言い回しを変えましょうか。感謝の気持ちを在学中の保護者が寄付で表さないとならないのでしょうか?
公立の瑞陵高校の場合は、OBが在校生のために留学援助をしたり、寄付をされてますよ。
そういうものを「感謝の形を寄付で表現する」のだと思いますし、素晴らしい話だと感じます。
寄付をしない流れが出来るのは良くないと思ってコメントされる方や、寄付をする志しを素晴らしいと思った方は、少し考え方が狭い人間の中で偏ってらっしゃるのではないでしょうか。
学校を良いものにしたい方が寄付をしていけば、それでよくありませんか。
OBが在校生のためにする寄付、在学中の保護者がする寄付。どちらも感謝の形を表現していることに違いなどありません。どちらも善意のもとに成り立っています。
そうですね。先のコメントを上げた際に、再度、揚げ足を取られるような気持ちがありました。横並びでやらなきゃならない感謝を呼び掛けるものではないというべきでしょうか。
感謝しなきゃならない学校なのでしょうか?
気持ち悪い。とか、感謝しなきゃならない学校なのでしょうか?……言い過ぎでしょ。
敬人愛人……忘れたくないですね。
お気持ちを素直にお書きになっただけでしょうし、言い過ぎとまでは思いません。
ただ、残念なのは、フシギさんがおっしゃる「感謝の気持ちを表すために寄付をした」という保護者は、この回答者の中にはほんとはいないんだけどな、という点ですね。
私を含め、「感謝」という言葉は誰も使っていません。
お一方だけ、他の方々のコメントを
「感謝の気持ちが伝わってきて」
とまとめておられますが、それだけです。
「子供たちのために必要だと思って」「お気持ちのある方は」など、本来フシギさんがよしとされる
「学校をよくしていきたい人がすればよい」
という主旨とは大きく違わない気持ちであると思うので、そこはできたらご理解いただきたかったな、と悔やむところです。あ、格差云々のコメントは論外ですよ(^^)
発言をしたご本人たちもびっくりするほど、寄付を勧めるコメントが続いたのは事実ですし、加えてあの不穏当なコメント…フシギさんが気持ち悪いと感じられるのもごもっともだと思います。
フシギさん、はからずもご不快な思いをさせた者の一人としてお詫びします。
フシギさんのおっしゃるとおり、感謝ではなく、これから学校をよくしていきたい、というお気持ちで、寄付はするものだと思います。
学校に対して感謝し、未来に期待し、わずかながらでも寄付をしている家庭があるのに、「言い過ぎとまでは思いません。」等とバッサリ否定するのは余りにいかがなものかと思います。
寄付されないのはもちろん自由で、否定はしませんが、前向きに寄付している人がいるのにそのことを否定してほしくない。
ましてや寄付なんかしないと堂々と公言するのは無神経にもほどがあります。
敬人愛人……忘れたくないですね
親の私は某音楽大付属小出身ですが、近年、「寄付金はマストじゃないですよね?」と語調強く仰る保護者が増えたと、同窓会の幹部が言っていました。払わないのは個人の自由としても、ああいう言い方は何とかならないのかと嘆くことしきり。
衣食足りて礼節を知る。
昔より余裕がない家庭が子を私学にやるようになった結果ではないかと思います。
また、海外に比べて過重な相続税が裕福な家庭が減らした結果とも思えます。私の同窓生も親の世代より豊かになった家は少ないです(シンガポールなど海外移住した家を除き)。
日本人は懐も心も貧しくなりましたね。
某音大付属小のご出身とのことなので、お尋ねしたいのですが、その学校は献金額は最低◯口でと文面で明示されてましたか
とある中高一貫校は献金は最低◯口でと書面に記されていました。この学校はそういった文面がなく、払わないという方達が出てきても不思議ではないですねと思いましたよ
貴方様のご指摘の通りなのでしょう
しかしこの流れを受け入れないと私学は経営として成り立たないのではないでしょうか
余裕のある方達が多めに‥ということで対処をするしかないと思います
欧米の私立校はそのように対処しているわけですから
全額私費になったら、この学校をはじめとして日本の多くの私学は選ばれずに潰れるだけでしょう
ところで、某音大は最近までホールがなく、音大なのに自前のホールがないとはどういうことですかと話題になったことがございます。一般的に音大関係の学校に通われる方は裕福な方達が多いと思っておりましたが、自前のホールを建てるという話もずっと出ない、ホールをご寄付できない経済層の方達がほとんどのご家庭のようですねと私は意外に思いましたよ
本当にそう思います