まあ桜以外は大したことナイ。星稜は石川で二番手だが全国的には北陸1位ってことだ。
松井本田で全国的ブランドたから
⬆︎大丈夫かなあ。
文章読解能力ある?
絶対に頭よくない人だと思われるようなコメントだよ。
まずはライトノベルでもいいから読書しよう!
なぜ、知名度だけを重要視?
甘いね。
公立落ちて星稜にきたことをネガティブにとらえなくていいんだよ。
いいことがこんなにあるから大丈夫、
っていう励ましに対しての的外れなコメ、いらない。
明るい未来を想像できなければ乗り越えられない時がある。
それを甘いと言うのなら、ではどうしろと?
「学校名を異常なまでに持ち上げるのは石川県だけ。県外に出れば関係ない」と書かれているのに、その後の投稿で、星稜は知名度があり良かったという流れになっていることが、何かちょっと違うのでは?と感じます。
最初の投稿者さんが、高校名より大学名と書かれていますが、更に言うと、年を重ねていけば、結局はその人個人が評価されるのです。
自分も卒業生なので、母校の活躍は誇りに思います。
星稜で良かったと思うのは、この学校でしか出来ないような経験ができることです。決して、知名度ではありません。
この学校で経験できることがたくさんあって良かった、そう思って将来に向かって欲しいと思います。
経験値は、必ず自分の糧となります。
学校名を異常な程、、、、というのは学校で「頭が良い、悪い、受験失敗組」と判断材料にするのは学校レベルを知っている石川県内だけって意味でしょ?
県外に行けば、石川県の学校なんてほぼ知られていないから。けど星稜は2人の活躍で有名だから初対面の人でも掴みが取りやすい。と書いてあるです(T ^ T)
とっても素敵な文章です。
娘も某進学高駄目でした。
渋々、嫌々ながらに星稜Aへ進みました。
落ちたその日のこと鮮明に覚えています。
親ながらに涙をこらえて娘に接していたこと。正直、しばらく手につかず人とも会いたくなくアドレスなども変えてしまった自分でした。娘は明らかに暗い顔して涙をいっぱい流して辛くて苦しかった。
でも現実をしっかり受け止めて前を向いて歩く。これが一番大事。
そして親が星稜のファンになる。
星稜という場所で人生の3年を過ごす。
この高校で自分を受け入れる。
しばらくすると落ちたことは笑い話に出来る
までになっていました。
星稜で3年過ごして現在都内の某私立大学へ
進学しています。
そうですね。石川県は偏見が強いです。
私立高校は落ちた人が行くところ、この偏見が非常に強い。
星稜では惜しくも不合格で仕方なく進学した人も山のようにいます。
行きたくなかった高校へ行く。
本命でない高校へ行くことになる。
そんな人沢山います。現実です。
でもね、それを自己責任、自業自得といえば
きつい言い方かもしれない。
しかしながら不合格は現実ですから、これを
どう受け止めるか。その子、次第で、ここからどう駆け上がって行くかだと私は思います。中にはどん底に落ちて行く子もいました。リベンジで大学に向けて頑張る子も沢山います。落ちた不合格になったことを糧に強くなる子も沢山います。偏見や人の目は右から左に流す。人は人、自分は自分。
親も子もその気持ちで行くしかないです。
高校3年間は貴重な日々。子供の大切な人生。悔しいけど、どうにも出来ない現実はしっかりう受け止めてその与えられた3年間を有意義に過ごして欲しいです。
自分でも何、書いてるか分からなくなってきましたが、素晴らしい素敵な文章を有難うございました。
野球部が22点も取って、甲子園決めて久々に見にきたらこんなにレスついてるなんて思いませんでした。
すいません、他校を見下したりとかそんなつもり一切なかったんですけど、不快に思われた方もいらっしゃったんですね、申し訳ありませんでした。もう何年も前になりますが、この文章を書いたのは自分も同じ中学から一緒に星稜に進学した子がどうしても気持ちの切り替えができずに、潰れてしまったんですね。
それがやはり今だに、あの子は今どうしてるんだろうって思ったりするんですよ。元気で幸せな人生を過ごしてくれていればいいのですが、人生の通過点の高校受験のためだけに視野が狭くなり人生の選択肢さえも狭めてしまったり、自分を責めてしまうのは絶対勿体無い!もっとポジティブに前向きに星稜になったことを考えてみようと思いまして、星稜でよかったなと心の底から感じられたこと、思いの全てを書きました。
上手とは言えないわかりにく文章なので、一部の方には素直に受け止めてもらえなかったなーいう反面、お伝えしたかったことをわかってくださった方も少なからずいらっしゃったようで幸いでした。
あと星稜の知名度って部分は、それによって社会に出てからたくさんの人との出会いや、仕事の成功につながったり、あと結婚もきっかけは星稜の野球部の話題がきっかけのご縁だったので
私が星稜出身であったことで思わぬ副産物が沢山あったということです。石川県以外の人々が母校を知ってくれてる、いい学校だねと言ってくれることは素直にうれしかったです。