質問者さんはここにいないで信頼できる大人に相談したほうがいい。
逃げることも時には大事。
運動祭を終えてお友達できているとよいのてすが。
まだ五月です、受験勉強の時の感覚を思い出して、その勢いで数英は夏八月までに一年生の範囲は終わる勢いで必死に勉強しましょう。
必死は決して格好悪くないです。
中学校とは違い、一高生でそれを馬鹿にしたり茶化す奴はいません、一高とはそういう学校です。
>せめて同じ年代のもので話しようよ。
/* 『名門高校ライバル物語』講談社、2009年
第1章 【宮城県】仙台第一高等学校&仙台第二高等学校
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特筆すべきは、応援練習において、乱暴な言動がいっさいないということだ。一般的に旧制中学の流れを汲む伝統校では、精神注入と称して少々荒っぽい指導がなされることが多い。しかし一高では団長も幹部も、応援歌や手拍子を指導するにあたって、「声を出してくれ」「やってくれ」と養成する姿勢を貫いている。一方、一般生徒は「自発能動」をもって協力し、応援活動を盛り上げるのだ。…
・・・
二高は服装や髪型、ケータイの持ち込みなどが自由な学校だが、この試練を乗り越えるまで、新入生は高校1年とは認められず、中学時代の制服を着用しなければならない。応援練習のオープニングを飾るのが「入団式」だ。講堂に1年生全員が集められた後、応援団幹部や上級生から応援の神髄が注入される。現在、この洗礼式はかなりソフトタッチになっているが、10年ほど前までは、1年生の服のボタンや袖がちぎれ飛ぶ「怪現象」が起きていたとか…。
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*/
二高の応援練習には口パク検査もある。
>入学直後の
数学の実力テスト
大昔、学区分割前の一高一年の
数学は週(土曜は半ドン)に6コマあった。そのうち4コマは教科書を使った本来の授業(もちろん教科書の中の問題も解く)、残りの2コマは数研出版の問題集を使った演習だった。定期試験はそれぞれにテストがあった。大学受験のために
数学はそれほど重視されていた。
数学の教科書は自習用には作られていない。行間や式の変形の間は飛んでいるところがある(親切に書いたら分厚くなってしまう)。そこらへんは先生が説明する必要がある。先生には赤本と呼ばれる本が出版社から出ていて、答え合わせのために問題の答えが載っていたり、教え方のポイントが書いてあったりする。先生にアンチョコ(?)があるぐらいだから、教科書を読んでも理解できない生徒がいても不思議はない。
教科書ガイドには教科書の問題の解き方や答えが載っている。しかし本文の説明のところは読めば全員が分かるかというとそんなことはない。飛んでいるところがあるからである。本文が十分に理解できない限り教科書ガイドを頼りに問題を解いても身につかない。本番の試験では教科書もガイドも持ち込めない。
こうして1年になって早々落ちこぼれてしまう。
数学は典型的な積み上げ型教科だから、いったん落ちこぼれたら容易に浮かび上がれない。
教科書の本文も一人でよく理解できないなら、早急に塾や
家庭教師を利用する必要がある思う。
>楽しい高校生活を夢見ていたのにまるで逆で、
/* 『河北新報』昭和42年3月26日
【教育の広場】
【「消化不良の」の高校生】
【苦痛な毎日の授業】
【「ついていけぬ」が半数以上も】
高校進学率が高まるにつれて、高校の教育課程に、ついていけない生徒がふえてきている。全国高校長協会では「高校の授業をほんとうに理解できる生徒は全体の30%ほど」といっているし、宮城県教育研究所の調査でも「授業がむずかしくて高校生活が憂うつだ」という生徒が調査対象の約半数を占めている。4月には新しい高校生が誕生するが、このなかにも大ぜいの授業についていけない生徒がいることだろう。こうした姿をいつまで放っておいてよいものだろうか。
『憂うつな高校生活』
まず、宮城県教育研究所の調査を紹介しよう。この調査は、普通高校(普通科も含む)の高校生が、現在の学習内容にどのていど適応しているかというもので、去年暮れに宮城県内10校約1000人の2年生を対象にアンケート調査した。回答は進学、就職いずれかを決定した800人からあった。その結果、80%は何らかの形で学習が困難だと訴えているが「学習がむずかしくて、とてもついていけそうもない」「なんとかついていけそうだが、ずいぶん苦しい」というのが、科目、進学・就職コースの差異によって多少の違いはあるにしても、50%もいた。とくに、物理、
英語、
数学の困難さを訴えるものが多く、進学希望者ですら、この3教科に対して、男女別、教科別ごとの集計をすると26%から57%の範囲で困難を訴えている。しかも、
英語、
数学の予習、復習で時間がとられ、他教科まで手がまわらないという生徒が一流校のなかですら、2、30%もいる。
また、回答には、生徒の主観もはいるので、同じ答えでも質的には違うが「非情に苦手な科目があるので憂うつだ」というものは、高校入試の高点者が多く集まっている高校でも50%近くいる。さらに「教室で授業を聞くだけでは、よくわからないことが多い」は45%。こうしたいわゆる「一流校」では、自宅で猛烈な勉強をするからあるていど救われるが、三流校クラスで60%に達する「わからない」組は、結局は「高校生活は憂うつでおもしろくない」とこぼしながら3年間を過ごしてしまいがちだ。
『マンモス化も拍車』
