大学進学を重視するなら、どちらも似たり寄ったりですので、近いほうで良いと思います。ただ、妻一は駅から徒歩一分、スクールバスが8路線もあるので便利かも。妻一には創立100周年記念で建てられた為桜(いおう)学習館というのがあり、冷暖房完備で7時まで利用できます。また、妻一には入学時成績優秀者や、東大・筑波大医学部合格者に対して同窓会から奨学金(返済必要なし!)が支給されます。
部活重視ならそれぞれ強い部があるので、あなたがやりたい部活の活躍をHPを見て調べては。
妻一の校則は中学から見ると甘いと感じると思います。締め付けなくても自分で良識を持って判断できると信頼されているからです。多分、館一も甘いと思います。
妻一は土一と同時に県下2番目にできた旧制中学をルーツに持ち、昭和2?年には東大合格者が8名でた伝統校です。校歌は5番まであり、旧制一高(現東大)の寮歌と同じ、担任を「級監」、学級委員長を「会長」と呼び、「為桜体操」と呼ばれる70年前に考案された体操を今でもやるるなど、伝統が感じられます。「伝統」なんて関係ないよ、と思われるかも知れませんが、言葉では説明できない「伝統」が入学してみると感じられ、面白いです。卒業生もそうそうたる名前が連なり、格は上だと思います。卒業生だから言うわけではありませんが、同じようなレベルの成績で入れるならば妻一の方がお得だと思いますよ。
まず入学して、4月は驚きの連続でした。私の中学には万年1番の「目の上のたんこぶ」がいたのですが、彼は土一に行ったので、妻一では1番取るぞ!という意気込みでした。今思えば恥ずかしい限りですが、妻一は私くらいの学力が並で、1番なんか雲の上のまた上と言うのを痛感して、つらかったというより、思っていたよりとんでもないところにきたなという印象です。2年は遊びまくり、いわゆる中だるみというやつでした。一番つらかったのは3年の夏休み以降ですね・・。受験の影が忍び寄り、秋以降は日曜ごとに
模試があり、遊んでいる暇などない。「ななし」さんが言っているように、特に3年は遊べるような環境ではありませんが、館一も似たり寄ったりだと思いますよ。
2年でもっとやっておけば・・後の祭り。1月、2月は受験で、私はノイローゼにはなりませんでしたが、なった人の気持ちは良く分かりました。つらかったけど、無我夢中でしたね。運良く地元国立に受かりましたが、浪人していたら・・と思うとぞっとします。とにかく、大学受験は高校受験なんぞ問題にならないほど大変です。私のように途中サボると後が大変です。苦あれば楽あり、楽あれば苦ありは私の座右の銘です。まあ、楽しかったことと、つらかったこと、両方たくさんあり、思い出いっぱいの楽しい3年間でした。だからこうやって、卒業してから何年もたった今でも母校のことが気になってこうしたサイトを見ているわけです。
かつて閉平成初期までは下館一高に入れない生徒が妻一に行きました。私と同世代の方は圧倒的に舘一です。妻一は野球かサッカーか部活をやりたい人が行く学校でした。現に私の卒業した中学校は上位七人が土浦一、次の二十~二十五人が下館一高。そこに入れない人が下妻一高に行きました。だから下妻のOBは未だに舘一にコンプレックス持っています。下妻は常総線と言うローカル線しかないど田舎の街。下妻物語で有名。方や下館は水戸線が通る茨城県西部最大の中枢都市だったのです。妻一の逆転はつくば市との関係が強まぅたからだと思います。裏道を通ればすぐに竹園や並木に行けますしその逆も同じ。下館は都市としての魅力や開発が遅れておりそれがこの2校の逆転の原因です。昭和生まれの方は皆舘一が格上と認識しており、西部最高の高校と思っています。そう言うふうに教えられた。もし就職して職場の上司や経営者、先輩か下館一高出身だったら間違っても下妻一高の方が上とは言わない方がいいですよ。相当な反感を買います。妻一はスポーツ特待や推薦の割が高く、舘一は一般入試比率か高いため実力はそれほど変わらないかあるいは以前舘一が上かも知れません。かつての舘一は土浦一高のちょい下。日立一高と同じだった時代が長くあったのです。腐っても下館は県西部最大の都市であり甲子園にも出場していますからね。腐っても舘一だと思いますよ。