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慶應義塾高校のWiki
慶應義塾高校 ナビランク(55位/5677校中)
基本情報
Infobox 日本の学校
校名:慶應義塾高等学校
国公私立:私立学校
設置者:慶應義塾
設立年月日:1948年
創立者:福澤諭吉
共学・別学:男子校
中高一貫教育:併設型
(慶應義塾普通部との関係)
連携型
(慶應義塾中等部との関係)
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:普通科
学期:3学期制
高校コード:14523J
郵便番号:223-8524
所在地:神奈川県横浜市港北区日吉4丁目1番2号
緯度度:35 緯度分:33 緯度秒:5.16
経度度:139 経度分:38 経度秒:58.7
地図ズーム:13
地図WikiData:yes

'''慶應義塾高等学校'''(けいおうぎじゅくこうとうがっこう、Keio Senior High School)は、神奈川県横浜市港北区日吉4丁目に所在する私立男子高等学校。

略称は「'''塾高'''(じゅくこう)」、「'''慶應日吉高'''」など。高校野球では、原則として新字体を用いるため校名表記は「'''慶応'''」。

概要


1898年(明治31年)に設立された旧制の慶應義塾普通学科は、のちに慶應義塾普通部と改称し、旧制中学校5年制に相当した。戦後の1948年(昭和23年)の学制改革で、慶應義塾普通部は新制中学校に名を留め、新制高等学校は新たに「慶應義塾第一高等学校」「慶應義塾第二高等学校」が設置された。翌1949年(昭和24年)に第一・第二両校が統合され「慶應義塾高等学校」として発足した。

慶應義塾内では大学とともに独立した一組織という位置付けとなっている。実際には90%以上の卒業生が慶應義塾大学へ推薦入学しており、事実上は大学を中心とした附属校といえる。このように慶應義塾の一貫教育校として、卒業すればほぼ全員が慶大に進学できるが、各学部ごとに定員が決まっている。

特に医学部に入学するには、学年で上位20名程度の高い成績が必要となる(ただし、医学部側で成績の最低ラインが定められているわけではない。定員が22名であり、毎年のように希望者がこの人数を上回るため、事実上第一希望者のうち上位22位までに入る必要がある。この(事実上の最低)ラインが10段階評価で8.5〜9.0辺りとなるのが通例)。

国会議員(現役)や一部上場企業社長(現役)等を務める卒業生の数が、全国の高校で最多であると、マスメディアで取り上げられることがある。

入学者は、慶應義塾普通部の大半からの入学者(約240名)、慶應義塾中等部男子の大半からの入学者(約130名)の内部進学者、外部の中学校からの外部入学者(約370名)で構成される。一学年のクラス数はA組 - R組の18クラス、内部進学者数は年ごとに多少変動がある。2017年時点の1学年の人数は約720人、全校生徒は約2200人であり、マンモス校と見なされることがある。

使用されている白亜の現校舎は元々は旧制大学予科の校舎で、1934年(昭和9年)に竣工。新制慶應義塾高校発足直前までGHQにより接収されていたという経緯をもつ。「かながわの建築物100選」に指定されており、建て替えや改築が禁止されている。

第一校舎 日吉_慶應義塾高等学校.jpg第一校舎概観
第一校舎-慶應日吉.jpg第一校舎
Navy Ruin-1.jpg地下壕入り口
Keio Univertsity Hiyoshi Campus Ground.jpgグラウンド
日吉会堂.jpg日吉会堂
柔道場.jpg柔道場


