「受験で問われるのは、学力ではない。」と私は考えています。最初にこのように書くと「この人は何を言っているんだ?」と思われてしまうかも知れません。
たしかに最終的に受験の結果を左右するのは、学力です。これは確かです。高校受験では中学校の先生の評価、つまり「調査書」が合否に大きな影響を与えますが、これも結局は定期テスト(学力検査)の結果の積み重ねに過ぎません。
このように考えると、やはり「受験で問われるのは学力」であるように思われます。しかし、その「学力」は毎日の勉強の結果として表れるものです。受験では学力を通して、その受験生の「自己管理能力」が、志望校の水準に達しているかをはかっているのです。
「自己管理能力(じこ・かんり・のうりょく)」は少し難しい言葉ですが、自分をうまく管理(コントロール)する力のことです。「自分を管理する」なんて聞くと、ますます意味が分からなくなる人もいるかもしれません。
「自分の意志で思い通りに動かせる、自分を管理する???」と感じる人もいるでしょう。ここで夏休みの宿題を思い出してください。夏休みの宿題は大半の人が「早めに片付けてしまおう。」と考えるものです。しかし、実際にはそううまくいきません。また、寒い冬の日に「もう起きないと遅刻しちゃう。」と思っても、なかなか布団から出られないことがあります。また、面接や発表の時に人前で「緊張しないぞ。」と思っても、ある程度は必ず緊張してしまいます。例をあげればきりがありませんが、人は考えているほど自分をコントロールできないのです。
はっきり言ってしまうと、自分を思い通りに管理することは実はとても難しいんです。他人を管理する方がよっぽど楽なケースもあるくらいです。逆に言うと、だからこそ自分を管理(コントロール)できる能力は、とても貴重なのです。
そして受験では、学力を通してこの自己管理能力が測られます。次のような話を聞いたことがある人は多いと思います。「偏差値の高い学校の方が、規則がゆるくて自由だ。」これは入学してくる生徒の自己管理能力の高さを、学校側が信頼しているためです。
学校、つまり生徒の管理者としては、自分をしっかりコントロールできる生徒なら、いちいち規則やルールで縛らなくても、放っておいて安心なわけです。逆に言うと自己管理能力の低い人は、親、学校、組織などの他人に自分の管理を委ねる(ゆだねる)ことになります。
この点は非常に重要です。繰り返しますが、本当に重要です。人は自分で管理できない分を、他人に管理してもらうことで補わなくてはなりません。極端な例が赤ん坊と受刑者です。彼らは生活のほとんどを他人の管理下で過ごします。そうでなければ、赤ん坊は生きていけませんし、受刑者は多くの場合、再度、罪を犯してしまうからです。
このような分かりやすい極端な例を出すと「なら、自分には関係ないな。」と思われてしまうかも知れませんので、もう一度言います。社会では、自己管理能力が高い人ほど、自由に思い通りに生きることができます。自己管理能力が低い人ほど、他人により多くを管理されて生きることになります。
もちろん「後者の方が気楽でいい。」「自分は人に管理されたい。」という人もいます。そういう人はそれでも良いのです。実際に、端から見れば受刑者と変わらない生活を送っている一般の方もいます。しかし、それは多くの場合、厳しく、それでいて退屈で、効率の悪い生き方になります。
管理される方が幸せだという考え方を否定するつもりはありません。ただし、他人を一番簡単に管理する方法が恐怖や暴力(と監視)であることは、よく覚えておいてください。
話を受験に戻します。受験で問われるのは自己管理能力です。そして自己管理能力とは、言い換えるとモチベーション(やる気)の維持とストレスの回避能力のことだと私は考えています。
「やる気」を引き出すこと自体はそれほど難しくありません。たとえば進学(進級)した時や受験生になった時など、誰でも何度かは「よし!やってやる。」と思ったことがあるはずです。ところが、それを維持するのが大変難しいわけです。逆に言うとその状態を維持することさえできれば、受験なんて楽勝です。
やる気のある状態というのは、任天堂のゲームの「スーパーマリオ」がスターを取った状態と同じです。この世で最も強いのは「やる気」のある人です。スターを取ったマリオが無敵なのと同じです。常にスターマリオならゲームの攻略も楽勝ですね。
