一高在校生の保護者さんなら、こんなところに書かず、一高に直接聞いてみる質問内容に思います。第三者や誰だかわからない人に聞くよりも、事実か否か、またその理由を一番知ってるのは、一高です。
入学時点で結構差はある。一高生は入学がゴールだと勘違いしてる人が多いので勉強しないからね。
模試の結果が返されましたね。息子からは学校単位で考えるんじゃなくて、本人次第じゃない?といつも返答されます。
学校は関係ないみたいですよ。
仙台二高の掲示板から
>今年の一年は最強の学力集団
11月の進研
模試では全国ランク2位(
偏差値平均)
学校で方針が変わって
超難関大学に現役で多数合格させられるノウハウを掴みつつある感じ
積極的に東京から有名予備校のスタッフ呼んで講演会も増えた
一高も真似したら。
そう思うなら入学させなければいいだけの話。
>中学時代はこんなに開いていなかったと思いますが。
学区分割以前は願書提出時点で最上位層は5対1から30対1という途轍もない差がついていた。
/* 『高校教育スクラップ』61ページ
高校から東北大学をみると、毎年大量の合格者を出している仙台一高、仙台二高の場合、昭和38年頃まで両校とも抜きつ抜かれつで、昭和37年には、仙台二高が開校以来の大学合格者184人を出した。ところが、昭和39年、145人、昭和40年73人と仙台一高に大幅に差をつけられてしまった(表9)。その理由は中学から高校へ入るときの成績が出ているのだということだ。700点満点の高校入試に、600点以上をとって入学する生徒数は、仙台一高対仙台二高の場合5対1、極端なときは30対1になっていた。中学校で成績の良い生徒が仙台一高に集まる傾向があるから、大学入学者数だけで二高を批判してもらっては困るという言い分が二高の教師にはあるのだ。 */
次の資料は主要5教科入試になってから(学区分割以前)の業者
模試の結果。
志望校別成績一覧表
高校名|仙台一高|仙台二高
平均点|409.5|367.0
470点台|02|00
460点台|14|01
450点台|28|01
440点台|34|02
430点台|40|10
420点台|46|13
410点台|44|23
400点台|42|41
−−−−−−−−−−−
390点台|27|46
380点台|17|38
370点台|18|48
360点台|11|40
350点台|02|37
−−−−−−−−−−−
340点台|04|25
330点台|03|27
320点台|01|17
310点台|04|16
300点台|01|06
https://1.bitsend.jp/download/f2713d9938ce009a264570c01cfd5fe7.html(要ダウンロード)
今はこれが逆になっているはず。
現在に置き換えた志望校別成績一覧表
高校名|仙台二高|仙台一高
平均点|409.5|367.0
470点台|02|00
460点台|14|01
450点台|28|01
440点台|34|02
430点台|40|10
420点台|46|13
410点台|44|23
400点台|42|41
−−−−−−−−−−−
390点台|27|46
380点台|17|38
370点台|18|48
360点台|11|40
350点台|02|37
−−−−−−−−−−−
340点台|04|25
330点台|03|27
320点台|01|17
310点台|04|16
300点台|01|06
↑そんなことばかり言っているから三高に抜かれるのですね。
>
https://1.bitsend.jp/download/f2713d9938ce009a264570c01cfd5fe7.htmlその業者
模試で420点台までの合計は、
一高164人、二高は27人
しかし当時の東北大学合格人数は
昭和47年 一高180人 二高100人
昭和48年 一高147人 二高106人
業者
模試で420点台なら、大部分は一高も二高も合格するだろうから、
高校に入ってからも普通に真面目に勉強すれば東北大位は入れる生徒が一高は164人位はいて、二高は27人しかいなかったことになる。
420点台の生徒は二高には30人もいなかったはずなのに、100人以上東北大に合格している。
当時は、一高に入ると頭が悪くなり、二高に入ると、急に頭が良くなる魔法があった?
