的教育を受けたことが原因で、母校に思い入れがない人が何人もいるんですよね。。。
でも昔の西は自由と怠惰をはき違えていたようにも思いますよ。
それこそ戦前の中学をそのまま高校にしておらず、総合選抜が長く、「伝統」がないからこその浅さですよね。
他県のトップ高は自由だけど、勉強もします。ただ強制はされないから落ちこぼれる生徒も多いですけどね。
福岡の筑紫丘高校は修猷館と並ぶ結果を出している高校で修猷館の隣の学区のトップ高です。わたし達の時代には「修猷館に追いつけ追い越せ」と非常に厳しかったです。今の西どころじゃないくらい。
まあ福岡は学区制で越境が難しいので、生徒のトップ層のレベルは同じようなものでしょうから、結果もでました。
親類の子が大分の上野丘に行っていますが、よく勉強していますよ。学校の
英語の授業もハイレベルだし、厳しいみたいです。
よく他県のトップ高はという話がでますが、他県の高校の「自由」と西の自由は同じ部分似ている面もあるけど、ちょっとちがうなあと思います。
かつての西の良さと今の西を融合できればいいですけどね。
私達の時代って・・・ いったいいつまで遡ればいいんだか。それに、長崎西の掲示板に、福岡の話は関係ない。 おまけに、大分って、その子が勉強頑張ってるからって、学校全体の評価に変えられても、長崎西の関係者の人は、迷惑なだけなんじゃないですか?
確かに。
ここでよその、しかも昔のことを書かれてもねぇ。
T校長で大きく変わったのは確かですが、もともとは総合選抜が終わったからそういうことができたのでしょうし、その後徐々に実績を伸ばしてきてもいます。
急に変わったわけではないでしょう。
何より、意識が高い生徒、父兄が集まってきたことが西高を変えた要因でもあるし、言われているような他県の高校においてはそれが過去から継続されていたということですよね。
それだって今後どうなるかわからない。
このサイトでもたまに言われていますけど、今の西高は県内の高校以上に、県外の同等以上の高校のことを見ています。
これは、学校としてだけではなく生徒も同じように見ています。
確かに受験にしても学校生活にしても、生徒自身の問題であり、ほかの学校がどうとか、そこの生徒がどうとかいうのは気にする暇なんてないかもしれませんが。
県内だけで見ればトップクラスにあるのは事実ですが、それで安心していたり天狗になっていても何の意味もないことでしょうから、より高みを目指すとしたら、少なくとも九州の似たような高校の話は学校、生徒、父兄も意識しています。
書かれているような授業の内容も、今はすでに似たような取り組みがあるからこそ、競うレベルにあるのですから。
そのあたりは西高でも九州各県のトップ校との交流などもやっていて、父兄や生徒も重々承知ですし、生徒も父兄も今現在がどうかということしか関心がありません。
特にここで言ってもらうまでもないことですし、昔のことなんてもうどうでもいいことです。
県内にも藩校からの伝統がある高校はいくつもありますけど、今はどうかといえば、かろうじて諫早が頑張っているところでしょうか。
伝統があるからいいというわけではないようです。
また、天領だった長崎市では藩校的なものが育たなかったのかもしれませんね。
他県の高校の自由と西高の自由が違っているのは当然でしょうし、全く同じにすることもない。
同じだったとしても実績が上がるとは限りませんしね。
それぞれのやり方もあるでしょう。
東高も独自のやり方で頑張ってるようですし。
数十年前の卒業生であり、保護者でもある立場から言わせてもらえれば、昔のずんだれバンカラ西高も良かったし、今の志高い西高もどっちもいいと思いますけど、融合する意味は特に感じませんね。
というか、今の西高が昔の西高の伝統をなくしているとも感じませんが。
他県の方の高校自慢は母校欄でしなさい。筑紫丘です。小倉高校です。親類が上野丘です。はいはいわかりました。優秀な一族なのですね。別件、南高はかつて、軍隊のようなとありますが、貴方軍隊の中身知ってるんですか。
T元校長とその仲間たちに人生を壊されました
彼らがやったことは教育ではなく調教
合格実績のために学生の選択肢を狭め、失敗した学生は自律の名のもとに学生の自己責任と使い捨て
2人も飛び降りさせても「いじめじゃないから」と知らんぷり
彼らのパワハラメソッドは県教委・ベネッセに受け継がれてしまった
もう長崎の高校は行くべきではない
第二第三の海星高校事件の被害者になるだけだ