本当ですよ
わたし達の代からそのようになりました。
文理分けの説明も昨日受けましたよ
そうなのですか…
それによって、良くなった点はありましたか?
特に何も感じません。
早めに文理分けがあって悪いとは思いません。
むしろ、1点に集中できていいです。
目先の利益に目がくらんだ
瑞陵の末はいかに。
名古屋のトップ校の伝統を捨て、
3年後の実績が楽しみですね。
これでたいして変わらなかったら…
3年時文理わけは
長い目で見るとかなりの
メリットがあるのに…
3年文理分けに伝統とか、わけの分からない理屈をこねている人がいるね。
受験の環境が昔とは変わってきているんだから
環境の変化に対応できないところは衰退あるのみですよ。
別に授業時間が減るわけでもなし、
2年で文理分けしたほうが、得意科目を伸ばすことが出来て、
多科目を広く薄っぺらに履修するより、よっぽどいいです。
そんなことないです!
3年時文理分けは、尾張トップ校の意地とプライドです!
在校生の皆さんは、「そんなのどうでも良いじゃん」かも知れませんが…。
学問に王道なし!急がば回れ!厳しい選択をするのもあとあとよいものです。
個人的な意見ですみません。
目先の受験にとらわれてはいけない。
大学以降の勉強で、じわりと効いてくるものだ。
それがわからない人は2年時文理分けの学校に行けばよい。
3年文理分け原理主義はもういいよ。
全国のトップ校は、ほとんどが2年文理分け。
トップ校でもない瑞陵が目先の受験を疎かにしてはいけない。
大学に入らなければ、大学以降は無いわけで、
何を言ってるんだか・・
高校は予備校じゃないのに・・・。
2年次文理分けしたら、高校が予備校化するとか
正気ですか?
授業時間は増えずに効率よく勉強できて、
ゆとりが生まれる。
現役合格率が上がり、
予備校へ行く子が減るから、よいことです。
補足
高校卒業後、浪人して予備校へ行くはめになる子が減るという意味
国総試験(=キャリア官僚登用試験。旧国1)には、出題科目が多いため、3年生次文理分けが有利(ex法律職でも物理・化学・生物が出題)。
学校群でレベルが下がったとの世間の評判とは裏腹に、実は瑞陵は今まで脈々とキャリア官僚を輩出してきました。これは五中以来の伝統です。現在でもキャリアの幹部(局長級以上)に我が校の卒業生が複数います。
しかし、その伝統もおそらく今の2年生でおしまいでしょう。
瑞陵OBで元キャリア官僚だった方が同窓会の会長という時に、2年生次文理わけへ変更とは皮肉以外何ものでしょうか。
2年生次文理分けへの変更は、瑞陵の校風自体を変えかねない。大きな変更だ。
変更前に、きちんとPTAの同意を取ったのか!?
国総試験に有利だから3年生次文理分けがいいというのは、
目先の受験にとらわれるのと同じですよ。
2年生次文理分けで、瑞陵の校風が変わるわけがないです。
高校は、卒業後に浪人して予備校へ入るための学校であってはならない。
質問者さんへ
もうお気づきかもしれませんが、学校の公式サイトに平成26年度入学生のカリキュラム表が掲載されてます。ご参考まで。
http://www.zuiryo-h.aichi-c.ed.jp/pdf/kyoikukateiH26futsu.pdf
>高校は、卒業後に浪人して予備校へ入るための学校であってはならない。
去年、今年と東大に1名ずつ合格してますが、二人とも宅浪でしたよ。浪人イコール予備校じゃないです。
高校は、大学へ入るのに、浪人前提の学校であってはならない。
名大生の私は現役合格でしたが、高校生の時、理系か文系か選択を迷いました。
高校生になった当初は文系に進もうと思っていましたが、2年生の2学期に学んだ化学が面白かったので、理系へ進みました。当時は3年生次文理分けだったので、私は上記の選択ができました。
しかし、2年生次文理分けですと、高校生になって数ヶ月で文系理系の選択を迫られます。2年生で文系を選択すると、私のように2年生の2学期で化学に目覚めるということも不可能になります。
2年生次文理分けでは、文系も理系もできる生徒の将来の目を摘んでしまいます。
高校でじっくり文系理系を見極めたい人は、3年生次文理分けの高校へ進学されることをお勧めします。母校をお勧めできないことを大変悔しく思います。
トップレベルの高校に進学する生徒は、中学時代は、理系文系ともに成績が優秀。そうでなければ、トップレベルの高校へ入学できないから。したがって、生徒の適正を見極めるため、3年生次文理分け。
レベルの中位の高校に進学する生徒は、科目に不出来がある。とすると、文系か理系かはおのずと決まっている。したがって、2年生次文理分けでも支障がない。
瑞陵はどっちの高校なのか。私は前者だと思いますけど。
瑞陵は主要科目がオール4では入学は厳しい高校です。オール5ではないにせよ、5と4が混合している生徒がほとんどです。
私も前者の高校だと確信しています。
↑この方の意見に大大大賛成です!
