教えて!浦幌高校 (掲示板)
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一般的なことについての話題
ikeko-ob1@一般人 [ 2017/10/06(金) ]
私は池田高校の卒業生だはあるが、浦幌にはいくつもの思い出がある。池高の同級生には何人もの浦中出身者がいたからだ。 浦幌市街地に住所のあった友人たちは勉強熱心な人が多く、成績もベスト10に入る人が7,8人いた。 しかるに池田市街地に住む生徒は
二人位だった。 当時の私は勤勉生徒の偏在をたいして気にしてなかった。 私の7歳ほど年下の従妹が浦幌高校在学中に北大で研究中の私の実験室を訪ねて来たことがあった。 そして数年後彼女は北大に入学していた。 池田高校からでさえ、5年に一人くらいしか合格しない状況の中であった。 浦幌出身者に不良のいないことも思えば不思議な事だった。 私の池田高校卒業時の総代は浦中出身の綺麗な女生徒だったように思う。 インタネットによると浦幌高校は廃校になったらしい。 今、浦幌市街地の子弟はどこの高校に通っているのだろうか❔ 池田高校が普通科でなくなったことは勤勉な浦中生徒が来なくなったことと関係はないのだろうか❔
ob2@一般人 [ 2017/11/03(金) ]
僕が高校を卒業して初めての正月、昭和36年1月3日の午後3時ころ、帯富の伯父の家の雪の積もった畑から北西の空を見ていた。 帯富の空は晴れていたが、裏大雪のウペペサンケ岳の辺りは厚い黒雲が不気味な色をしていて上空が速い気流であることを知らせていた。 暮れの28日に僕は石狩岳の稜線で3人の先輩と別れて他の1年部員と共に下山してきた。 そして伯父の家族とのんきにマージャンをしていたのだ。
不吉な黒い雲はその夜僕の家に電報をもたらして、{3人が遭難の可能性あり、糠平の生物研究所に集まれ}とあった。 1月4日、十勝在住の山岳部員は3人しか集まらなかったがウペペサンケの2の沢に下流からマイナス25度の中を捜索を開始した。沢は50?位の新雪で上に行くのは無理だった。 1月6日からはウペペサンケの夏尾根から頂上に向かった。この日は強風だったが快晴だった。 尾根の途中では下山のシュプールの痕跡は無く、先輩たちが遭難したことを確信した。 遅生まれの僕は19歳だった。 2の沢の最上部に厚さ60?位で幅30メートル位の表層雪崩の痕が残っていた。
ウペペサンケの頂上にはアイゼンの跡があったから10中8,9 2の沢に流されたのだと確信したけれども、雪崩の恐れで沢には踏み込めなかった。 先輩たちの遺体を見つけたのは五月の連休になってからだった。 この間、毎週ウペペサンケに登った。 三人の遺体は沢の上部から500メートル以上流されていたが、ほとんど同じ所に並ぶように横たわっていた。
遺体は雪の表面に出たばかりで、腐乱は一切なく、彼らの顔は綺麗なままだった。
先輩たちの遭難で同学年の仲間は部を去った。
19歳の私に山岳部の存続がのしかかった。
こんなことになるなんて、部に入った時は想像もしなかった。 僕の死生観は19歳で決まった。 帯富の地で見た不安な黒い雲の西の空。
日高山脈、大雪山、十勝岳連峰、芦別岳、知床山脈、後輩たちを安全に冬山に慣れさせることに専念した。 その分、学問の方は自慢できるものではなかった。 学問も山登りも一流には程遠く、三流よりは少しましかなと思う。
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浦幌高校の情報
名称 浦幌
かな うらほろ
国公私立 公立
共学・別学  共学
偏差値 情報なし [?]
郵便番号 089-5634
住所 北海道 十勝郡浦幌町 字帯富150-2
最寄駅 1.8km 浦幌駅 / 根室線
6.7km 新吉野駅 / 根室線
7.4km 上厚内駅 / 根室線
電話
公式サイト
備考 閉校についてwikiで確認

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