◎名古屋市長(当時)の西尾武喜氏の発言(一部)。
「瑞陵高等学校は、明治四十年、愛知県立第五中学校として設立され、その後、愛知県熱田中学校と校名は変わりましたが、創立当時の「五中」という呼称は、校章ととも引き継がれ、市民、県民からも、熱田中学校というよりも、五中として長く親しまれ、今日に至っております。
創立当時、県下男子中等学校のナンバースクールとしては、一中(現旭丘高)、二中(現岡崎高)、三中(現津島高)、四中(現時習館高)がありました。
名古屋市内では、五中が設立されて以来、 一中、明倫中の三校は、互いに相競い、それぞれ、独自の校風を誇り、伝統と歴史に輝く名門校として、県下男子中等学校の三雄たる栄誉を担ってきました。」
【参考文献】
西尾武喜「瑞陵高等学校創立八十周年をお祝いして」瑞陵会『五中ー瑞陵八十周年記念誌』(新写植出版社、1987年)6頁。
◎愛知県知事(当時)の鈴木礼冶氏の発言(一部)
「五中・瑞陵は天下の名門として喧伝され、社会に送り出してこられた前途有為の子女三万人の卒業生諸氏が、国の内外を問わず社会の第一線で目覚しい活躍を続けられ、多方面にわたって多大の貢献をなさっておられることは、ご同慶の至りに存ずる次第であります。」
【参考文献】
鈴木礼冶「創立八十周年をお祝いして」瑞陵会『五中ー瑞陵八十周年記念誌』(新写植出版社、1987年)4頁。
「名古屋御三家」という言葉は、瑞陵関係者だけが使うのでしょうか。言葉自体は知ってますが、旭丘でも明和でも使われたところを聞いたことがありません。
名古屋御三家は、三校リーグの構成校でもあります。明和のHPに載っています。
ご教示ありがとうございました。
今はもうやってないんですね。
◎名大合格者数(学校群直前の1975年)
旭丘87名
明和126名
瑞陵63名★
一宮61名
岡崎61名
東海58名
向陽44名
滝 29名
半田25名
桜台16名
菊里15名
千種10名
名古屋御三家なんて、今どき聞かないですよ。瑞陵関係者だけだと思います。
瑞陵で聞いたことはないですけれど
どっから引っ張ってきたんでしょうね
「御三家」は、名古屋市民の常識!