沿革


・ 1948年 - 旧制の慶應義塾普通部・商工学校を基に慶應義塾第一高等学校・第二高等学校が発足。麻布新堀町の中央労働学園を仮校舎として授業を開始。
・ 1949年 - 第一高校・第二高校が統合、慶應義塾高等学校となる。日吉校地に移転(10月)。
・ 1963年 - 日吉会堂完成。
・ 1969年 - 『慶應義塾高等学校紀要』を創刊。
・ 2003年 - 推薦入学試験を実施。文部科学省からスーパーサイエンスハイスクールに指定される。
・ 2005年 - 3年次の卒業研究論文が必修となる。
・ 2009年 - 蝮谷体育館完成。
・ 2018年 - 日吉協育棟完成。
1948年
前年に公布された学校教育法に基づき、新制高等学校として「慶應義塾第一高等学校・第二高等学校」が発足。
三ノ橋校舎(麻布新堀町、中央労働学園専門学校校舎)にて授業を開始。
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1949年
「第一高等学校・第二高等学校」の名称を廃止し、「慶應義塾高等学校」となる。
同時に三田山上(1・2年生使用)を本校舎、三ノ橋校舎(3年生使用)を分教場とした。
アメリカ軍より日吉返還される。
アメリカ軍より返還された日吉(現第1校舎)へ移転。
授業を開始。
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1949年11月
自治会・文連・体連の三者共催で第1回日吉祭を開催。
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1951年3月
自治会がすべての任務を終了し、新たに生徒会して発足。
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1951年4月
生徒会が第1回学園評議会を開催。
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1952年4月
1・2年生が月島港より旅行に出発。
1年生は日帰りで千葉勝山から東京湾めぐり。
2年生は大島へ1泊旅行。
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1952年5月
日吉の陸上競技場で第1回陸上運動会を開催。
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1952年9月
全校で学校行事としての修学旅行に出発。
3年生は北海道、2年生は裏磐梯、1年生は草津の各方面へ。
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1955年5月
「マムシ谷」にバスケットコート4面・バレーコート5面が完成。
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1955年11月
第6回日吉祭が行われたが、初めて女子高と共同で開催。
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1956年6月
9月の修学旅行を6月に移動。
3年生は北海道、2年生は北陸、1年生は東北の各方面へ。
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1956年10月
第7回日吉祭開催。この年から後夜祭が行われるようになる。
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1958年
完成した日吉記念館で慶應義塾創立百年記念式典を開催。
日吉祭実行委員会主催で初の関東高校学生招待会議を開催。
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1959年3月
第10回卒業式を初めて屋内(日吉記念館)で開催。
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1959年4月
初めての生徒手帳を作製し全員に交付。
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1963年
日吉会堂が完成。名称は教職員・生徒からの公募で決定。
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1963年6月
夏季略装でシャツ左胸部分に徽章を付けることになる。
新聞会発行の「ザ・ハイスクール・ニュース」第139号が高等学校新聞連盟第1回全国コンクールで最優秀紙に選出。
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1968年10月
慶應義塾高等学校創立20周年記念式典を開催。
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1970年5月
特別教育棟(現A棟)が完成。
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1973年11月
特別教室棟にプラネタリウムを設置。
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1984年3月
新棟(現B棟)・地下体育館が完成。
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1990年11月
A棟にコンピュータ教室を新設。
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1994年4月
新カリキュラムが実施され、家庭科を設置。
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1994年8月
旧美術室棟を改修し、体育科視聴覚教室兼美術科鍛金教室が完成。
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1995年6月
中断していた招待会議が、本校・女子高ほか13校から94名が参加して開催。
スクールカウンセラーが生徒の相談を受ける相談室が設置。
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1996年4月
従来の『生徒手帳』に代わり、本年度より本校での生活概要をまとめた『塾高ガイド』が新しく作られ生徒全員に配布。
これまで別々に発行されていた『永久機関』『丘の上』『若き血』が『新世紀』(1年生用クラブ紹介等)としてまとめられ、1年生に配布。
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1999年2月
各学年で行われていた修学旅行をやめ、「選択旅行」形式に変更。
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1999年5月
1年生の修学旅行が1泊2日の親睦旅行へと改められる。
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2002年4月
1年生全員を対象としたBLS (Basic Life Support) 教育・普通救命講習が開始。
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2003年1月
新たに推薦入学試験(募集人員約40名)が制度化され実施。
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2003年4月
新カリキュラムが実施され、数学と英語の授業に習熟度別クラス編成を導入。
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2003年4月
文部科学省のスーパーサイエンスハイスクール (SSH) に指定。
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2005年4月
新カリキュラムへの完全移行に伴い、土曜日を休みとする週5日制が採用。
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2005年4月
3年生による卒業研究論文の提出が必修化。
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2009年4月
南側グランドが人工芝化。
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2009年11月
蝮谷体育館が完成。
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2013年4月
新1年生を対象に新カリキュラムが開始。
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2018年8月
日吉協育棟が完成。建物の名称は「交流館」と「創造館」となる。
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2022年4月
新1年生を対象に新カリキュラムが開始。
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2023年8月
夏の甲子園で107年ぶりに優勝。

施設


・ 慶應義塾大学日吉キャンパス内において他の大学施設と一体化しており、高校独自の校門が存在しない。
・ 広大な校地に、アメリカンフットボール場、体育館、バレーボールコート場、南側グラウンド、日吉会堂、柔道場を有している。
・ 運動場の下には地下壕が現存しており、戦時中には連合艦隊司令部、海上護衛総司令部が置かれていた。現在月1回程度、地下壕見学会が行われ、学外者にも公開されている。
・ 学食も設置されている。
・ 高校の図書館だけで、10万冊の蔵書がある。
・ 天体望遠鏡、プラネタリウム、フーコーの振り子といった設備もある。
・ 慶應義塾高校の学生証で大学図書館(メディアセンター)に入館できる。また、大学生協や学生食堂といった大学の他の施設を利用することもできる。

制服

男子校の伝統でもある金ボタン5個仕様の黒詰襟学生服を制服としている。学帽も制定されているが、現在は自由化されている。

応援


date:2023-08

慶應義塾の設置する一貫教育校である本校は、卒業後にほとんどが慶應義塾大学に進学する。文連・体連をはじめ課外活動が活発である。慶應義塾の、「気品の泉源、智徳の模範」(学問を通じた人格形成)、「独立自尊」(心身の独立と自他の尊重)を通じて全社会の先導者を輩出するという創立の精神を脈々と受け継ぐ中で、社中(塾関係者を包摂する呼称)が一体となり完成度の高い応援が確立されている。