>今はこれが逆になっているはず。
現在、新みやぎ
模試ではそのようなことにはなっていない。
一高も二高も入学時の成績と難関大学合格者数は似かよっている。
>そんなことばかり言っているから三高に抜かれるのですね。
そういうことだと思います。
>一高も真似したら。
「鉄は熱いうちに打て」と言われる。これは鉄なればこそ強靭な鋼(はがね)はがねになるのであって、銅やアルミニウムだったらボロボロになってしまうだろう。
マラソンのオリンピック強化選手は記録向上のためによく高地トレーニングを行う。市民マラソンのトップランナーがオリンピック代表入りを夢見て高地トレーニングを行ったら高山病になるのが落ちだろう。
学区分割前の二高は「学力別クラス編成」(「能力別」ではない)を行っていた。
/*『毎日新聞』宮城版 昭和40年10月6日
【進学作戦】(58)「進学へのしごき」
【学力差に応じ指導】【仙台二 クラス編成に英断】
【仙台二、学力テストで仙台一しのぐ】
毎年4月に行われる県下一斉学力テスト
数学の成績から現在高校3年生の過去3年間の移り変わりを調べてみると、ことし大きな番狂わせがひとつあったことに気づく。仙台二が学校平均点で仙台一を5年ぶりに上回ったことであり、その差は2.0点、現在の仙台二の3年生が2年のとき仙台一より10点近く下回っていたから、同校
数学科の得意のほどがうかがわれよう。仙台二は仙台一より20点近く差をつけられていたこともあったのである。…
【学力別のクラス編成取り入れる】
この秘密は、同校が2年前から取り入れだした学力別クラス編成にあるようだ。現在の3年生はちょうどこの学力別に慣れてきたころということになる。
同校の学力別クラス編成は
英語と
数学だけだが、1年生の2学期から行なわれる。夏休み後の学力テスト結果から分けたもので、8クラスあるうち4クラスを1グループとして、1グループの中に1クラスを上位成績者クラスとし、学年前期、後期のテストで入れ替えを行なう。ことし9月の入れ替えでは40人が入れ替わった。3年になると文科コース3クラス、理科コース5クラスに分け、文科コースから1クラス、理科コースから2クラスを上位クラスにしている。
上位クラスとそうでないクラスの違いは学習の進みぐあいにある。
英語のリーダーであれば半年で15ページ程度の相違だが、学年後半になるとサイドリーダーなど、応用の範囲で大きな違いが出てくるという。当然学内テストでは、共通問題のほか、応用問題の部分がむずかしくなるわけだ。
学力別を取り入れたのは、東北大などに多数の合格者を出す同校でさえ、格差がありすぎるからである。高校入試段階で
数学の場合50点足らずで入学してくる生徒もおり「学力差に応じた授業を受けなければ、できる生徒は伸び悩み、できない生徒はますますできなくなるためだ」という。
・・・・・*/
翌年昭和41年の結果はどうだったのかというと、
東北大学合格者数
昭和 仙台一高 仙台二高
39 184 ○ ● 145
40 168 ○ ● 075
41 177 ○ ● 136 二高学力別編成の初結果
42 171 ○ ● 115
43 166 ○ ● 088
44 115 ○ ● 062 東大入試中止
で・・・何言いたいの?