ゲームの世界のマリオは、スターを取ってから数秒後には、敵に当たっただけで死んでしまう元の弱いマリオに戻ってしまいます。日記などが3日間しか続かない様子をさして「3日坊主」と言いますが、私たちもマリオと同じようなものです。
さて、ここからが重要です。なぜ私たちはすぐに「やる気」を失って、元の弱いただの人になってしまうのでしょうか。やる気の維持さえできれば無敵なのに。
その答えがストレスです。
全ての生き物にとって生きることはストレスとの戦いです。第二次世界大戦中、ナチスドイツのアウシュビッツという監獄に沢山のユダヤ人が捕らえられていました。ここでは死刑や殺人が日常茶飯事で、ユダヤ人達は過酷な(ひどい)緊張や不安、つまりストレスと戦っていました。そしてある日、ドイツの敗戦、つまり自分たちの解放の知らせを聞いたときに、多くのユダヤ人が突然死んでしまったそうです。
想像を絶する激しいストレス下にあったユダヤ人達は「やったぞ!自分はこれでストレスから解放されるんだ!」と思った瞬間に死んでしまったわけです。このアウシュビッツの話がどこまで本当かは分かりませんが、最近でもベトナム戦争やイラク戦争の帰還兵が「戦闘の激しいストレスから解放されたとたんに生きる気力を失ってしまった。」という事例は数多く報告されています。生物にとってストレスからの解放は死を意味することは確かです。
※余談ですが、兵隊さんはストレスに耐えられなくなると麻薬(のようなもの)を打って、ストレスを感じ無くしたりします。生死をかけた戦争のストレスはそれは大変なものだと思います。
とにかく、私たちはストレスとうまく付き合わなくてはならないわけです。そして問題なのはこのストレスが、私たちからやる気を奪ってしまうことです。ストレスというのはなにも先生に怒られた時など、特別な時に感じるものではありません。
ここで、宿題のやり始めを思い出してみましょう。
「さてと。」
()
「宿題やらなきゃ。」
(ストレス)
「でも、数学苦手なんだよな。」
(ストレス)・(ストレス)
「そういえば今日の数学の授業はいつにもまして、よく分からなかったよなぁ。」
(ストレス)・(ストレス)・(ストレス)
------ストレスがたまって、その人にとっての許容量を超える。
「明日は数学の授業がないから、明日やればいいか。」(ストレス回避)
()------適当な理由をつけて、ストレスを解消する。
「でも、明日忘れると大変だよな。」
(ストレス)
「明日は、体育もあって疲れるだろうし。」
(ストレス)(ストレス)
「宿題やらないと、夕飯の時にお母さんに怒られそうだしな。」
(ストレス)・(ストレス)・(ストレス)
------ストレスがたまって再び許容量を超える。
「あーもう面倒くさい。宿題のことは後で考えるとして、とりあえずマンガを読もう。」(ストレス回避)
()------宿題があることを忘れることで、ストレスを解消する。
私たちの脳は、実はほんの些細なことでもストレスを感じています。たとえばトイレに行きたくなるのだって実はストレスです。面倒くさいです。ただ、その場で用を足してしまった場合に生じるストレスより、トイレに行く方が楽だからトイレに行くわけです。(人間以外の動物はなかなかこれができません。)
宿題の場合はというと、宿題を忘れてしまっても、先生に怒られて恥をかくだけです。もちろん最初の内(小学校低学年のときなど)はそれが大変辛い(強いストレスになる)ので、何とか頑張ろうとします。ところがストレスというのは、慣れると感じなくなるものです。(実際には感じているが、適当な理由をつけて回避するようになる。)
私たちは「トイレに行くのは面倒だな。今ここでトイレに行くべきか、行かざるべきか。」といちいち考えていては、日常生活に支障をきたします。だから、私たちはトイレに行く手間は当然と考えて生活しています。映画を見ている途中などでない限り、トイレに行く行かないでストレスに感じることはないわけです。
学校の教室や自分の部屋で用を足す人はいませんが、宿題については他にも忘れてくる子がいたりします。するとその分、自分の感じるストレスが和らぎまず。そうしたことが繰り返される内に、宿題に取り組むストレスよりも、怒られることのストレスの方が軽く感じるようになります。
そうなると、もう宿題に取り組むのは困難です。これはストレスに対する敗北を意味します。ストレスに当初のモチベーションを奪われてしまったわけです。言い換えれば自己管理に失敗していることになります。
自己管理を成功させる、つまりストレスとうまく付き合うには、まず相手(ストレス)のことを知らなくてはなりません。よく分からない相手とは付き合えませんよね。