応援では「若き血」「Titan」「Sirius」「烈火」「ダッシュケイオウ」などが歌われる。

以下に107年ぶりに優勝した2023年夏の甲子園の應援(塾内では、応援に特別の意味を込めるとき旧字体で表記する場合もある)で使用された曲(チャンスパターン)を示す。基本的にこの順番で演奏される。

通常行う「我ぞ覇者」「Blue Sky Keio」などの曲は省略されている。

回曲
回の最初に演奏される曲のこと。
・ 1回 - 若き血
・ 2回 - ファンファーレ燧(すい)(第105回大会を記念し、吹奏楽部の生徒により作曲された。)
・ 3回 - 三色旗の下に
・ 4回 - 心絵(チア曲と呼ばれている。慶應義塾女子高等学校のバトン部の生徒らがパフォーマンスする。)
・ 5回 - 若き血
・ 6回 -「森林が足りない」(「盛り上がりが足りない」を野球部の生徒が森林貴彦監督に合わせてアレンジした。直後に「シリウス」に入る。)
・ 7回 - 若き血
・ 8回 - ファンファーレ燧(すい)
・ 9回 - 若き血

ファンファーレ
「Titan」
・ 回曲の後に続けて演奏される。

マーチ曲
1. 「Sirius」「Antares」「孔明」
2. 「Animal」「Soleil」「疾風(はやて)」「Patriot」(繰り返す場合があり、その際はコールが入る。疾風のコールは、塾高では大学で使用するPhoenixと同様にKeio we wanna get a chance!となり、大学のKEIO 慶應! KEIO 慶應! とは異なる。)
・ 1と2を交互に繰り返し、コネクションに繋いでいく。

「烈火」
塾高オリジナル曲で、試合の展開を左右する白熱した局面で演奏される。大学の「朱雀」に対応する。

コネクション
「Arabian Connection」「Spanish Connection」
・ 戦況把握を担当する者が得点のチャンスに入ったと判断すると、マーチ曲から移行する。

「突撃のテーマ」
単独で繰り返すこともある。

「コールケイオー」

「ダッシュケイオウ」
得点するか回が変わらない限り、マーチ曲には戻らず単独で繰り返すことが多い。「コールケイオー」を挟んでから再び繰り返す。

「若き血」(得点時)
社中が一体となって得点の喜びを皆で分かち合い、肩を組みながら歌うことが義塾の誇るべき伝統である。

慶應義塾塾歌
勝利した際、音源で演奏される。

なお「慶應義塾塾歌」とは別に、塾高独自の校歌(「慶應義塾高等学校の歌」:村野四郎作詞、服部正作曲)が存在する。野球の試合(県大会や甲子園)で塾高が対戦校に勝利した際は、塾歌が「慶應義塾高校校歌」として歌われる。

教育方針

明文化された校則はほとんどない。しかし、トイレで同個室に複数人で入ると停学処罰される(喫煙防止が目的:通称「ワンボックス」)、カーディガン禁止(英国紳士は自宅でしかカーディガンを着ないという理由だとも言われるが、教員でさえ正確には分かっていない)など、ユニークな校則もある。

課業

授業は1日6時限(1時限50分)で週5日制。8:20から授業開始、終了は14:50である。HRは木曜日の7時間目にある。

教育課程

2年次より第二外国語、3年次より選択教科目が導入されている。3年次に「卒業研究」(大半の講座は論文形式)が卒業の要件として義務付けられている。

2003年から2008年まで文部科学省指定のスーパーサイエンスハイスクールに指定されていた。

慶應義塾では水泳が大学や小・中で重視されているが、高校では水泳の授業はない。プールは部活動施設として利用されている。

入試


一般入試と推薦入試の2つがある。
・ 一般入試では募集定員が約330名、第1次試験は国語、数学、英語の3科目で、第2次試験は面接で合否判定される。
・ 推薦入試では募集定員が約40名、第1次試験が書類審査、第2次試験が作文と面接で合否判定される。

進路


卒業生のほとんどが、慶應義塾大学に推薦入学する。

慶早戦

六大学野球慶早戦が行われる時、慶早戦が1勝1敗で月曜日以後に持ち越しとなった際には決着が付くまで休講となる(現在はカリキュラム変更に伴い、優勝が懸かった場合のみ休講)など、独自の文化に根ざした運営を行っている。

日吉祭

日吉祭(文化祭)は、毎年11月に行われる。来場者数は2日間で1万人を超える。

選択旅行

全校的学外活動としては、一般の修学旅行に当たる選択旅行がある。選択旅行に参加しないと卒業できない。

部活動


部活動には文化系と体育系がある。参加する生徒が多く、とても盛んである。
・ 同高校では、野球部・端艇(ボート)部・ラグビー部・映画部といったクラブだけでなく、高校では珍しい馬術部やヨット部、ホッケー部、自動車部、航空部、慶應義塾ならではの福澤研究会といった、特色ある部が存在する。その反面、部員ゼロという状態が続く部も少数ながら存在する。

