どこの高校もだいたい、合格者の半分から3分の1くらいですかね。浦高はあくまで国立第一希望の人が大多数ですね。
合格者数は、1人で複数合格したものを全てカウントした述べ数
進学者数は、ユニークの1人をカウント
一般的に合格者数は1人で3つくらい合格しているケースが多いので、合格者数÷3でユニーク数が出るとされている
上の数字を見ると、早慶に関しては、今や、合格者数÷2が進学者数になっている感じです。
じゃあ合格したらほぼ進学してる感じですね。
早慶の上位学部(法、政経、経済、理工)に進学しているのはどれくらいの割合なんでしょう?
早慶入るのにも上位10%にいなきゃいけないんですか?
浦和・大宮とは大分差がありますね
浦和、大宮と比べちゃいかん
学校名で大学うかるわけではないんだから生徒それぞれの問題だろ?
うん、そうだけど。
どんなレベルの生徒が多いかは学校名で大概分かる。
↑うん。そう思う。
そのレベルってやつも時代によってかわる。大宮が川高と比較される時代が来るなんて誰も想像してなかっただろうよ。
比較してどうする、ってほどの差だが
そうか?もはや客観的に負けてるでしょ。
だから比較するのは無意味。結局は人。それに進学実績や
偏差値だけで学校の価値が決まるわけじゃない。
↑一番意味のないコメントだと思う。
進学実績も
偏差値も学校の価値を決める重要な要素だよ。みんな学校の評価見て志望校決めんだから。どんなレベルが集まるかは変わるでしょ。じゃ、なんで川高は浦高超えられないの?たまたま入った人の問題なの?
↑うん。そう思う。
個々の生徒で見れば逆転はいくらでもあるけど、それをもって個人の問題とは言わないでしょ。特に学区撤廃後は。
サン毎に文句言ったら?
そんな集計意味ない!学校じゃなくて人だ!って。
これ以上ない論破だな。
結局は人って意味不明。
結局は人、とか
偏差値や進学実績無視したら、どこの高校でも一緒だな。
いわゆる底辺高校と川高も同じ扱いになるよ?
浦高は現役で私大を受験する人は少ないそうですが、とはいえ、早慶現役合格者数の半分弱はそのまま進学しています。現役で早稲田政経や慶應経済はほとんどいなくて社学や商が多いです。
大宮高校と川越高校を比較する意味がわからない。通学時間の違い、男子校・共学どちらを好むかの違いじゃないの。うちから大宮高校時間かかるので選択肢に入らない。浦和も同じ。どちらもアクセス同じくらいの人は確かに悩むかもしれないがそんな人は全体の20〜30%くらいの話じゃないかな。それでも浦和の中位でうだうだするより川越高校のAランク(上位10パーセント)にいた方が幸せだし、受験結果もより良い結果に繋がるような気がします。
浦和の中位ならぜんぜん良い。
うん。浦和の中位なら旧帝一工堅いよね。
川越高校Aランク(上位10%)の多くは旧帝大、早慶上位学部に現役で合格しています。浦和の中位(350人中170位前後)の人もみんな旧帝大に現役で合格しているのですか?
文系の話ですが、国立志向の浦和高校では早稲田大学政経学部、法学部よりも、旧帝大の九州大法学部、大阪大学法学部、名古屋大学法学部、東北大法学部、北大法学部を希望するのですか?早稲田なら自宅から通学でき出費も地方の国立より安上がりのように感じます。就職活動でも早稲田は旧帝大に全く遜色ないように感じますが・・・。
浦高は、大学学部・現役一浪二浪別に、合格者数と進学者数をすべて詳細に公開していますので、保護者の方の疑問も解決すると思います。
鶏口牛後って言葉があるけどな
文系だったら 早慶>東大京大以外の旧帝大
理系だったら 同じくらいか旧帝大の方が少し上
共通1次導入直後期=学区制導入直後の1980年代前半頃の話。
浦和熊谷川越は全員数3までやった。
浦和は高2の3学期までに文理問わず数3まで終わらせた。熊谷、川越は数3終了が高3の1学期まで掛かった。
浦和は、高3で文理クラスに分けたのかは不明だが、文系3〜4理系6〜7の割合で理系優勢だった。文理とも、殆ど全員国立が第一志望で共通一次試験を受験。現役では国立専願者が多かった。早慶受験して受かっても現役では蹴って、駿台東大クラスに行く者多数。当時も現役進学率は30%程。文理を問わず国立志向が強く、全国の旧帝大に合格者を出していた。
熊谷は3年間文理にクラス分け無し。熊谷は入学時点から上下の学力差が大きく、上は東大理3京医が複数出る年まであるほど優秀な一方、
