20年前くらい、すでに、北高は、「中央に
模試で負けた」だの、「中央には負けるな」だの、教師陣が躍起になっていたので、北高という名前だけで、進学校では、なかったと思いますよ。
『東西南北』と言われていた、今の受験生のお母さん世代です。
その頃、山東には女子がクラスに5~6人。女子は西高、難しければば北高、そういう風潮でした。今、山東は半数が女子です。女子の意識が高まり、上にスライドしました。他にも要因は考えられますが、この現実もその一つです。
進学校には定義があります。
進学校と言えるのは、県から指定された「進学指導重点校」のみです。
北高や中央高は指定校ではありませんので元々進学校ではありません。
北高は西高に届かない生徒の受け皿なので、それなりに成績は良いですけれどね。
昔は南高に落ちると日大の特進に進学する人が多かったのですが、不況により公立志向が進み、今は東高に入れない男子が南高を受け、中央が南高に届かない生徒の受け皿になり、中央のレベルが上がってきています。
(日大など私立高校への進学数は、昔と比べると激減しています。)
県全体では少子化ですが、日大や東海大に進学する子が減ったため、山形市内は毎年激戦になっています。
ちなみに昔は進学校には裏定員があり、各校では女子の上限を決めていました。
東高は50人位でしたでしょうか。
毎年きっちり300人中100人しか女子を取らない学校も多かったです。
だから、50人に入れない女子は西高を受け、西高に入れない女子は北高を受けていました。
今はそんな男女差別は不可能ですけれどね。
30年ほど前までは実際にあったんです。
(東高の先生方は、「女を増やすと男が惑わされて成績が下がる」と公言して憚りませんでした。)
だから、女子は100人位が東高に入れるようになり、男子は逆に100人位が東高に入れなくなったため、それぞれ押し出されて、北高は相対的に落ち、中央は相対的に上がったのです。
凄くわかりやすい説明有難うございました。
村山地区だけで見ると女子の方が受け皿が多いと思うのは私だけでしょうか?
女子の受け皿が多いのは、前述の通り、昔東高が女子を締め出していたからです。
昔は東高の定員は315人(45人×7クラス)で、うち女子は大体1クラス分のみでしたので、少なくとも優秀な女子が100人以上締め出されていたのです。
だから北高という女子高の存在が必要だったのですね。
現在は東高に入る女子が約半数になりましたので、仰るとおり全体で見ると女子が有利な状況になってしまっており、不公平だと感じます。
県は南西北の共学化を決めた時に、もっと積極的に実質共学化を進めるべきでした。
実質別学になっている普通科の公立高校は、全国でももう数えるほどしかありません。
時代遅れと言って良いと思います。
南高に女子が入り始めたので、西北に男子が入り始めるのも間もなくかと思いますが。
以前、私が似たような質問をした時は、こんなに、丁寧かつ明確でわかりやすい回答を得られなかったので、今回の質問者様、羨ましいです。
ちなみに、進学指導重点校って、どこの高校ですか?調べてもわかりませんでした。
山形東西南、米沢興譲館、長井、寒河江、東桜学館、新庄北、酒田東、鶴岡南 です。
「進学指導重点 山形」とかでググれば何か事業名と学校名が出てくると思います。
要は進学指導のための予算が付いている、地域の拠点となる学校です。
東桜学館は内部生が高3になるまでの繋ぎなので現在は名ばかり進学校ですし、山形市内と寒河江・興譲館以外は定員割れですっかり落ちぶれちゃってますけどね。
それでも進学校以外と比べると予算面では何かと優遇されているようです。
(市内の某進学校出身ですが、先生がそれをよく自慢していましたw)
先生も、原則採用試験の成績が良い人や難関大を出ている人しか進学校には配属されないそうです。
ご丁寧にありがとうございました。地域拠点というのも納得しました。配属される先生にも条件があるとは知りませんでした。ありがとうございます。
ですと、男子大変ですね。とくに南。