寒河江高校は昔は頭良かった、は、昭和56年卒の私のことから言われていました。確かに高校の時の卒業生名簿を見た時は旧制寒河江中学の創立年は、卒業生の五人に一人は東大に進んでいたし、昭和56年時点で東大教授も地震研究所初代所長の茂木先生をはじめ4人で、5年に一人合格できるかどうかになっていた私の代は見る影もありませんでした。それでも同級生は東大に1人、東北大に10人、山形大に80人位は進学し、新潟や茨城大学のランキングにも載っていました。(学年ビリ経験もある私も浪人の末早稲田大学に進みました。)それがなぜレベルダウンしたかと言えば、西村山地区の15歳人口が1/3-1/4になってしまったからです。山形県全体でもそれは当てはまり、当時は山形東は、北関東以北ではナンバー1の進学高でした。今の進学先一覧を見て当時よりレベルが上がっているのは、山形東への女生徒進出で押し出された男子生徒の進学している山形南と山形中央です。山形南は当時から合格最低点は高かったですが、山形中央が山形北の
偏差値を抜くとか考えられませんでした。
ただ大切なのは最終学歴(学校歴以上に学習歴)です。
私は約50年ほど前卒業しました。東北大学に飽き足らず東京の一橋大学に進学しました。今もそうですが、文系では東大と並ぶ大学です。後にも先にも東大はいますが、一橋は私だけだそうです。だいたい頭いい奴は寒河江から東校へ通っていたが、家庭事情で東に行ける奴も寒河江高校へたくさんいった。寒河江高校でトップクラスは二桁10−20人くらいは毎年東北大学進学していたが、今見ると数人だね。大分レベル下がったと思う。OBとしては残念ですが、地方で頑張ればそれでいいかもしれません。機会があれば母校で特別講義でもやってみたい。その後ずっと東京で仕事していました。総合商社勤務です。