国公立に30人と言いますが、中身を見てくださいよ。
長野大学が7人、残りも信大以外はド底辺大です。
国公立の合格者数をその高校のレベルに置き換える方がいらっしゃいますが、中身を見てほしいですね。
12通学区制の時代
長野西のある第3通学区のほうが、篠ノ井のある第4通学区よりも中学生の数がずっと多かったです。よって、長野西のほうが篠ノ井よりも学力層が高かったです。
篠ノ井は12通学区制の時代よりも、中学卒業時での高学力層を長野西などに取られてしまっているなかではありますが近年国公立大学への30〜50名の合格者を出していることは大健闘だと思います。
長野西高校は、元々、高等女学校で、今の団塊世代の卒業生徒の時代は、東京大学や国立大医学部や旧帝国大学に入学しており、信州大学にあってはガンガン入学していました。だから、とても優秀な高校でした。私の叔母は西高から、国立大医学部に行き、お袋は、東京教育大学、現在の筑波大学に進学しました。
私も昔の西高って女子高時代はかなりレベルが高かったと聞いてますが。
男子は長野、女子は長野西、っていう感じだったと聞いています。
篠高の掲示板なのに西高信者多いな。同じようなレベルだと思うが。
レベル差があるのは誰が見てもわかります
屋代志望だけど、同じようなレベルだろ。若干西の方が実績いいけど、レベルが違うというほどではない。
12通学区制の時代
長野西のある第3通学区のほうが、篠ノ井のある第4通学区よりも中学生の数がずっと多かったです。よって、長野西のほうが篠ノ井よりも学力層が高かったです。
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当時の第三通学区は普通高校7校(長野、吉田、西、東、北部、中条、最強)
第四通学区の普通高校6校(屋代、篠ノ井、南、松代、屋南、坂城)
1校分しか違わないので、第三通学区のほうが生徒数が多いのは事実だが、倍違うわけではない。当時、西高の上には、長野、吉田の2校があり、それぞれ定員は405人でした。したがって学区内の生徒の上位810人はそれらの高校に行きます。一方、篠ノ井は、学区内の上位405人が屋代に行きます。そこに行けない人が篠ノ井高校に行きました。
仮に当時の第三通学区の受験生が3,300人、第四通学区の受験生が2,000人としても、長野西は3,300人中811〜1,215位、篠ノ井は2,000人中406〜810位となります。
あんまり変わらない気がする。
篠ノ井と西と大して違わないっていうけど現実は国公立進学は倍違うしなぁ。。。私大の合格内容みても結構違うしなぁ。。。
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今は違うけど、12通学区の時はどうだったかって話だろ。
ちなみに俺は篠ノ井は昔よりレベルが落ちてると思う。国公立大の合格者が増えてるのは、国公立大のレベルが篠ノ井以上にレベルが落ちているからだと思う。昔より国公立大の定員が増えてるでしょ?その分、敷居が低くなってるだけだと思う。
普通に下がってるよ
まぁこんな自称進学校下がるほどのレベルもないですけどね
>今は違うけど、12通学区の時はどうだったかって話だろ。
え、屋代志望だけどって人に言ってるんだけど。志望してるってことは今現在の話してるんだよね。
篠ノ井の上位層が西に行ったのですね
ここ数年、入試で250点切っても余裕で受かる篠ノ井と、それでは受からない長野西。
大差はないと思うかどうかは人によりけりだが、大学入試の結果の差は数年後には分かるだろうね。
屋代より下はどこも一緒。大差なし!
こらこら、争うでないぞ。
女は西で男は長野ってw
女も長野行けってww