宮城県は表向きは少なくとも配慮はありませんね。
配慮したら学校を序列化して差別するのかと批判が出ますから。マスコミもそういうネタは大好物でしょうね。
違いが出てしまうのはそのとおりです。みんなわかってて仕方ないものと諦めてます。
例えば、学力(学力検査点)のみで合否判定したら誰が不満でしょうか?
田舎や、学力が無い層を中心に世間から批判が出ますし、田舎の議員は地元の支持が欲しいがゆえに反対するでしょう。スポーツや芸術などの一芸に秀でる子も不利になります。
しかし、進学校側としたら
内申点が高いだけの学力が無い子よりも、真に学力が高い子が欲しいのが本音でしょう。
勿論一人ひとりを見ていったら人間性のばらつきはありますし、学力だけで人間の価値は決められません。
でも、確率的に言って学力が高い子のほうが民度が高いですから。就職活動の学歴フィルターと同じ論理です。選抜するコストは無限ではありませんので。
中学校の格差は事実上存在し、みやぎ
模試偏差値と調査書点が相関せず、30点くらいの差があることはよくあります。例えばみや
模試偏差値61で調査書点190、
偏差値64で調査書点160とか。この2人が宮一を受験して、それぞれ当日点360点、385点だったとしましょう。結果的には前者のほうが上位で合格です。制度上仕方のないことですが、後者からするとなんだかな〜と思いますね。前者からすれば真面目に学校の試験や提出物や授業態度を良くしてきたのでずるいわけではないのですがね。問題は学校間格差はどうしたって埋められないことです。
すべての人が満足する制度は極めて困難です。
平等と公平(公正)のバランスは永遠に解決しません。差別という名のわがままを訴えてこられると更にややこしくなりますし。
話は逸れますが、そこいらへんの考え方は人としてある程度ポリシーを持っているとよいと思います。参考まで。
https://pandaignis.com/wp/65345.html