文化系クラブ(文連)

ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ、ギター・アンサンブル、クイズ研究会、ディベート部、フォトフレンズ、マンドリンクラブ、ライブラリー・クラブ、仏教青年会、化学研究会、吹奏楽部、地学研究会、奇術部、情報科学研究会、放送研究会、数学研究会、文芸部、映画部、書道部、棋道部、楽友会、演劇部、漫画研究会、生物学研究会、福澤研究会、美術部、英語会 (E.S.S.)、茶道部、鉄道研究会、電子工学研究会、音楽鑑賞会。
・ ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ、演劇部、ESS、楽友会、マンドリンクラブ等の文化系部活動は、慶應女子高と協同で行っている。活動場所も、部活動によっては三田の慶應女子高校舎を利用している。
・ 應援指導部・吹奏楽部・女子高バトン部の3部は「應援3部」と呼ばれ、慶早戦や甲子園の応援などで共同で活動し、交流が盛んである。吹奏楽部は東関東大会金賞。
・ マンドリンクラブが、2004年に第34回全国高等学校ギターマンドリンフェスティバルで朝日新聞社賞を受賞。
・ 2007年に映画部のメンバーが中心となり、数名で制作されたコメディ作品『ワッショイ!』が、第2回高校生映画コンクール(映画甲子園)において、最優秀作品賞(グランプリ)・中央出版株式会社賞などの賞を獲得し、6冠に輝いた。
またその翌年、別の生徒有志によって制作された『第三の眼』が、同大会において最優秀作品賞、最優秀美術賞を獲得した。
・ クイズ研究会が2013年の第33回全国高等学校クイズ選手権優勝。全国高等学校野球選手権大会と全国高等学校クイズ選手権大会を制した学校は、静岡高校、西条高校に次いで3校目となる(私立高校では初)。
・ ディベート部が2017年第22回ディベート甲子園で優勝。また、2021年の第26回大会でも優勝し、東海高校、創価高校に次いで3校目の複数回優勝校となった。

体育系クラブ(体連)

アメリカンフットボール部、ゴルフ部、サイクリング部、スキー部、スケート部(スピード)、スケート部(フィギュア)、スケート部(ホッケー)、ソッカー部(サッカー)、ソフトテニス部、ハンドボール部、バスケットボール部、バスケットボール部B、バドミントン部、バレーボール部、バレーボール部B、フェンシング部、ホッケー部、ボクシング部、ヨット部、ラクロス部、レスリング部、剣道部、柔道部、空手部、合氣道部、少林寺拳法部、卓球部、器械体操部(トランポリン)、器械体操部(器械体操)、射撃部、山岳部、庭球部、弓術部(和弓)、應援指導部、拳法部、水泳部(水球)、水泳部(競泳)、水泳部(葉山)、水泳部(飛込)、洋弓部(アーチェリー)、相撲部、端艇部(ボート)、競走部(陸上競技)、自動車部、航空部、蹴球部(ラグビー)、軟式野球部、重量挙部、野球部、馬術部。
・ ゴルフ部は同じ日吉内にある慶大の練習場を借りて行っている。
・ アメリカンフットボール部が、2005年度全国高等学校アメリカンフットボール選手権大会で22年ぶり3度目の優勝。
・ バスケットボール部は1970年のインターハイで準優勝。
・ ラクロス部は日本で初めてのラクロス部として1985年に発足。現在関東学生(大学生)3部リーグに所属している。
・ 弓術部(弓道部)が、平成18年度国民体育大会・少年の部優勝。
・ 端艇(ボート)部が2016年に第27回全国高等学校選抜ボート大会の男子ダブルスカルの部において優勝。
・ フェンシング部が2018年度全国高等学校選抜フェンシング大会のフルーレ種目において団体優勝。

硬式野球部

1888年創部の三田ベースボール倶楽部を起源とする。1948年の高等学校開設とともに高等学校野球部となり、現在に至る。旧制時代は慶應義塾普通部と慶應義塾商工学校が別にあり、選手権大会ないし選抜大会にはいずれかの野球部が出場していたため、現在の高等学校野球部としては旧両校の出場回数を合算した上での出場回数となっている。また、高校野球の応援席で男子校としては珍しく、女子高バトン部も應援指導部、吹奏楽部とともに応援に参加している。