文系が得意な子が、苦しみながらも2年時まで
数学の微分・積分をやるのは辛いかもしれません。あきらめて捨ててしまう子もいるのも当然です。それでもやらねばならぬのです。それができる子たちなのだから!
今の在校生たちに、将来、長い目で見たとき伸びる可能性があることをわかってほしい!
瑞陵生ならできるはずなのに残念・無念です。
文系、理系の選択は
どっちの科目が得意か、将来就きたい職業とかでほとんど決まります。
1年で決めることに問題はないはずです。
2年で化学をやって理系に決めたなんてのは超レアケースですよ。
中高一貫の多くでも、物理・化学は2年で履修だけど、
2年次文理分けの学校で、3年次文理分けにして欲しいという声は聞いたことがありません。
↑瑞陵のことを、おわかりでないようです。
なんのためにコスモサイエンスコースがあるのか、よくお考えください。
文系の子は無視ですか?
そもそもコスモサイエンスは大学受験勉強に有利というわけでもないでしょ。
見当違いのコメントをありがとう。
まるでわかっていないことが、よくわかりました。
コスモサイエンスの人は半分明和落ち、3割向陽を滑り止めにした人or向陽落ちだし、テストの平均点も十点以上上だったりするし、授業が早くて
数学も青チャートに載ってないような内容を授業でやったりするから一般の理系より入試は有利だよ〜
文理分け2年の岡崎・刈谷・時習館・一宮・半田の進学実績を見てみたらどうですか?瑞陵高校が五中時代のレベルを取り戻したいなら進学実績を伸ばし、明和の滑り止めにする人を増やし、菊里向陽に追いつき、進学実績では抜かすことができたら文理分け3年でいいと思います。大学入ってから役に立つのは分かりますが肝心の大学入れなかったら意味ありません。
今年、瑞陵から東大京大の各学部と名大医学部医学科に合格した生徒は全員が普通科普通コースです。コスモは一人もいません(実験などの理系の知的好奇心を満たすためのコスモはそもそも受験対策コースではありません)。
3年生次文理分けでも受験に十分対応できているではありませんか!
東大と名大医は浪人だから
3年生次文理分けでも受験に十分対応できているとは、言えません。
2年生次文理分けだったら、現役で合格できたかもしれませんね。
私は、2年生次文理分けだったら、医学科ではなく法学部へ進学していたはずです。浪人したのは自分が怠惰(受験が厳しい医学科志望者の中では)だったからで、3年生次文理分けが原因ではありません。
じっくり進路を見極めるためには3年生次文理分けの方が良いです。
はじめから医学科志望なら高校入試時にコスモを選べばよいだけの話。
コスモ以外の生徒は、理系か文系か自分の適正を見たいから、高校へ入学後、高校の授業ある程度履修してから、文理分けをする。その趣旨からいえば、3年生次文理わけが適している。
確かに、2年生進学時で、文理の選択を既に決定している生徒と、もう一年間見極めたい生徒の2タイプが存在するかもしれない。
しかし、コスモ以外の全て生徒を強制的に2年生で文理分けさせるのは横暴だろう。
3年生次文理分けを維持し、その代わり2年生時で選択科目を増やせば良かったのに。そうすれば、上記の2タイプの生徒がすべて満足できたはず。ちなみに、今の2年生はこのやり方。
なぜ校長先生は全員に2年生次文理わけを強制するのだろうか!?
コスモと、2年次文理分けの理系では
コスモの方が大学受験には不利でしょ。
3年次と2年次で、
理系と文系の選択が変わる人は、レアケースだと思いますよ。
そのレアケースの人のために
全員が強制されて付き合うのもどうかと思います。
ここで話すことでないと理解した上で、それでも書き込みます。
3年進学時に文転、理転ができる保険はどうして不可能なのでしょう。カリキュラム上難しいことはよく分かりますけど・・・。
2年・3年とかじゃなくて、そういう寛容さこそ、伝統校のよさのような気がします。
1年のときに決めた進路が、進学する大学の方向性を決めるんですから。
甘いといわれるかもしれませんが、高1でファイナルアンサーは本来きついように思うのです。
コスモから文転した人もいたと聞いたことがあります。その話を聞いたときは、さすが瑞陵と思ったんですがね。
二つ上の方へ。
2年生次の科目履修を選択制にすれば、強制される生徒はいなくなります。2年生次文理分けの方が強制度が強いです。
2年生次の科目履修を選択制=各生徒が個々に履修科目を選ぶ、という意味です。
水掛け論になりますが、
今年まで3年生次文理分けでやってきたのですから、2年生進学次に文理選択できていない生徒は多いのでは。
今まで名古屋の公立トップ校は全ての高校で3年生次文理分けだったのです。
今まで名古屋の公立トップ校は全ての高校で3年生次文理分けだったから、
名古屋の公立は大学進学実績が悪いのですよ。
受験生が選択して決めることですよね。
そのための適切な情報提供をしてあげることじゃないですか?