なんか読む気が全くしないけど50年近く前は一高は二高より凄かったんだよ。ってことじゃない。
半世紀も昔の・・昔のお話ですけどね。
一高って本当にかわいそう。
大昔の栄光を、受験生向けの掲示板で必死に
アピール。なんか憐れで情けないなあ。
そうは思いませんね。一高にも、今の二高を上まわる時代があったんだ。一高受験生は、誇りやプライドをもって勉強してくださいという激励の言葉でしょうね。
>一高受験生は、誇りやプライドをもって勉強してくださいという激励の言葉
それはいいんだけど、同じ内容を手をかえ品を変え何年も書き続けられたのでは、みんなウンザリするということ。
この馬鹿いつまでやってんだ、と言われても仕方がない。
何ヶ月単位ではなく、何年単位だから問題。
昔話聞かされても今の受験生には全く響きません。
知りたいのは直近の進学実績や雰囲気、レベルです。
昔話で喜んでいるのはおじいちゃんたちだけです。
>一高も真似したら。
そんなことをしても効果は限定的でしかない。
昭和38年から昭和41年の4年間は戦後のベビーブーム世代が大挙して高校に押し寄せた。入学者は425名前後にも達した。当然大学入試も激烈になることが予想され、一高は昭和38年から昭和43年は授業時間数を標準時間より高校3年間で16時間多くして備えた。この授業時間数では1日7時間授業が1週間に2、3回あり、
英語が各学年7時間だったので
英語2時間の日が週に必ずあった(
英語は単語調べが大変で、多くの時間をとられる)。
二高も昭和38年から高校3年間の総授業時間数を一高よりもさらに1〜2時間多くした。そして学力別クラス編成も実施した。
この授業時間数の大幅な増加で一高は東北大学の現役合格者数が飛躍的に増加した。
東北大学現役合格者数
昭和 仙台一高 仙台二高
39 77 ○ ● 47
40 112 ○ ● 36
41 138 ○ ● 75 二高学力別編成の初結果
42 129 ○ ● 50
43 99 ○ ● 32
44 45 ○ ● 9 東大入試中止
東大紛争による安田講堂封鎖で東大の入試中止が年初に決まると全国の、そして特に首都圏の、東大志願者は決断を迫られた。翌年の入試再開にかけて浪人を決め込む者、京都大学や東北大学に志望校を切り替える者など、いろいろに分かれた。東北大学受験に切り替えた一部の東大志願者によって東北地方および宮城県の東北大志願者はひどい目にあった。都道府県別合格者数のトップは東京都(335人)になり、宮城県(311人)は初めて2位に落ちた。
一高は現役合格者が半減する大打撃をこうむった。それでも高校別では断トツの1位で宮城県の面目を保った。
二高は壊滅した。学力別クラス編成の効果は限定的でしかなかった(学力別クラス編成のおかげで零封を免れた)。
授業時間数がどうとか、学力別クラス編成がどうとかの問題ではない。
本来二高に行くはずの生徒を当時は一高に集中させていたのだから、一高が良くなったのは当然のこと。威張れた話ではない。
その後はさらにひどい状況になり、東北大合格者の半分以上が浪人と、一高も二高も浪人だらけになった。
授業時間数を増やすとか、学力別クラス編成とか全て吹き飛んだ。
東北大は、良かったのは昭和43年位までで、その後の昭和45年からは、
現役は毎年50人程、浪人は毎年100人程度で
浪人しないと東北大には入れない状態になった。
仙台一高 東北大学合格者数
昭和−現役−−浪人
45 045 106
46 043 101
47 068 112
48 067 080
49 043 086
50 063 090
51 047 080
52 056 081
53 055 090
54 063 078
55 046 094
現役だけだと、最近の合格者数とあまり変わらない。
平成
26 052
27 063
28 053
29 046
30 034
↑
こんな一高OBが未だにいるんだね。
これでは、一高と三高どちら? 中学生は三高を選択するわけだ。
もうすぐだね。
昔の一高が二高より上だったのか知りませんが
今は二高の足元にも及ばないと思います。