部訓は「エンジョイ・ベースボール」。自由かつ伸び伸びと野球を楽しむことを日頃から重視している。髪型も自由としており、実際に坊主頭でない部員も多い。
・ 1916年の第2回全国中等学校優勝野球大会(現:全国高等学校野球選手権大会)では普通部が初出場、初優勝を果たしている。
・ 1949年までは東京府または東京都対象、1950年以降は神奈川県大会から出場している。
・ 2005年、45年ぶりに第77回選抜高等学校野球大会に出場。ベスト8へ進出した。主力はスポーツ推薦組である。
・ 2008年には第80回選抜高等学校野球大会に3年ぶり7回目の出場。また、第90回全国高等学校野球選手権記念大会では神奈川大会が北神奈川大会と南神奈川大会とで分割されたため、北神奈川大会に出場した決勝戦で東海大相模を破り、46年ぶり17回目の出場。南神奈川代表の横浜高校と共に春夏連続出場を果たし、ベスト8に進出する成績を上げた。また、この大会には力道山の孫が投手として出場したことでも話題となった。さらに、同年の秋季神奈川県大会で優勝、その後に続く関東大会でも千葉県の習志野高校を破り、優勝している。また、その後の第39回明治神宮大会・高校の部でも奈良の天理高校を破り優勝。
・ 2009年、第81回選抜高等学校野球大会に出場(2年連続8回目)。
・ 2018年、第90回記念選抜高等学校野球大会に出場(9年ぶり9回目)。開会式の入場行進で使用したプラカードには『応』の字の『心』の左側の点が欠けた状態で書かれていたため、大会本部が謝罪した。揮毫時は正しく書かれていたが、業者がシール化したものを貼る際に誤りが生じたという。第100回全国高等学校野球選手権記念大会に北神奈川代表として出場(10年ぶり18回目)。春夏連続出場を果たした。
・ 2023年、第95回記念選抜高等学校野球大会に出場(5年ぶり10回目)。第105回全国高等学校野球選手権大会に出場(5年ぶり19回目)、第6回大会以来103年ぶりに決勝に進出し、仙台育英を8対2で破り107年ぶりの優勝を果たした。

モデルとなった作品など


・ 石原慎太郎の小説『太陽の季節』- 著者の弟・裕次郎の塾高における友人とその日常をモデルに書かれた作品。
・ 加山雄三の自伝『〜id:Gu3nruG7nnMC&pg:PA27&lpg:PA27&dq:%E6%B9%98%E5%8D%97%E8%AE%83%E6%AD%8C+%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E5%AE%9F%E6%A5%AD+%E6%97%A5%E6%AF%94%E8%B0%B7%E9%AB%98%E6%A0%A1&source:bl&ots:GQ_tfMv-A2&sig:ACfU3U3Tf_pODxe-FZp1HdqfFgYvcKdhyQ&hl:ja&sa:X&ved:2ahUKEwiGqcvB8dnmAhW5L6YKHRSYDm8Q6AEwAHoECAkQAQ#v:onepage&q:%E6%B9%98%E5%8D%97%E8%AE%83%E6%AD%8C%20%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E5%AE%9F%E6%A5%AD%20%E6%97%A5%E6%AF%94%E8%B0%B7%E9%AB%98%E6%A0%A1&f:false 湘南讃歌』- 塾高時代はボクシングやバンドなどを始め、また冬の季節になると海から山に興味関心が湧き移りスキーを始めた。後の慶應大学時代には、スキーで念願の国体蔵王大会に出場した (pp.28-40)。
・ 松本隆の小説『微熱少年』- 東急東横線沿線にある「小高い丘の上」の大学の附属高校が舞台になっている (pp.79-80)。その一節より、「学生服のボタンを見ただけで、初対面の女の子たちの応対が変わるのが厭だった。彼女達の評価してるのは、自分の服で、中身でないような気がした」(p.80)。

関連団体

・ 慶應義塾高等学校同窓会 - 同窓会の名称。1980年(昭和55年)設立。

歴代同窓会会長
※ 2024年1月現在
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氏名
関係団体等役職(2024年1月現在)
-
1
平井寅一

-
2

-
3
村田作彌
同高同窓会事務局長、連合三田会事務局長
-
4
高橋治之
同高同窓会評議員
-
5
森口一

-
6
服部真二

-
7
永野毅

高校関係者一覧

慶應義塾高等学校の人物一覧

交通アクセス


・ 東急電鉄の東急東横線、東急目黒線、東急新横浜線、横浜市営地下鉄グリーンライン「日吉駅」から徒歩1分

外部リンク


Keio Senior High School
慶應義塾高等学校
慶應義塾高等学校同窓会

Navboxes
title:部活動実績

'''慶應義塾高等学校の人物一覧'''(けいおうぎじゅくこうとうがっこうのじんぶついちらん)

慶應義塾高等学校の主な出身者・教員・関係者など。

教職員


・ 鏑木文隆 - 体育教員、柔道部部長
・ 清崎敏郎 - 元国語教員
・ 瞳みのる(本名:人見豊) - 元漢文教員、音楽家(元ザ・タイガースドラマー)

政界

''50音順''

