>三高ができたとき一高から応援の指導に行ったそうです。
/* 『躍進三高−仙台三高創立30周年記念誌−』
第4章 生徒会・応援団活動
4 応援団活動
本校の応援団は、昭和38年4月仙台三高開校と同時に誕生した。当初はクラスから1名選出の応援委員で構成し、委員会方式でスタートした。何でもすべて初めてなので、何をどのようにするかまったくわからず、苦肉の策として仙台一高に、エールや団旗の基本的な扱い方を教わりに出かけ、これを三高風にアレンジして三高の応援スタイルの原型を造ったのである。応援練習は南校舎(現在の中校舎)の屋上で行われ、幹部は暗くなってからも発声や旗振りの練習を行っていた。これ以降、幾多の改善を施しながら、現在の三高独特の応援スタイルが出来上がっていくのである。
また当初は、すべて1年生で同学年のため、幹部のリーダーシップが発揮できず、また幹部も自信がないため、応援団全体としてまとめあげていくのに大変苦労した。初代の団長井上英之氏は、三高新聞などで再三にわたり「新設仙台三高の伝統を築くべく全生徒の団結を」と呼びかけている。また自らも「龍神の歌」の作詞を行うなど、草創期の三高応援団の組織固めに、幹部諸氏とともに大変な苦労をし、多大なる足跡を残した。
二年目あたりから、校歌を初めとして「逍遥歌」「第一応援歌」「第二応援歌」「狼火は上がり」が、当時の先生方や生徒諸氏の手によって相次いで作詞作曲され、少し遅れて「若き血潮」「永久の鋭気」も加わり、応援歌がこの時期に出来上がった。また念願の和太鼓も導入され、大応援団旗のもとに、新入生も加わり、仙台三高の応援団としての形がやっとここに整ったのである。
この時期、幹部は胸に「仙台三高」と入った濃緑のトレーナー風のユニフォームを着ての応援活動であった。その後、一時ジャンパー風のものが導入されたりはしたが、多くの幹部は学生服のまま、裸足で腰に手拭いをぶら下げるスタイルが踏襲され、現在では、「ボロラン」と呼ばれるボロボロの学制服に長髪というスタイルとなって残っている。
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【我が青春の応援団】
−仙台三高応援団創生期の思い出−
初代副団長 斎藤邦雄
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開校当初のため団の運営から応援方式まで一から十まで皆目分からず、ナンバースクールのよしみと先生方の紹介で茶畑(仙台一高)に応援技術の講習を一週間受けに通った。
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仙台一高の応援歌一番の歌詞は北見北斗高等学校の第二応援歌とほぼ同じである(「若人の」が「男性の」、「鉾とる北斗軍」が「勝つ一高軍」、「飾れる」が「飾る」に変わる)。高校も中学校も応援歌は詞も曲もパクリだらけで、どこのが本家本元か分からない。
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