こういうOBのようにはなりたくないので頑張って二高を目指します。
>本来二高に行くはずの生徒を当時は一高に集中させていたのだから、一高が良くなったのは当然のこと。
そんなことが行われたら二高の教師・生徒・父兄・卒業生は一丸となって大騒ぎし大反対するんじゃないか?(共学化の時あんなに反対して新聞・テレビでも大々的に報道されたじゃないか。)
すでに昭和34年173人、35年151人、36年167人合格しているんだから、もしそんなことがあったら一高の合格者数は200人を超す。
東北大学合格者数
昭和 仙台一高 仙台二高
24 062 ○ ● 037 新制高校初卒業生
25 139 ○ ● 105
26 125 ○ ● 118
27 122 ○ ● 090
28 139 ○ ● 125
29 112 ○ ● 103
30 112 ○ ● 098
31 117 ● ○ 127
32 115 ● ○ 125
33 124 ● ○ 140
34 173 ○ ● 120「一高優位」不動に(読売新聞宮城版)
35 151 ○ ● 127
36 167 ○ ● 125
37 140 ● ○ 185
38 147 ○ ● 114
39 184 ○ ● 145
40 168 ○ ● 075
41 177 ○ ● 136
42 171 ○ ● 115
43 166 ○ ● 088
おじいちゃんの時代は凄かったんだね。
今は見る影もないけど。
平成も終わろうとしているのに昭和のしかも戦後間もない頃の実績を未だに貼り付けるじいさん達は死ぬまで一高に合格した事だけを支えに生きてるんだろうな。多分、大学は無名私大か、行けなかった人達なんだろう。
昭和20年代に高校生だった人って、今90才から100才くらいか?
一高の全盛期を生きてきたじいさん達から見た今の一高生はどんな風に映っているのか一度聞いてみたいものです。
>昭和34年173人、35年151人、36年167人合格している
昭和34年頃から、一高に集中させるようなことが行なわれていたからそうなっただけ。
だから、
>34 173 ○ ● 120「一高優位」不動に(読売新聞宮城版)
「一高優位不動に」などと、先の見通しや確実な裏付けもなしに、新聞がこのような記事を書くはずがない。
「本来二高に行くはずの生徒を一高に集中させるようになる」という情報を新聞社が知っていたから、当たり前のようにこのように書いた。
さらに、学区をはずして全県一学区になってから10年近くになるが、その良かったころの一高には戻っていない。
それほど一高が素晴らしい高校だったら、成績上位の生徒は二高など見向きもしないで、一高に集中していたはずだが、10年近くたってもそうはなっていない。
これが「本来二高に行くはずの生徒を当時は一高に集中させていた」という大きな証拠の一つになる。
東北大学合格者数
平成 仙台一高 仙台二高
18 42 ● ○ 103
19 73 ● ○ 104
20 73 ● ○ 127
21 53 ● ○ −86
22 51 ● ○ 125 学区廃止
23 62 ● ○ −89
24 58 ● ○ 106
25 59 ● ○ 116 学区廃止後最初の卒業生
26 79 ● ○ 115
27 90 ● ○ 106
28 80 ● ○ 116
29 89 ● ○ −94
30 63 ● ○ 104
東京大学合格者数
平成 仙台一高 仙台二高
18 −2 ● ○ 16
19 −2 ● ○ 11
20 −4 ● ○ 11
21 −1 ● ○ 15
22 −4 ● ○ 12 学区廃止
23 −4 ● ○ 12
24 11 ● ○ 12
25 −5 ● ○ −8 学区廃止後最初の卒業生
26 −4 ● ○ 12
27 −5 ● ○ 17
28 −4 ● ○ −7
29 −2 ● ○ −4
30 −1 ● ○ 18
東大については、二華中ができたことで
平成28年から一高は特に影響が出ている可能性がある。
そうかな一高は18年からずっと東大は一桁の前半でしよ?その層は寧ろ二高が影響を受けている。一高はこれから東北大の層が影響を受けると思う。