・ 石破茂 - 衆議院議員、元防衛庁長官、元防衛大臣、元農林水産大臣、元自民党幹事長、元国家戦略特別区域担当大臣、元地方創生担当大臣
・ 石原伸晃 - 衆議院議員、元行政改革・規制改革担当大臣、元国土交通大臣、元自民党幹事長、元環境大臣・原子力防災担当大臣、経済再生担当大臣
・ 石原宏高 - 衆議院議員、内閣府副大臣、元外務大臣政務官
・ 石森久嗣 - 元衆議院議員
・ 石渡徳一 - 前鎌倉市長
・ 伊藤信太郎 - 衆議院議員
・ 伊藤達也 - 衆議院議員、元金融担当大臣、元内閣総理大臣補佐官
・ 糸川正晃 - 元衆議院議員
・ 江崎洋一郎 - 元衆議院議員
・ 遠藤乙彦 - 元衆議院議員、元財務副大臣
・ 太田誠一 - 元衆議院議員、元総務庁長官・中央省庁改革等担当大臣、元農林水産大臣
・ 大塚拓 - 衆議院議員、財務副大臣、法務大臣政務官、内閣府大臣政務官
・ 大野元裕 - 埼玉県知事、元参議院議員
・ 大野泰正 - 参議院議員
・ 奥野信亮 - 衆議院議員
・ 越智隆雄 - 衆議院議員
・ 亀井善太郎 - 元衆議院議員
・ 岸信夫 - 衆議院議員、防衛大臣、元参議院議員
・ 河野太郎 - 衆議院議員、外務大臣、元国務大臣
・ 小坂憲次 - 参議院議員、元文部科学大臣、元衆議院議員
・ 桜内義雄 - 元衆議院議長
・ 高村正大 - 衆議院議員
・ 武見敬三 - 参議院議員、元厚生労働副大臣
・ 竹下亘 - 衆議院議員、自民党総務会長、元財務副大臣、元復興大臣
・ 佐藤公治 - 衆議院議員
・ 長島昭久 - 衆議院議員、元防衛副大臣
・ 中曽根弘文 - 参議院議員、元文部大臣・科学技術庁長官、元外務大臣
・ 中曽根康隆 - 衆議院議員
・ 中村時広 - 愛媛県知事、前松山市長、元衆議院議員
・ 西田実仁 - 参議院議員
・ 野中厚 - 衆議院議員
・ 福田達夫 - 衆議院議員
・ 松沢成文 - 元参議院議員、元神奈川県知事、元衆議院議員
・ 松野頼久 - 元衆議院議員
・ 松本洋平 - 衆議院議員
・ 山岡達丸 - 元衆議院議員、元NHK記者
・ 若宮健嗣 - 衆議院議員、国務大臣
・ 渡辺美知太郎 - 栃木県那須塩原市長、元参議院議員

官界

・ 藤崎一郎 - 在アメリカ合衆国特命全権大使、元ジュネーヴ国際機関政府代表部大使、元外務審議官
・ 伊藤哲雄 - 元在ハンガリー特命全権大使、元在カザフスタン特命全権大使
・ 深野弘行 - 経済産業省北海道経済産業局長、元大臣官房審議官

財界

・ 青木廣彰(ロッキー青木)- 米国BENIHANAオーナー、冒険家
・ 藤井次郎 - 元マルエツ社長、元ダイエー常務、顧問、元器械体操部主将(オリンピック候補選手)
・ 小林陽太郎 - 富士ゼロックス相談役、元経済同友会代表幹事
・ 北城恪太郎 - 日本IBM最高顧問、前経済同友会代表幹事・終身幹事
・ 椎名武雄 - 日本IBM相談役
・ 古河建純 - 元ニフティ社長
・ 持田昌典 - ゴールドマン・サックス日本法人社長
・ 西岡一正 - アビームコンサルティング社長
・ 迫本淳一 - 松竹社長
・ 鈴木弘治 - 〜島屋社長
・ 永山治 - 中外製薬社長
・ 星野佳路 - 星野リゾート社長
・ 高橋治則 - 東京協和信用組合元理事長、イ・アイ・イ・インターナショナル元社長
・ 数原英一郎 - 三菱鉛筆社長
・ 磯原裕 - ニッポン放送社長
・ 土屋嶢 - 大垣共立銀行頭取
・ 岡田好史 - 阿波銀行頭取
・ 玉塚元一 - ロッテホールディングス代表取締役社長、元株式会社ファーストリテイリング代表取締役社長兼COO、元株式会社ローソン代表取締役会長CEO
・ 梅田望夫 - 経営コンサルタント、作家
・ 遠山正道 - スマイルズ社長
・ 豊田章男 - トヨタ自動車社長
・ 小泉和久 - アブアブ赤札堂社長
・ 片山龍太郎 - 元マルマン社長、前産業再生機構執行役員
・ 小嶋光信 - 両備グループ代表
・ 堀内光一郎 - 富士急行社長
・ 近藤正晃ジェームス - Twitter日本法人会長
・ 堀切功章 - キッコーマン社長
・ 竹本勝紀 - 銚子電気鉄道社長

