昭和50年〜昭和54年の北高になったばかりの当時は『福高に追い付け、追い越せ』と言われ、今でいう東高ポジションに北高はいました。
250点満点中200点以上で合格した人も沢山いました。
上は東北大や東京芸術大、福大や山形大も複数合格してました。
私立大学も早稲田や明治、立教、法政、中央なども合格してました。東北学院大は福島県で一番合格してた高校でした。
ただ昭和55年に東高が出来てから、成績優秀な人は東高に奪われました。
福高>東高>北高となり、昭和62年に南高が出来ると、さらに北高の地位は下がりました。
福高>東高>南高>北高となりました。
それでも推薦で国立大学に進学するような優秀な人もいましたが、西高が女子校から共学になり、北高はトドメをさされました。
北高の最上位にいた優秀な人も西高に進学するようになりました。
北高は定員割れ常連になり、学校は荒れていきました。
しかし平成13年に普通科から総合学科になり持ち直しました。
偏差値は高くありませんが、定員割れするような学校では無くなりました。
北高は福島市でNo.2の男子進学校でしたが、東高に抜かれ、南高に抜かれ、西高に抜かれ今日に至りました。
商業や工業よりも下になり、今では明成と互角ぐらいですが、今の北高は北高で良いのではないでしょうか?
大学進学だけが人生ではありません。色んな生き方があって良いと思います。
北高が昔は頭良かった学校だったのは事実です。