どちらかというと前女っぽいと言われた理由は何なんでしょうか?
その友達はオープンスクールで、前女=キャピキャピ&クラスのなかで目立つグループにいた女の子が集まっている、高女=静か&ちょっと地味というイメージをもったらしく、今中学校のクラスで、目立っていてみんなを引っ張ってくようなグループ(悪く言うと一軍のような)のなかいる私には前女があってるのではないかと考えたらしいです。
高崎に住む保護者世代ですが、その高女と前女のイメージは真逆だと感じます
昔から高女の方が垢抜けている感があります
人は表面的な事柄でものを見て語ってしまうことがあります。質問者の捉え方は非常に表面的な見方と感じてしまうのは私だけでしょうか?それから私が感じる質問者の文面は、最初から高女生を下に見ているとしか思えません。多分 他の高女生もそう感じていると思います。‘’なんかこの人デリカシーないな…‘’ と。
あなたが最初から下に見ている高女生と3年間過ごすより、あなたが自分と同じく活発でチャーミングだと思っている前女生と3年間過ごす方があなたにとっては楽しく意義ある高校生活になるんじゃないでしょうか? 私はそう思います。
私の文章能力に乏しいせいで高女生のみなさんに大変な失礼をしてしまって本当にごめんなさい…。
オープンスクールという短い時間での友達の感じた感想を勝手にその高校のイメージのように書いてしまって…
本当に反省しています…。
その友達も高女さんを志望校に決めたらしく、私も友達も高女さんのことを下に見たりは全くしていません。
これからは表現にもっと気をつけます…
厚かましいお願いとは思いますが、もし宜しければテストの配点も志望校を決める理由になったか教えて頂けましたら幸いです。
私は家が高女に近かったので、前女にするかどうかとは迷いませんでした。(前女でなければならない理由があれば遠くても前女に通ったと思いますが)
ですが、配点方法を考慮して高女に決めた人もいても不思議ではないし、いると思います。
私は受験校を決めるときに配点は気にしませんでした。理科社会が得意だったので前女の方が有利でしたが、家から近いから高女にしました。3年間も通うのでわざわざ遠くまで行くのは大変だな…と。高校受験なんて半年くらいのことですから、学校の雰囲気が自分に合うかどうかや通いやすさの方がよほど重要だと考えていました。
配点を第一に考えるという、言い換えればいわば小手先を使うような作戦で運良く合格しても、入学後やり遂げなければ卒業できない勉強量の多さ・難しさには小手先なんて通用しないし、小手先重視では希望の大学にも受からないと思う。どんな配点でも合格できる自信を持てるくらいの実力を持って入って来なければ
‘’こんな大変なら前女・高女になんか来るんじゃなかった……‘’という嘆き組に加わることになってしまうと思いますよ。入学後クラスの友達と話すとわかると思いますが、みんな中学の時の成績は一番二番という人ばかりの集まりなんですから。甘くみてると卒業も危うくなります。そこまで言うと余計なお節介かもしれませんが笑。
たいして変わらないから近いほうでいいと思う。
高女も前女も学校の雰囲気はそんなに変わらないような気がします。
両方のOGを見ても、高女の方があか抜けているか・・・何とも言えません。
それよりも、近年、前女と高女の差が顕在化して来たような気がしてます。
そちらの方が気になりますね。
理由は言わずもがなですが。
高女あるいは前女がゴールではありません。その先も見据えて頑張って下さい。
結局大学受験なんて個人の問題ですから、近くて通いやすいほうで十分だと思います。学校の雰囲気で勉強にやる気が出るかどうかなどの違いはあると思いますが。最近は前女さんのほうが倍率が高いので、前述の通り差が出るのも仕方ないかなと。私たちがもっと魅力ある学校にすべきなんですけどね。笑(本当かどうか分かりませんが、高女は受けたい大学を絞って受験させ、前女さんは受かりそうな私立などはどんどん受けさせると聞いたことがあります。笑) でもこれまで通学してきて、本当に家から通いやすい学校がいいなあと感じますので、参考までに。
↑の方の意見で、前女は幾つもの私大を受けさせてもらえるとしたら、なんで高女は絞らせるんでしょうか?
幾つも受けたい人だって かなりいると思うのですが、高女生は何校も受けたがらないということなのですか?言い方は悪いけど、私は出来れば下手な鉄砲も数打ちゃ当たる(笑)というかんじで、幾つも受けたいと思ってるんですが…浪人する経済的余裕はないので、その分幾つも受けたいなぁなどと浅はかかもしれませんが普通に考えておりました。高女だと絞らされてしまうのでしょうか?