学術

・ 安西祐一郎 - 工学者、元慶應義塾大学塾長
・ 阿川尚之 - 慶應義塾大学総合政策学部長、東京大学先端科学技術研究センター特任教授 / 父は弘之、佐和子は妹
・ 朝吹三吉 - フランス文学者、慶應義塾大学教授
・ 石原延啓 - 画家
・ 井関裕靖 - 数学者、東北大学大学院理学研究科助教授
・ 井田良 - 慶應義塾大学大学院法務研究科教授(刑法学)
・ 大沼保昭 - 法学者、東京大学名誉教授、明治大学特任教授
・ 大野義夫 - 工学者、慶應義塾大学理工学部教授
・ 冲永佳史 - 帝京大学学長・理事長
・ 長名寛明 - 慶應義塾大学経済学部名誉教授
・ 桂誠一郎 - 工学者、慶應義塾大学理工学部教授
・ 亀井源太郎 - 首都大学東京教授
・ 菊野一雄 - 立教大学教授
・ 北島政樹 - 慶應義塾大学名誉教授
・ 神武直彦 - 慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授
・ 草野厚 - 慶應義塾大学教授
・ 小山剛 - 慶應義塾大学大学院法務研究科教授(憲法学)
・ 近藤誠 - 慶應義塾大学医学部専任講師
・ 坂村健 - 情報工学者、東京大学大学院情報学環教授
・ 作田明 - 犯罪心理学者、日本保健医療大学教授
・ 島田晴雄 - 慶應義塾大学名誉教授、千葉商科大学学長、サントリー学芸賞受賞
・ 鈴木智之 - 社会学者、法政大学教授
・ 徳田英幸 - 慶應義塾大学環境情報学部長
・ 秩父重英 - 東北大学多元物質科学研究所教授
・ 坪田一男 - 慶應義塾大学医学部教授
・ 冨田勝 - 慶應義塾大学環境情報学部教授
・ 原武史 - 政治思想史学者、明治学院大学教授 / 早稲田大学へ進学
・ 福田和也 - 文芸評論家、慶應義塾大学教授
・ 永井均 - 哲学者、千葉大学教授
・ 向井万起男 - 慶應義塾大学医学部助教授 / 宇宙飛行士向井千秋の夫

芸能・文化

・ 浅利慶太 - 劇団四季代表・演出家
・ 安部譲二(中退) - 作家
・ 石坂浩二 - 俳優
・ 石原裕次郎 - 俳優、歌手 / 慶應志木高から編入
・ 石原良純 - 俳優、タレント、気象予報士
・ 伊藤あさひ - 俳優
・ 岩田剛典 - アーティスト、三代目J Soul Brothers
・ 泉麻人 - コラムニスト
・ 市川猿翁 (2代目) - 歌舞伎俳優
・ 市川右團次 (3代目) - 歌舞伎俳優
・ 梅田晴夫 - 劇作家、小説家、随筆家
・ 扇一平 - 文化放送キャスター、レースアナウンサー、作家、声優
・ 大塚雄三 - 歌手、CHARCOAL FILTER
・ 大伴昌司 - 怪獣評論家
・ 大野雄二 - 作曲家
・ 大野木寛 - 脚本家
・ 金子哲雄 - 流通ジャーナリスト
・ 加山雄三 - 俳優、歌手
・ 川口浩(中退) - 俳優
・ 川津祐介 - 俳優
・ 河森正治 - メカニックデザイナー、アニメ監督
・ 紀田順一郎 - 作家
・ 日下武史 - 俳優
・ 小泉博 - 俳優
・ 小出恵介 - 俳優
・ 五所平之助 - 映画監督
・ 小名川高弘 - ミュージシャン / CHARCOAL FILTER
・ 小林亜星 - 作曲家
・ 古舘佑太郎 - 俳優、歌手 / The SALOVERS
・ 櫻井翔 - 歌手、俳優、タレント / 嵐 (グループ)
・ 神保彰 - ミュージシャン、作曲家、ドラマー 元カシオペア(現在はサポートメンバーとして復帰)
・ 鈴木邦彦 - 作曲家
・ 千住明 - 作曲家
・ 千住博 - 日本画家
・ 田岡満 - 実業家、映画プロデューサー、歌手
・ 高野真太郎(中退)ミュージシャン / CHARCOAL FILTER
・ 高柳良一 - 俳優、編集者、グレイプ取締役
・ 竹田恒泰 - 評論家、タレント
・ 舘野泉 - ピアニスト
・ TAROかまやつ - ピアノシンガーソングライター、フジテレビ社員
・ 堂本正樹 - 劇作家、演出家、演劇評論家
・ 冨田勲 - 作曲家 / 岡崎高校から編入
・ 中川勝彦 - 歌手、俳優 / 中川翔子の父
・ 那須雄登 - 歌手、俳優、 美 少年
・ 二村ヒトシ - AV監督
・ 早川保 - 俳優
・ 平尾昌晃(中退) - 作曲家、歌手
・ 平沼成基 - 俳優
・ 藤井貢 - 俳優
・ 藤岡幸夫 - 指揮者
・ 府元晶 - ライター、テレビゲーム評論家
・ 星野道夫 - 写真家、随筆家
・ 細野不二彦 - 漫画家
・ 松任谷正隆 - 音楽プロデューサー
・ 松本隆 - 作詞家
・ 美樹本晴彦 - 漫画家、イラストレーター
・ ミッツ・マングローブ - 女装家、タレント
・ 光永泰一朗 - シンガーソングライター
・ 望月衛介 - ピアニスト、作曲家
・ 安井佑輝 - ミュージシャン / CHARCOAL FILTER
・ 夢屋まさる - お笑い芸人
・ 吉松隆 - 作曲家

