県ケ丘の卒業生です。
指導のどのような点で真逆と言われるのかは知りませんが、教師はその学校の伝統・方針に従うのが普通です。また、異動してきた教師の中には、ここの学校はこれが変だと言う方もいました。そのため、伝統として続いている校風を前提としてそういった評判が広まるのであって教師はただそれに合わせているだけだと思います。
どの学校にも個性があるので指導が真逆であってもそれが最低というわけではないと思います。でなければ両校とも人気にはなりませんからね。
一般的に、高校の先生は年齢を重ねるごとに[底辺校]→[中堅校]→[進学校]の順番で転任します。
そして、進学校は教員生命のうちに1校しか勤務できないのが通例です(若干の例外も存在しますが)。どの先生もできれば進学校に務めたいので、不公平感をなくすためのシステムです。
※教育委員会用語では底辺校を「A校」、中堅校は「B校」、進学校を「C校」と呼びます。
なので、どちらも進学校である深志と縣陵の間を異動する先生はほとんどいません。例え「若干の例外」として深志カラーの先生が縣陵に赴任してきても、他の大勢に埋もれてしまいます。
では、なぜ縣陵と深志では同じ松本市内の進学校にも関わらず教諭の雰囲気が違うのでしょうか。
ズバリ、先生自身の母校に起因するのです。教員のキャリアの終盤、進学校に赴任できる年齢となった先生方は大抵の場合母校への赴任を希望します。そして長野県の人事部も、母校への異動を許可するのが通例です。このようにして、深志も縣陵もその高校出身の先生がウジャウジャ飽和しているのです。
A・B校に独特の雰囲気やカラーが薄いのは、それらの高校出身で学校の先生になる人が少ないからです(誤解を恐れずに言うなら、C校出身の学力がないと教員になるのは厳しい)。
今現在どうか分かりませんが、私が在籍していた頃は全教員中13人が縣陵出身でした。
この、学閥に染まった先生方がその高校独自の雰囲気を作り上げ、他の先生方もそれに染まってゆく(もしくはマイノリティとして埋もれる)のです。
とてもわかりやすい説明ありがとうございました。県外出身なので、なぜこの二つだけ「濃い雰囲気」なのかずっと不思議でした。
進学校は教員人生一度しか行けない?例外は若干?
ホント?
じゃ手前の知ってる先生たちはみんな例外ということになります。
え どっち??
だったら、深志の先生が県に異動になったら、同じ給料なのにやること増えて大変だろうな
A校〜C校ってそういう意味だったのか
昔の縣陵の先生は40代以上が多く、20代はほとんどいませんでした。
そのことが底辺校から進学校に上り詰めるシステムの証明です。
今はどうか知りませんが。
A校B校の区分はどこの県の教育委員会にもあると思います。
あくまで一般論ですので、この高校がある地域に該当するかは分かりません。