親世代の学区制だった頃は今より市外への受験は難しかった。だから伊勢崎東、伊勢崎女子は有数の進学校というのはあながちウソではないと思います。実際
偏差値64くらいで前橋南も難しく伊女へ…というパターンあり。
伊女と伊東が一緒になれば良かったのに。
現在の前南・前東・太東生が集まり、桐高・太高生も多く、前高生も若干。そんな感じだったでしょうか。良い意味で幅が広い学校だったと思います。県下有数の進学校は伊東・伊女共にウソではないと思います。
昭和の後半の受験では、伊東も伊女も
偏差値58あれば余裕でした。56でも普通に入れました。昭和60年当時はたいした進学校ではありません。
有数の進学校っていつの時代ですか?もっとずっとずっと昔?
昭和の最後頃は学特はありましたよ。
模擬試験変わりに受けるように言われてあしかが学園を受けました。
偏差値60では太田も前橋も受かりませんから、伊勢崎の子は伊東・伊女に行くしかなかった。
でも、もっと頭のいい子は前橋や太田に行ってました。
大学進学実績をみても、有数の進学校派言い過ぎですよね。
県内有数の進学校は、今も昔も前橋・高崎・太田。観念はそこに中央が加わりますが、伊勢崎が「