放送・ジャーナリズム

・ 岸井成格 - 毎日新聞特別編集委員
・ 木村太郎(中退) - キャスター
・ 明石勇 - 元NHKアナウンサー
・ 赤尾健一 - 日本テレビプロデューサー
・ 三枝孝臣 - 日本テレビプロデューサー
・ 福澤克雄 - TBSディレクター、演出家、映画監督
・ 三宅恵介 - フジテレビプロデューサー
・ 河毛俊作 - フジテレビプロデューサー
・ 中山貴雄 - テレビ朝日元アナウンサー
・ 山田良明 - フジテレビプロデューサー
・ 根本俊太郎 - フジテレビプロデューサー
・ 大槻文人 - フジテレビプロデューサー
・ 毛利忍 - 日本テレビプロデューサー
・ 坪井直樹 - テレビ朝日アナウンサー
・ 炭谷宗佑 - 日本テレビ元アナウンサー
・ 青井実 - NHKアナウンサー
・ 一橋忠之 - NHKアナウンサー
・ 三條雅幸 - NHKアナウンサー
・ 芥川隆行 - 元アナウンサー、ナレーター、司会者
・ 伊藤広 - 毎日放送元アナウンサー
・ 藤森祥平 - TBSテレビアナウンサー
・ 中村光宏 - フジテレビアナウンサー
・ 榎並大二郎 - フジテレビアナウンサー
・ 山本賢太 - フジテレビアナウンサー
・ 佐藤義朗 - 元日本テレビアナウンサー
・ 赤荻歩 - TBSテレビアナウンサー
・ 井上貴博 - TBSテレビアナウンサー
・ 根岸昌史 - NHKアナウンサー
・ 田辺研一郎 - 日本テレビアナウンサー
・ 山〜誠 - 日本テレビアナウンサー
・ 岡安譲 - 関西テレビアナウンサー
・ 黒住駿 - NHKアナウンサー
・ 大村晟 - 元フジテレビアナウンサー
・ 草薙和輝 - テレビ朝日アナウンサー」

スポーツ

・ 竹田恆和--> - 前日本オリンピック委員会会長
・ 桑田健秀 - 元バスケットボール選手、日本鋼管・モントリオール五輪代表
・ 松岡修造(後に、柳川高等学校に転学) - 元プロテニス選手
・ 米本聡 - 元プロバスケットボール選手:1997年卒業
・ 三宅諒 - フェンシング選手、ロンドンオリンピック男子フルーレ団体銀メダリスト
・ 佐藤翔馬 - 競泳選手、200m平泳ぎ日本記録保持者

野球

プロ野球選手

・ 赤木健一
・ 渡辺泰輔 - 東京六大学野球・完全試合
・ 佐藤友亮
・ 佐野川リョウ - 野球部は途中退部、海外リーグでプレー
・ 白村明弘
・ 山本泰寛
・ 谷田成吾
・ 矢崎拓也
・ 津留〜大成
・ 柳町達
・ 植田将太
・ 木澤尚文

その他
・ 平光清 - 元プロ野球審判

ラグビー

・ 上田昭夫 - 慶應義塾ラグビー部元監督
・ 渡瀬裕司 - 慶應義塾ラグビー部元監督
・ 生田久貴 - 元ラグビー選手、元ラグビー日本代表、ミクニ社長
・ 村井大次郎 - 元ラグビー選手、元ラグビー日本代表
・ 猪口拓 - 元ラグビー選手、元ラグビー日本代表、東芝ブレイブルーパス
・ 野澤武史 - 元ラグビー選手、元ラグビー日本代表、神戸製鋼コベルコスティーラーズ
・ 川村慎 - ラグビー選手、NECグリーンロケッツ
・ 古田京 - ラグビー選手
・ 丹治辰碩 - ラグビー選手、埼玉パナソニックワイルドナイツ
・ 辻雄康 - ラグビー選手、東京サントリーサンゴリアス
・ 細田隼都 - ラグビー選手、三菱重工相模原ダイナボアーズ
・ 金澤徹 - ラグビー選手、清水建設江東ブルーシャークス
・ 高木一成 - ラグビー選手、横浜キヤノンイーグルス
・ 大山祥平 - ラグビー選手、三重ホンダヒート
・ 山本凱 - ラグビー選手、東京サントリーサンゴリアス

サッカー

・ 都倉賢 - プロサッカー選手、V・ファーレン長崎・FW
・ 武藤嘉紀 -プロサッカー選手、ヴィッセル神戸・FW
・ 松岡瑠夢 - プロサッカー選手、栃木SC・FW
・ 二宮寛 - 元サッカー選手、元三菱重工
・ 片山洋 - 元サッカー選手、元三菱重工

その他

・ 池田尊弘 - 創価学園主事(池田大作三男)
・ 池田博正 - 創価学会副理事長(池田大作長男)
・ 林郁夫 - 宗教法人オウム真理教元幹部


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