数学だけでなく全体的に落ちこぼれてで日東駒専レベルの私文専願者も多く、同じクラスで玉石混交状態だった。現役進学率は40%台。浦和とは学力分布が大きく違っていたにも関わらず、駿台
模試受験者は浦和と同じ位多かった。
川越は3年生は文理別クラス分け。文理比率は半々。クラスも半分ずつ。
文系クラスも数3までやった。数3αが数3教科書、数3βが数1の共通1次マークシート対策の問題集解く演習授業だった。
理系はほぼ全員が共通1次試験受験。文系は共通1次受験者が半分。残り半分は
数学理科は捨てて私立専願。浦和熊谷に比べ駿台
模試受験者が少なかった。学生運動が盛んだった影響か、文系は特にジャーナリスト志望で早稲田を志望する者が多かった。早稲田西武沿線居住者は高田馬場に直通で早稲田に近いということも要因。川越では文系は東大京大一橋に届かないと、外語大を特に志望でもしない限り、地方帝大でも国立は志望しないで、早慶専願に割り切るのが定番だった。その点文系でも地方国立志向の高い浦和熊谷とは違っていた。現役進学率は共通1次導入した当時は50%を少し割る程度だったが、数年間で難関国立志向が高まり急落し40%を割りだした。
1979年の学区制導入前までの進学実績も高校入試
偏差値も序列は浦和>>熊谷>川越だった。
浦和熊谷の国立志向、川越の私立志向は学力差の反映だったともいえる。学区制導入期は西部の浦和に行けない層が川越に回った為、進学実績も
偏差値も上がり県内2位となったが、勉強を優先しないあの学風は変わらず、学区制撤廃で最優秀層はやはり浦和に行くようになり、川越は元に戻ったと言える。学区制時代の進学実績向上は張りぼてだった。
今、中高一貫の国立私立進学校では中学3年時には高1の数1と数Aは終わらせている。高1で彼らは数2と数B終わらせ、高2までに数3は終わらせる。
それを浦和は高1項2の2年間で数1から数3まで一気に詰め込んでいたわけだ。今はどうか知らないが、先取りで教科書は早く済ませて、高3は受験用の演習の授業にしないと、とても東大合格者を多数出すことは出来ない。
今の川越は、2年生で文理分けて、3年生では文系は国立クラスと私立専願クラスに分けている。
ぶっちゃければ、高校のカリキュラムは理系を選抜する為に出来ている。
数学が出来なければ国立無理で、
数学が出来ても物理化学ができなきゃ理系には進めない。
無駄に長い。ポイントまとめて。
80年代〜90年代前半の受験人口が多かった時代、文系は一橋より早慶上位学部(経済、政経、法)が格上にみられていた。中央法もブランドだった。実際に司法試験合格は東大、早稲田、中央がつねにトップ3。
不況で70年代までの国立人気が復活したんです。社会にも在野の精神が消えたかもね。
80年代〜90年代前半の受験人口が多かった時代も、一橋の方が早慶上位学部より遥かに格上でした。司法試験志向の大学とそうでない大学があって、東大早大中央はその志向が強く、一橋慶応は弱かっただけの話。中央は頭悪いのに司法試験に挑む身の程知らずが昔から山ほどいる。多浪の末一生終える者も少なくないんだよ。東大も官僚試験失敗して司法試験にシフトして結局受からず一生終えてしまう者もいる。一橋と慶應は昔から民間企業の請けが良く就職貴族だったから、始めから司法試験に目もくれず一流企業に入って行った。ハイリスクの司法試験をわざわざ受けずに済んだし、東大のようにプライドが高過ぎず合理主義者が多かった。
因みに80年代〜90年代前半の全盛期の川高でも、現浪合わせて東大は文系クラスに1人平均、一橋もクラスで2人か3人しか受からなかった。要するに東大一橋を受けられる学力があったのはクラスでせいぜい10番位までで、受かるのは3人から4人位。東大一橋受験者は滑り止めの早慶は確実に受かった。
早稲田はクラスのほぼ全員が受けて、クラスの半分までに入ってれば受かったよ。
数学が全く駄目でも英数社3科目だけ頑張って
私立専願で早稲田政経受かる子も結構いたよ。
参照
80年代〜90年代前半の全盛期の川高
東大 15人前後
京大 2〜3人
一橋 10人台前半
東工大 10人台後半〜20人位
国医 10人以上 詳細不明
所謂東京一工で50人
最近は全盛期の半分だし特に東大が絶滅寸前。
最上位層が入学してこなくなったんだろうな。
全盛期の川高
Aランク人数<東・京・一・工・国医の合格者数
Aランカーは大方浪人も覚悟で東京一工を志望した。現役に拘る人で国立なら東北、私立なら早慶で妥協できるなら、そこに集中して勉強すればAランカーなら現役で、ほぼ確実に受かった。