東大合格者数
平成 仙台一高 仙台二高
28 −4 ● ○ −7(旧帝医25人)
29 −2 ● ○ −4
30 −1 ● ○ 18
二高は平成28年、東大は減っても旧帝医25人で、東大+旧帝医=32人
平成27年まで東大+旧帝医は約30人平均だから、影響はほとんどない。
↑去年の一高の東大合格者は4人。そのうち3人は現役合格ですよ。
その前年、前々年も東大現役は0だけどね。
〔訂〕一高の東大合格者数は28年から逆順で、1、2、4人の間違い
>>昭和34年173人、35年151人、36年167人合格している
>昭和34年頃から、一高に集中させるようなことが行なわれていたからそうなっただけ。
/* 河北新報 昭和34年3月31日 */
【名門高校の入試異変】
【志願者激減した仙台一高の場合】
【困る”片寄り指導”】
【学校選択は自由な立場で】
高等学校が合格者がほとんど発表になりましたが、宮城県下でことし、名門仙台一高が定員350人に対し志願者379人という異例の現象を出しました。合格者数は事情により定員を10人上回ったので落第した生徒はわずか17人だけということになりました。つまり、ほかの学校が何倍かの競争率なのにここだけはほとんど無競争でした。有名公立高校でこうしたことは全国でも例が少なく、特異のケースだといわれています。どうしてこういうことになったかについては、関係者は次のように話していますが、ことしは高校志願者が多かったこと、仙台一高などの名門には優秀な生徒が受けるので、中学校側で落第生を少なくするために進学指導を厳密にしたことなどがあげられています。生徒の中にはほかの二流校へ受験をすすめられ、かえって競争がはげしく、落ちたと不満を訴えているものもあり、この学校推薦はなかなか大変な問題になってきました。来年は逆に有名校にどっと受験生が押しかけるかもしれないとの予想も出ています。中学校の進路指導と、学校の推薦者がそのまま入学できたことについて意見を聞いてみました。
【宇野仙台一高校長の話】…また志願者が一方に片寄るような進学指導や、生徒が自由な立場で学校を選択できないような状態にあることも感心しない。…
【一次的な現象 山下忠宮城県教育長の話】…全部が全部、むりむり一高なら一高を受験するのは、かえってたくさんの浪人ができてしまうことになる。…
【落第を警戒して敬遠か 瀬上顕五橋中学校長の話】…ことしは卒業する生徒の数が非常に多く、落第のうき目をみたくないということと、一高という名門校には相当優秀な子弟が集まるのではないかという警戒心から一高を敬遠したのではないだろうか。…
【強制的感じもする進学指導 仙台上杉中学校父兄の話】志願者数が定員とほとんど同数で、落第したものがホンのわずかだったということは、中学校側の進学指導のやり方から生じた余りかんばしくない現象だと思う。…
【反動あれば逆効果 文部省の見解 指導徹底は結構だが】…
【文部省初中局中等教育課長安達健二氏の話】中学校の進学指導について文部省としてはこうしろということはできない。…
*/
高校入試の志願者数と倍率
昭和 一高という名門校 ほかの二流校
31 456 1.30 541 1.55
32 466 1.33 565 1.61
33 521 1.49 602 1.72
34 379 1.08 649 1.85
>だから、
>>34 173 ○ ● 120「一高優位」不動に(読売新聞宮城版)
>
>「一高優位不動に」などと、先の見通しや確実な裏付けもなしに、新聞がこのような記事を書くはずがない。
>
>「本来二高に行くはずの生徒を一高に集中させるようになる」という情報を新聞社が知っていたから、当たり前のようにこのように書いた。
/* 読売新聞宮城版 昭和49年(1974年)2月8日
十五の嘆き4 あこがれ
「一高信仰」不動に
東北大合格で他校制覇
【旧制時代から敵対】
一、二高も旧制一、二中の当時から激しいライバル意識を燃やし、互いに合格者数が「勝った」「負けた」で競い合い、一時は東大志望者をわざわざ東北大へ回すほどの過熱ぶりだった。