根拠のないところで進学実績を出してきたり、伝統校云々なんて、外野がここで言うことではないような気がします。
はたしてそうですかね。
単に瑞陵高校だけの問題ではなく、名古屋市民の教育への誇りの問題でもあります。地域が人材を育むという本来の観点からは、瑞陵の校長一人が判断する問題ではなく、本来は名古屋市民のタウンミーティングで討議すべき高次のレベルの教育問題と思います。
愛知県内では、名古屋市のトップの公立高校だけが3年生次文理分けを存続させてきた訳ですから。大学入試に不要な教科はなるべく履修されないという2年生次文理分けでよいのか、名古屋人の誇りが問われるわけです。
つまり、高校は大学受験の予備校的存在(大学入試優先)なのか、あるいは、中等教育として独自の存在(全人教育としては微積分も必修)なのか、名古屋市民の感覚が問われているのです。
賛否両論がある中で、校長先生が2年生次文理分けへ勝手に変更してしまったことが最大の問題では?
PTAの同意は採ったのですか?
じゃあ、
音楽、美術、書道の3教科は、昔は選択ではなく
3教科とも必修だったんだがね。
大学入試に不要な教科だからといって選択にすることに文句はないのか?
3年文理分けが誇りとか感覚がずれてる。
芸術が選択で1教科履修になっているのに誇りはどうしたの?
なんか論点がズレています。
それにしても、やけに瑞陵に詳しい「一般人」さんですね。生徒の間であなたのことが噂になっています。もっと建設的な書き込みをして下さい。
「2年生文理分けにすれば、大学合格実績があがる」と科学的根拠もなく思い込んでいっらしゃるのでは? 瑞陵の校風から思うに、おそらく合格者数はほとんど変わらないでしょう。なんのための変更か疑問です。
「瑞陵の校風から思うに、おそらく合格者数はほとんど変わらないでしょう」
こういう考え方こそ、科学的根拠もなく思い込んでいっらしゃるのでは?
学力を上げるには、勉強効率を上げて、勉強時間を増やすしかありません。
2年生文理分けと3年生文理分けで、瑞陵の生徒の勉強時間総数が変わらないと仮定すれば、
受験に関係ない科目の勉強時間が減り、受験科目の勉強時間が増えるわけだから、
大学合格実績にプラスに働くことは容易に推定できます。
また、2年で文理分けすれば、苦手な科目の勉強の負担が軽くなって勉強効率が上がり、トータルでの勉強時間が増えることも考えられます。
論理的に考えれば、2年次文理分けで大学合格実績がよくなるということになります。
つまり、今後は瑞陵では教育よりも大学受験重視でやると校長先生はお考えなのですね。
高校は予備校じゃないのに・・・。
以下エンドレス・ループ
瑞陵が2年次文理分けにしたことにより
大学合格実績はよくなる。
2年次文理分けに反対する人たちは
瑞陵の大学合格実績がよくなって欲しくないようですね。
2年生文理分けに反対する人たちは、名古屋のトップ校の枠から外されたという敗北感があるのでは。決して合格実績がよくなって欲しくないとは思っていない。
名古屋のトップ校が3年次文理分けである必然性はありません。
名古屋の断トツのトップ校は東海高校で2年次文理分けです。
愛知県の東大合格者数トップ校は岡崎高校で2年次文理分けです。
愛知県の名大合格者数トップ校は一宮高校で2年次文理分けです。
質問者さんへ
一ヶ月近くも前なので、もう見ていませんか。
受験勉強はまだこれからが本番です。がんばって勉強して明和ー瑞陵、向陽ー瑞陵で受けてはどうでしょうか。
また知り合いに、瑞陵の陸上部に憧れていて勉強を頑張っているうちに実力がつき、旭丘に合格した人がいます。
もう一つ上を目指してはいかがでしょうか。
二つ上の方へ。
東海は6年一貫ですし、もともとスパルタ教育(60年代〜70年代)で今の地位を得た高校です。瑞陵との比較になりません。
岡崎・一宮は大学合格実績では目をみはるものがありますが、所詮、田舎の「愛知の管理教育」の高校です。名大の同期生に多く、優秀な人もいますが、自主性においては瑞陵の方が上です。
★現在3年生次文理分けの高校(県下5校だけ)
旭丘
明和
菊里
向陽
千種
(瑞陵←昨年まで)
愛知県では、名古屋市だけが自由な都市。名古屋以外は、田舎で保守的な地域。
自由な都市は、教育内容も自由を基調とする。3年生次文理分けこそがリベラル・アーツ。それを校長一人の意見で変えていいはずはない。校長の横暴だ!
