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高田北城高校のWiki
高田北城高校 ナビランク(2059位/5677校中)
基本情報
Infobox 日本の学校
校名:新潟県立高田北城高等学校
過去校名:中頸城郡立高田高等女学校
新潟県立高田高等女学校
新潟県立高田女子高等学校
国公私立:公立学校
設置者:新潟県
設立年月日:1900年5月7日
共学・別学:男女共学
課程:全日制課程
単位制・学年制:単位制
設置学科:普通科
生活文化科
高校コード:15169G
郵便番号:943-8525
所在地:新潟県上越市北城町2丁目8番1号
緯度度:37緯度分:6緯度秒:54.4
経度度:138経度分:15経度秒:30.8
公式サイト

'''新潟県立高田北城高等学校'''(にいがたけんりつ たかだきたしろこうとうがっこう、Niigata Prefectural Takada Kitashiro High School)は、新潟県上越市北城町にある県立高等学校。通称は「北城(きたしろ)」。

概要


・ 上越地域全域から生徒が通学している。
・ 元々女子校だった経緯から女子の割合が多い。
・ 部活動も比較的盛んに行われている。
  女子バスケットボール部は1965年(昭和39年)に、女子ソフトテニス部は1964年(昭和38年)に、それぞれ全国大会優勝を成し遂げている。
  吹奏楽部はマーチングバンドとしての活動も行なっており、1990年代には全日本マーチングコンテスト全国大会に3度出場した。

設置学科


・ 普通科
・ 生活文化科(2年次から下記の2コースに分かれる)
  食物コース
  福祉コース

経緯

1900年(明治33年)に中頸城郡立高田高等女学校として開校。県内の女子中等教育機関としては新潟県高等女学校(現 新潟県立新潟中央高等学校 同年4月設立)に次いで2番目の設立である。1975年(昭和50年)普通科が男女共学となるが現在も女子の割合がやや多い。(毎年およそ男女比1対2)生徒のほとんどは進学している。

年表

・ 1900年(明治33年)- 中頸城郡立高田高等女学校として開校。
・ 1906年(明治39年)- 新潟県に移管し、校名を新潟県立高田高等女学校と改称。
・ 1922年(大正11年)- 制服制定。
・ 1925年(大正14年)- 校歌制定。
・ 1948年(昭和23年)- 新制高等学校となり、校名を新潟県立高田女子高等学校と改称(全日制普通科、定時制普通科設置)。
・ 1950年(昭和25年)- 校名を新潟県立高田北城高等学校と改称し、全日制家庭科課程設置(被服科、食物科)設置。
・ 1963年(昭和37年)- 校舎改築起工式。
・ 1970年(昭和45年)- 定時制課程廃止、校舎竣工記念式典。
・ 1975年(昭和50年)- 普通科で男女共学開始。
・ 1977年(昭和52年)- 新校歌(現校歌)完成。
・ 1980年(昭和55年)- 旧校歌歌碑建立(創立80周年記念事業)。
・ 1986年(昭和61年)- 北校舎大規模修理。
・ 1989年(平成元年)- 野球場(多目的グラウンド)竣工。
・ 1995年(平成7年)- 食物科・被服科を募集停止し、生活文化科に学科改編。

部活動


・ 運動部 - 陸上競技、野球、バスケットボール(男・女)、バレーボール(女)、テニス(男・女)、ソフトテニス(女)、バドミントン(男・女)、ソフトボール(女)、卓球(男・女)、剣道(男・女)、新体操・体操、水泳
・ 文化部 - 吹奏楽、合唱、茶道、華道、文芸、演劇、手芸、食物、写真、美術、書道、英語、軽音楽、映画

教育目標

・ 創造的な知性を深める
・ 豊かな情操を養う
・ 強健な身体を育てる
・ 自主性、積極性を養う

校歌


作詞:谷川俊太郎、作曲:竹田由彦

主な出身者


・ 杉みき子(児童文学作家)
・ 高木郁乃(歌手)
・ ワタナベ・コウ(裁縫家、漫画家、イラストレーター)
・ 大塚いちお(イラストレーター、アートディレクター)
・ 長谷川成人(神経科学者)

アクセス・通学手段


・ えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン高田駅 徒歩20分
・ 頸城自動車「北城町」停留所 徒歩2分
・ 自転車使用は許可制とし2km以遠またはクラブ等事情のある者
※原付、バイクは許可されていない。自転車通学は半径2km以内に住む生徒はクラブに加入すれば可。

外部リンク


新潟県立高田北城高等学校


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