このように、高校教育についていけない生徒が、かなり存在している事実はなぜなのか。ひとつは高校進学率が全国平均(41年3月)で72.3%に達し、高校が義務教育化したため、生徒の能力差がきわめて大きくなったこと。にもかかわらず能力差に応じた教育体制がとられていないことが第二。就職組にはA類型、進学組にはB類型という二つの教育課程とそれに応じた教科書があるが、進学組そのもののなかにも大きな能力差があり、しかも教えられる内容は同じだ。能力にあった指導法をすれば、あるていどは救われようが、マンモス化しつつある高校。そのうえ、大学進学に目を奪われた普通高校では、生徒一人々々の能力に合った指導はできるはずがない。ある私立高校の先生は「特殊学級並みの教え方をしなければならないものもいる。それにも高校卒の免状を渡さなければならない。困ったというよりは空恐ろしいことです」といっていた。
これでは、実のある高校教育は高根の花。そのため、普通高校の多くは、上位、中位、下位クラスに分けるといった能力別学級編成をとっている。しかし、能力に応じた教育というよりは、大学進学のための有効な手段として能力別編成をしているのである。
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*/
楽しい高校生活は一高二高硬式野球定期戦まででおしまい。あとは今も昔も猛烈な勉強をするのみ。
>入学直後の
数学の実力テストで
/* 『なぜ?どうして?をとことん考える高校
数学』
南みや子(1948年生まれ)、ベレ出版、2013年
1の1 初めての中間テスト
私自身は、中学校までの文字式の計算や、因数分解、一次や二次の方程式、平方根の計算問題などは、すっかり自分のものになっていると思って、高校に入りました。
しかし高校に入って初めての定期試験、そう、高一の一学期の中間テストでは、自分でもあっと息を呑むような(ひどい)点数を取ってしまいました。
そのときの中間テストに出た
数学の問題というのが、次の問題1です。
問題1 次の式Pを簡単にしなさい。
P = √(a^2) + √(a^2 -2a + 1)
何十年も前の、中間テストの問題をそのまま覚えている、というのもすごいことでしょう?
もっともその後教師になった私の目からすると、この問題は、高校に入学して初めての定期試験の問題としてはちょっと難しすぎるような気がします。確かに、その昔の先生というものは、生徒たちにあまり手心を加えない存在でしたものね。
「この問題、私の生徒に解けるだろうか?」なんで、決して悩まないのが昔の先生という人々だったような気がします。まして平均点が低くなりすぎる心配なんて、しないしない。
それどころか、「私の出した問題、解ける生徒が何人いるかな?」くらいの挑戦的な気持ちで作問していた先生も多かったのではないかという気がします。
*/
>問題1 次の式Pを簡単にしなさい。
>P = √(a^2) + √(a^2 -2a + 1)
著者が間違えたのは場合分けをしないでルートをはずすことだった。
場合分けをしながらルートをはずしてもよいが、まず絶対値を用いてルートをはずした方がケアレスミスの可能性が減ると思う。
P = |a| + |a - 1|
(1)a < 0
-a + (-a + 1) = -2a + 1
(2)0 <= a < 1
a + (-a + 1) = 1
(3)1 <= a
a + (a - 1) = 2a - 1
>友達もできないし、
/* 『河北新報』2018年(平成30年)7月3日(火)18面
【人間関係への処方箋】
【10年前刊行「友だち幻想」異例のヒット】
【故菅野仁 宮教大副学長著】
【学校なじめぬ娘に贈る】
宮城教育大副学長・教授だった故菅野仁さんが2008年に刊行した「友だち幻想」(ちくまプリマ―新書)が10年後の今、異例の売れ行きを記録している。根底にあるのは、学校になじめない娘に向けた社会学者である父からのメッセージ。世代や立場を超え、人間関係の悩みを軽くする処方箋として反響を呼んでいる。
版元の筑摩書房によると6月中旬現在で27刷25万部を突破。うち20万部以上が最近1年間に発行された。新書は通常、初版のみで重版がかかることは少なく、特異なケースといえる。
現代日本では多くの人が交友関係に価値を置く一方で、友だちづくりに苦労し、つながりを維持するための「同調圧力」に神経をすり減らす。本書は学校で唱えがちな「みんな仲良く」の理念や「自分を丸ごと受け入れてくれる友だちはどこかにいる」との考えは幻想だと指摘。思い込みを捨てて無用なつまづきを避け、他者と適切な距離を取りながら「生の味わい」を深める作法を説く。
菅野さんは仙台市出身。執筆のきっかけは小学生の長女が人付き合いが苦手で、担任から繰り返し「なぜみんなと一緒に遊ばないの」と注意され苦しんでいたことだった。専門とするドイツの社会学者ゲオルク・ジンメルの理論を現代的に捉え直し、易しい解説と実践の書にまとめた。
・・・・・
【ママ友や職場…世代幅広く】
【誰もが自分と重なる問題】
「友だち幻想」は2017年、新聞や雑誌で度々取り上げられ、再び注目を集め始めた。18年4月にお笑い芸人で芥川賞作家の又吉直樹さんがバラエティー番組で紹介し、ブームに拍車がかかった。
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*/
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201807/20180703_13036.html菅野仁氏は仙台一高・東北大卒。