昔は合同選抜といって、長崎市内の東西南北高校と長与町の
北陽台高校で、効率進学校受験者を合同で選抜して振り分けていました。
昔からこの5校は進学校でした。
ただ、西高は今この中で飛び抜けていて、過去は今ほど
偏差値が高かったとは言えないと思います。
私も、西高の卒業生ですが、今の西高には入れないと思います・・・・
偏差値はわかりませんが、昔の5校は今の東校位の難易度でした。
学生の人数、学校規模に対する合格者数でいくと・・・
今は少子化で、5校全体のレベルは下がっています。
南校とかは、昔の商業高校位のレベルです。
総合選抜時代の西高と現在の西高は全く違います。極めて異質の、次元が異なる、比較できない、筆舌に尽くしがたい、あーーーー言葉で表現できない、くやしい存在です。同列に論じては失礼千万。常識を疑います。
総合選抜時代の頃は知りませんが、私がちょうど単独選抜の1期生に該当します。
今もそうなのかは分かりませんが、まぁ参考程度に。
【受験の試験内容】5科目筆記・
面接【5科目筆記の点数】如何せん10年以上前のことなのでうろ覚えですが、確か400〜420点前後だったと思います。得点配分私の時はは全て100点満点での試験でした。
【
面接での質問内容】
「何故こちらの高校を選んだか」等。
私立の俗に言う「滑り止め」学校等でも
面接があるところもありました(2校受けましたが、全部合格でした)。
【その他】
私の頃は、単独選抜の一番最初だったので、長崎大学附属中とか普通中学とか関係なくとにかく人数が多かった印象があります。
ちなみに私は普通中学から入学しました。
一番多いときは10クラス有りました。
私は高校1年では普通クラス、高校2年の時は普通文系クラス、そして高校3年の時に、普通文系の精鋭クラス(俗に言う東大とかの高レベル大学志望クラス)に在籍していました。
私の頃のトップクラスの人だと本当に次元の違うレベルの頭脳の持ち主だったのは覚えています。
また同期で現役で東大とかに実際に受かった子も知っています。
一方で高校でいじめも何度かありました。ただその時は担任の先生が救ってくれたり等もあったので、今は気にしていません。
私と私の両親は、地元国公立大学を志望していましたが、当時の私では学力が足りなかった事、また指定校推薦等も頂いたのですが、病弱で県外への進学を両親が反対したため、それを断ったことも有りました。
高校卒業後、浪人生活も1年経験しており、それでも地元国公立大学には受からなかったため、多分卒業生としては珍しく地元の私立大学に進学しました。
まぁ西高行って、地元の国公立大学に進学できなかったのは正直言うと私の力不足でしたし、逆に私立大学に進学後卒業しまして、公務関係の仕事の道も何度か経験しており、長崎西高に進学した事を後悔した事は一度もありません。
公務関係の非常勤で今は仕事をしていますが、時々西高の先輩職員にお会いする事もしばしばあります。聞いた話ですが、公務関係職員だけの同窓会みたいなものもあるそうです。