普段、ストレスは私たちの「無意識」の領域に潜んでいます。つまり「こいつがストレスだ!」と認識しにくい状態にあります。これは、とりあえずストレスを感じるけど、何がその原因なのか分からないという状態です。
まずはストレスを「意識」の領域に連れてこなくてはなりません。つまり意識化です。具体的に言えば「こいつがストレス(の原因)だ!」と分かる状態にしたいわけです。ここでは簡単に言っていますが、これは大変なことです。
それがしっかりできる人というのは、半分スターマリオの状態です。半分でもスターマリオなのですから特別な存在なのです。
ストレスを意識化するには、ストレスを感じたときに「自分はなぜストレスを感じているのか?」と自分に問いかける必要があります。これをストレスの存在を感じる度にやるのです。さっきの例で説明しましょう。
「さてと。」
()
「宿題やらなきゃ。」
(ストレス)
------お、いまストレスを感じたな。「なんで、自分は宿題をやることがストレスなんだろう?」
「でも、数学苦手なんだよな。」
(ストレス)・(ストレス)
------ん?これはストレスだな。「でもなんで、苦手科目をやろうとするとストレスなんだろう?」
「そういえば今日の数学の授業はいつにもまして、よく分からなかったよなぁ。」
(ストレス)・(ストレス)・(ストレス)
------お、またストレスだ。「なんで授業がよく分からないことが、宿題のストレスになるんだろう?」
と、いった具合です。これを読んでも「ふーん。」と思っただけの人が多いと思いますが、実はこれが大変なんです。なぜかというと「なぜストレスを感じているのか考えること」はそれ自体が強いストレスだからです。
ただ、この「なぜストレスを感じているのか考えるストレス」も慣れれば、ストレスと感じなくなります。つまり、自分への問いかけを習慣化してしまえばいいわけです。これを何度も何度も繰り返すと、ストレスの正体が徐々に見えてきます。そしてストレスの正体が分かると、ストレスの回避方法、言い換えればストレスとの付き合い方が分かるようになります。
ストレスとうまく付き合えるようになると、ストレスにモチベーションを奪われることが圧倒的に少なくなります。そしたら、あなたはもう完全なスターマリオです。やる気が出ないとか、受験が苦痛だとか感じることは、ほとんどなくなります。
最後に一つ断りを入れておこうと思います。実は高偏差値の学校にも、自己管理のできない生徒は沢山います。「最初に言ったことと違うじゃないか。」と怒られそうですが、高校受験や大学受験などの限られた能力をはかる試験では、受験に詳しい人に徹底的に管理された方がうまく行く場合が多々あります。
だから、何も考えずに、塾や学校の先生の言うことを聞いて勉強をするのも一つの手です。ただし、こんな人の話を聞いたことがありませんか?「学校では秀才ともてはやされたけど、学校を出たらただの人。」
学校を卒業してからも道を示してくれる先生(先輩)はいますが、社会は学校の試験のように、限られた能力だけがはかられる場ではありません。学校や塾の先生に従順だった人は、進むべき道がはっきりしている間は強いですが、道が見えなくなると、つまり道先案内人がいなくなると、とたんに弱い存在になってしまいます。
先行きの見えない不安(ストレス)に負けて、スターマリオからただのマリオに戻ってしまうわけです。
よく言われることですが、これまでの日本は不安の少ない、分かりやすい社会でした。だから、先生に従って勉強してきた人なら、たとえ自己管理ができなくても、上司や先輩の言うとおりに働くことで、社会に出てからも優れた活躍ができたわけです。
ですが、皆さんご存じの通りこれからは違います。将来が良く分からないという不安、つまりストレスとうまく付き合える人が、活躍できる社会になりつつあります。
これは決して「先生の言うことを聞かなくて良い。」という意味ではありません。先生は受験のプロですから、プロの言うことは聞いておいた方が多くの場合、得になります。ただ、「なぜ先生がそう言うのか?」ということを考えずに、ひたすら従順であることは、これからの時代はリスク(危険性)が高いと思います。
受験で直接的に問われるのは学力ですが、真に問われているのは自己管理能力です。受験は自己管理能力を鍛えるまたとない機会です。自分の人生で、好きなときにスターマリオになれるように、いま頑張りましょう!