ところが、34年の入試を境にこの均衡関係は破れることになる。この年、一高は大量173人が東北大へ合格、中間層の学力を伸ばすという徹底的な個別指導方針が成果を収めたと言われる。一方、二高側では学内騒動がからんだ動揺から合格者120人と一高に差をつけられた。これ以後、世間の目はまず一高に向けられるようになったと言われ、「一高優位」は動かないものになった。 */
>さらに、学区をはずして全県一学区になってから10年近くになるが、その良かったころの一高には戻っていない。
>
>それほど一高が素晴らしい高校だったら、成績上位の生徒は二高など見向きもしないで、一高に集中していたはずだが、10年近くたってもそうはなっていない。
>
>これが「本来二高に行くはずの生徒を当時は一高に集中させていた」という大きな証拠の一つになる。
/*『地方公立名門校』おおたとしまさ、2018年
https://1.bitsend.jp/download/657d8b3726f7c406518df0dcfbda816b.html(要ダウンロード)
(20〜23ページ)
1960年代の前半までは、東大合格者数ランキング上位を、日比谷・西・戸山・新宿・小石川・両国などの都立高校が占めていた。中でも日比谷は戦前まで遡っても不動のナンバーワン。1964年には193人の東大合格者を出していた。現在の開成とほぼ同じ規模である。
・・・
しかし一部の都立進学校に優秀な生徒が集中する状況は好ましくないとされ、1967年、東京都は「学校群制度」を導入する。都立高校を数校ずつの「学校群」に分け、学校ではなく学校群を受験するしくみに変えた。
たとえば日比谷は三田と九段と同じ学校群になった。日比谷に入学したい受験生はその学校群を受験する。しかし合格しても、三分の二の確率で三田か九段かに割り振られてしまう。要するに、優秀な生徒を分散させるため、受験生が好きな学校を選べないようにしてしまったのだ。…
その結果、たしかに日比谷は絶対王者ではなくなった。しかしそれは、優秀な子供たちが都立高校に分散して都立高校全体のレベルを底上げするのではなく、優秀な子供たちが私立・国立中高一貫校に流れ都立高校全体が凋落するという皮肉な形で成し遂げられた。
長い年月をかけて形作られた「水路」に堰を設けてしまったため、「水」が「バイパス」を流れるようになり、さらにはそちらが本流となってしまったのだ。
・・・
そのあとに続く1970年代は、折しも社会的な教育熱が高まり、高校進学率が一気にほぼ95%にまで達する時代だった。塾が乱立したのもそのころだ。「バイパス」を流れる「水」はその量と勢いを増し、新しい「水路」を深く大地に刻み込んだ。
・・・
1982年に東京都は学校群制度を廃止しているが、時すでに遅し。都立高校の人気が復活することはなかった。
*/
東京都の学校群制度導入(1967年)から廃止(1982年)までは15年。
宮城県の学区制導入(1977年)から廃止(2011年)までは2倍超の34年。
>高校入試の志願者数と倍率
>昭和 一高という名門校 ほかの二流校
31 456 1.30 541 1.55
すると、今ならこういうことになるな
高校入試の志願者数と倍率(予備調査)
平成 二高という名門校 ほかの二流校
31 442 1.38 641 2.00
今年抜きました乙
しかしながら、延々と浦島太郎物語を一高OBらしき人物の方が書かれておりますが、
一高に関係ある一人として、止めて欲しいですね。
↑では毎年恒例とか、第三者に批判されています。
それでも書き続けるという事は、失礼ですが貴兄の性格的な事に起因するのでしょうか?
思考停止に陥っているのでしょうか?
現一高にとっては迷惑以外の何物でもないと思いますよ。
何の意味も持たない。
在校生からは、それで?どうだと?
相手にされません。
別なアプローチがあるんじゃないですかね。
お歳はご存じ上げませんが、失礼ながら賢くなってほしいですね。
確かにそうですね…
前の時代は前の時代、今は今ですよ。ひとまず新3年生は最近受験に対する意識がみられてきたので、ここから頑張っていってほしいですね
(私もだけど。)