全くなかったですね。
水戸一と比べて
偏差値が低すぎるし、一高より格別駅に近いわけでもないし、
学費も高いし、私立特有の不自由な校則のある所もあるし、ただの下位互換でしかない。
強いて言えば、制服がないのは毎朝私服を選ぶのに少し面倒だったかもしれない。本当に些細で贅沢な悩みだけど。
開成・麻布とか、東大生産出校のような有名私立では、確かに、東大に入るための効率のいい指導が為されていると言われますね。でも、その分、雑多なストレスに弱い秀才が作成されがちな傾向は見られるとも言われます。
東大合格が、ゴールですかね??
>自分も東大受かるのに本当に苦労したよ
と仰っている卒業生さんは、きっと、その苦労もまた強みにできるはずではないかと思います。
逆に言えば、有名私立出身者さんたちの中には、環境があったから合格できただけの人もいるのかもしれないですよ。
東大に入れたというだけで、幸せに生きられるとは限りません。
以前解答した者です。
将来東大に入りたいと思っている在校生や、水戸一高受験生も少なからずいらっしゃると思うので、アドバイスもかねて書いておきますね。
まず、高校の教師は経験により自己の学歴を越えることが可能ではないかについてですが、勿論可能ではありますが、高校教育において難しいでしょう。
例えば天才でもない文系の凡人が東大入試を行う場合には、
国語は努力に結果が伴いにくい教科であるため勉強し過ぎず他教科に時間を回す、
数学においては微積の問題のみ時間を使って正確に解き、残りの問題は途中答案ですませる、といった方針が必要になります。
しかしながら高校教師が教えるのは、あくまで全ての設問一問一問それぞれを馬鹿真面目に正しく答える方法であって、合格に必要な部分を取捨選択して効率よく点を取る方法・戦略ではありません。損切りや合理化といった「無駄を捨てる」という思考法は、東大入試ひいては社会に生きる上でも非常に大切なのですが、真面目に努力する人間ほど気づきにくいものであり、毎年多くの
数学失敗者を出してしまっています。
また、各教科の講師が各設問に答えるための授業をする、という構造上、そもそも大学とは何をする場所なのか?といった本質的なことも教えられていません。大学とは論文を読み書く場所であり、そのためには緻密な論理的・合理的思考が必要不可欠です。
殊東大の入試問題に関してはそれが嫌という程表れているため、そのような思考プロセスと解答をしなくてはならないのですが、こうしたことも高校では教えていません。それを教えなくてはならない
国語の教師がしているのは、単に教科書を読ませ、問いに答える、ここにこう書いてあるからこの答えになる、これだけです。これでは塾で教わるか自力で気づくまで永遠に東大合格に必要な本質的な実力はつきません。
他にも色々ありますが…東大入試のように本人のそもそもの思考力や多教科の処理能力が問われてくる試験では、各教科「適度に」努力するバランスや、合理的思考プロセスが極めて重要なのです。これは自分が全教科解いて受かっていないとそもそも指導しようがありません。1教科のスペシャリストから教わってもそういった部分は伸びにくいのです。
まあこんなにけちょんけちょんにけなさずともと思われるかもしれませんが、これは頭の悪い人間だった自分が自力で気づくのに時間がかかってしまい、もっと早いうちに気づきたかった、と心底思うからであって、東大に入りたいと思っている在校生の方はぜひ参考にしてください。入りたくない人は参考にしなくていいです。真面目に授業受けて東北筑波受けるやら早慶の指定校推薦でも貰うやらしてください。
また、難関中高出身の人間が「東大に入るための効率のいい指導が為されている」ために「雑多なストレスに弱い秀才が作成されがちな傾向がある」とのことですが、それは全くの誤解です。勿論、彼らの中には「失敗したことがないことが悩み」であり、
「自分が本気で成し遂げたことなど一つもないのではないか」ということを悩んでいる人間がいたり、鬱病になる人間も少なからずいることも知っています。しかしながら、彼らの多くはそこで立ち止まることを止めません。彼らには自力で考えて問題を解決するだけの強い思考力や行動力があるのです。
自分にとって最善となる選択の為に考え、決断し、時に挫折したりもするのです。彼らは彼らで才能の壁に激突して別の目標へと切り替えたりする人間もいれば、夢をあきらめず失敗しても必死で努力する人もいます。
エリートが自分と違って苦労をしていないから弱いというのは、所詮はエリートになる努力も継続できずに途中で諦めた人間のしょうもない僻みに過ぎません。
また、「東大はゴールか?」ですが、当然違います。社会中枢への入場券です。逆に言えば、社会の中枢を担う人間として日々の激務に耐え有効な政策を提言し何千何万以上の人間の生活や何億円もの大金の運用に関わる重要な決断を行うためには、東大に合格する程度の合理的思考と素早い処理能力があって初めてスタートラインに立てるのであって、そういう最低限の能力すらない人間には社会中枢を担う適性がありません。だからこそ就活ではそういう能力すらない人間が勝手に弾かれる仕組みになっているのです。
良く「東大が全てではない」という人がいますが、別に官僚や大企業中枢、及びアカデミズムに関わっていく気のある人間、或いは社会中枢にかかわる人間との人脈形成を行いたい人間でもなければ別に東大に来なくて結構だと思います。
早慶以下の大学で就活まで遊んで「幸せ」とやらを掴んで下されば結構です。本気で世の中動かそうと東大に入ってくる人間は、そういった周りの「ありがたい」言説に耳を貸すことなく、大学入学後も必要な努力を続けて自己研鑽や人脈構築に励んでいくだけですから。
本当に疑問なのですが、なぜか東大に入る能力どころかそれを身に着ける努力すら怠った人間ほど、誰に言われずとも陰で懸命に努力をしている人間に対して、わざわざ「世の中をわかったような」「ありがたいお話」をさも「聖人」のごとく上から拭き散らしてその足を引っ張ろうとすることには、毎度のこと人間の業は深いものだなあと心から感心せざるを得ません。
彼らはさぞかしその高説にふさわしく、東大が入試問題を通して個人に問うている能力およびその社会的重要性を本質的に理解したうえで、東大出身者を卑下できるほどの多くの教養を持ち、素晴らしい論文を書き、社会的に役立つ政策を提案し、どれほど多くの激務を日々こなすキャパシティを持っているのでしょう。ぜひ一度拝聴したいものです。
まあこっぴどくこき下ろしましたが、歩く会とか学苑祭とか、そういうマイナス面を補ってあまりある楽しいイベントのある学校です。学校側に東大に合格する環境が整っているとは残念ながら言えませんが、たいてい毎年1人2人は東大でも上位に入るレベルの天才が入ってきますし、真面目に頑張れば東北筑波早慶には受かるポテンシャルのある高校です。ぜひ頑張って合格目指してください。