- 俺みたいになるなよ! 先輩1340字: 私が自主的に受験勉強をし始めたのは受験100日前を過ぎてからでした。 それまでは塾で受けさせられた全県模試や解説がついた模試に近いものをただひたすらやっているだけでした。 私は内申点が84と、少し足りない状態だったので、当日点を少しでも多く取らないといけませんでした。しかし、受験勉強も何から初めていいかがわからず、やる気も出ないまま、塾の宿題や模試を100日前までひたすらやり続けていました。もちろん、模試の点数が伸びる事はなく、いつも190点前後を取り続けていました。ですが、塾では当日点の目標を225点と決められていたため、どうにかしてその点数を超えなければなりませんでした。 そこで、まずは得意教科である数学を伸ばそうと決意しました。数学はいつも得意であることが生かされておらず、40点台ばかりでした。まず、対策として符号の混じった計算や方程式を確実にし、あまり得意ではない確率の問題を解き続けました。その後、得意な角度や関数のグラフの問題を解き続けました。問1、問2を除いて各問の(ウ)は捨てても大丈夫と塾の先生に言われたのでそれ以外の部分を確実にしようと努力しました。 次に国語を伸ばすことを意識しました。国語は50点以上取れる時もあれば、30点台の時もありました。まず、正答率が常に0だった古文を一問でも解けるようにするために、「を、ば、が、に 」には/(主語が変わりやすい)、「て、で」には○をつける(主語が変わらない)、登場人物を四角く囲うなど、文章を分かりやすくすることを意識しました。文章題は点数に1番左右されるものですが、それは当たりはずれがあるので運に任せて(笑) やる気が出ない時は好きなYouTuberの曲を聴くなどしてやる気を起こし、他の教科も何かしらの努力はしました。 そして入試では落ち着いて解き、自己採点は5教科合わせて225点でした。これでも過去最高点だったのである程度の満足は出来ましたが、合格発表当日、合格通知と一緒に答案の写しを受け取って確認すると、5教科の合計はまさかの242点でした(笑)自己採点の時に何を間違えたのかは分かりませんが、国語は58点、数学は77点でした‼数学は過去問と問題の形式が変わっていましたが、私的にはとても解きやすく、やっと得意教科が生かせたと思うとすごく嬉しく思いました。 受験生の皆さんに伝えたいことが2つあります。1つ目は名前のところに書いた通り、「俺みたいになるなよ」という事です。私はやる気が出ない事を理由になかなか自主的に受験勉強を始めませんでした。本番では満足の行く結果が出せましたが、詰め込んで勉強したりした部分も少なくはないのでもっと余裕を持って勉強するようにしてください。 2つ目は過去問や模試に頼りすぎないことです。確かに過去問や模試を解く事はとても大事な事です。ですが、入試で過去問や模試通りに問題が出るとは限らません。何が言いたいかというと、過去問や模試を解いて問題形式を覚えてしまい、入試本番で問題形式が変わっていることに気づくとパニックになってしまい、思うように解けず、努力が無駄になってしまうことがあるということです。そうならないためにも過去問や模試に頼りすぎず、自分なりの努力をすることも忘れずに頑張ってください!
- だい 先輩79字:情報処理科1年の者です。 僕が受験した時は倍率がすごく低かったので結構簡単に入れました笑 中学生の皆さん!頑張ってくださいね(^^) ジャグリング部もよろしく!w
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概要
神奈川県立相原高等学校は、神奈川県相模原市緑区橋本台四丁目にある公立高等学校。
1922年(大正11年)10月24日に認可、翌年に開校した。全国でも珍しい、農業科と商業科を併置する専門高校である。長らく男子校であったが、1963年(食品化学科2期生)から女子生徒の受け入れを開始した。 沿革 ・ 1922年(大正11年)10月24日 - 神奈川県立農蚕学校として、文部大臣より認可。 - つづきを読む
1922年(大正11年)10月24日に認可、翌年に開校した。全国でも珍しい、農業科と商業科を併置する専門高校である。長らく男子校であったが、1963年(食品化学科2期生)から女子生徒の受け入れを開始した。 沿革 ・ 1922年(大正11年)10月24日 - 神奈川県立農蚕学校として、文部大臣より認可。 - つづきを読む