違います。
湘南はサッカーの学校でした。
東京高等師範(現:筑波大学)出身の赤木愛太郎校長が優秀だったからです。
赤木校長は、新潟県女子師範学校(現:新潟大学教育学部)の校長でもありました。
戦前サッカーを校技とした東京高師OB校長
広島一中(現・国泰寺高校) 弘瀬時治 在任:明治39年〜大正14年
志太中(現・藤枝東高校) 錦織兵三郎 在任:大正13年〜昭和5年
湘南中(現・湘南高校) 赤木愛太郎 在任:大正10年〜昭和22年?
東京府立五中(現・小石川高校) 伊藤長七 在任:大正8年〜昭和5年
行事・運動には全員全力参加みたいな雰囲気があると聞いたのですが、それらの影響があるのでしょうか?
完全アンチ化すればめんどくさい事はない。ただ、
それだと湘南に来た意味があるのかという問題が
>行事・運動には全員全力参加みたいな雰囲気がある
ないない。
今の子供、そんなに熱量ない。
湘南 = 東京高等師範
か、かかかかかか、ばかり
明大附属藤沢高校
師範ということは、剣道か何かの学校なのですか
師範 = 先生 っていう意味です。
一浪して法政の俺
師範学校とは、教員を養成する学校です。
明治時代の師範学校は、1872年(明治5年)、
湯島聖堂内にあった江戸幕府官制の昌平坂学問所を引き継ぐ形で設立されました。
軍隊養成学校と仮にも言われる理由は、戦前に帝大のほか、「陸軍師範学校」や「海軍兵学校」の合格者が全国でトップクラスだったことと、軍人(特に海軍)の子弟が多かったからだと思う。赤城校長は公職パージにあったくらいですから。
師範学校については、今年の大河ドラマ「韋駄天」の前半がその舞台ですよね。
ごめん、陸軍士官学校の間違い。筆の勢いで…。
しかし、明大附属藤沢高校には、切なくも苦笑ですね。僕たちの頃は、東大70人前後、国立医学部併せて100人超えで、最低早慶、実際早慶では肩身が狭かったです。