学校群になっても、明和や向陽落ちを拾う群の振り分けにはまっても、瑞陵の校風はずっと変っていないのではないでしょうか。
2年文理分けが学校自体を違う学校に変えてしまうような見方は間違っていると思います。
また、一宮や岡崎を田舎の管理教育校と決め付けるのも悲しいです。
瑞陵の品格が問われます。
あくまでも、生徒たちが人として伸びる学校とは何か。今の時流を読みながら考えることではないですか。
「人として伸びる」のと、「大学合格実績が伸びる」のとは、かなり違うのでは?
「今の時流を読みながら」→「世の末の濁りに染まず」と校歌にありますが、時流を受け入れるわけですか?
教育にとって、時流迎合は最も不味いです。
市内の県立高校である、
名古屋南高校、鳴海高校、守山高校、山田高校、昭和高校、松蔭高校は2年生次文理分けですが、大学合格実績は良いのですか?
上記の高校の大学合格実績が良いのなら、瑞陵も2年生次文理分けにすべきでしょう!
↑3つ上の方、質問の意味がわかりません。
2つ上の方、「不易と流行」という言葉をご存知ですか。
1つ上の方、他の高校を持ち出すから本質から離れていくのです。何の意味もない。
時代の変化に対応出来るものが生き残り、
対応できないものは衰退していく。
自然の摂理です。
旧態依然のカリキュラムでは、現在の大学受験には対応出来ず、
自然界の法則通り衰退していくでしょう。
実際に、旭丘は東海に抜かれ
明和は一宮に抜かれています。
また、2年次文理分けと管理教育は全く別のものです。
東海高校は、2年次文理分けですが、管理教育とは程遠い自由な校風です。
3年次文理分けに固執することは
世の中の流れを読めず、昔の体制にしがみつく幕府軍のようなものです。
県下、2年生次文理分けで大学合格実績を伸ばしている高校は、名古屋市以外の管理教育の高校です。
名古屋市内の2年生次文理分けの県立高校で、名古屋大学合格者数10名以上の高校はありません。
2年次文理分けに固執することは
全人教育に眼をつぶり、大学合格実績を至上命題とし、高校を受験予備校化する「愛知の管理教育」を「自由な名古屋」で推し進めようとするのものです。
★名古屋市内の県立高校(あいうえお順)
【3年生次文理分け】
旭丘
(瑞陵←昨年まで)
千種
明和
【2年生次文理分け】
熱田
惟信
松蔭
昭和
瑞陵←今年から
天白
中村
名古屋西
名古屋南
鳴海
守山
2年生文理分けへの変更によって、「瑞陵の2流校化」とレッテル貼りされることは必至。
これから高校受験する成績優秀な中学生やその保護者、中学教員がどう判断するかによって、瑞陵が本当に2流校になる可能性がある。
3年生次文理わけの明和を第一志望の中学生は、同じカリキュラムの千種を受験するようになることでしょう。
歴代の瑞陵の校長先生は、瑞陵の自由な校風と大学合格実績とをどう両立させるかに苦心されていました。しかし、3年生次文理分けを変更することには手をつけませんでした。そのような歴代校長には教育者としての誇りを感じました。
今の校長先生の書き込みを拝見する限り、歴代校長のような教育者としての誇りを感じません。大学合格実績を経営の要とする予備校の校長になられた方がよいのでは?
2年生次文理分け原理主義者のテロなんでしょ!
【語句説明】
「2年生次文理分け原理主義者」とは、2年生次文理分けにすれば大学合格実績が伸びることを信条とする人のこと。なお、教育基本法及び学校教育法上の「教育」とは、人格の完成を目指すものであり、大学合格実績とは全く関係がない。
幕府軍が最後の抵抗(悪あがき)をしていますが、
時代の流れには勝てず敗れて降伏することになるでしょう。
もう一度言うけど、2年次文理分けの東海高校は、
自由な校風です。
東海と比べれば瑞陵の方がよっぽど管理されていますよw
やたら東海持ちだしてくるけど、中高一貫の私立男子校と比較するのはナンセンス!
東海高校は、高校2年生次に生徒は学業成績によってAとBとのグループ(群)に選別されます。A群とB群に区別した上で、クラスが編成されるのです。生徒本人はもちろん、他の生徒からも、明確にA群・B群が分かるようになっています。同窓会へ出席するのは専らA群(成績が上のグループ)の同窓生です。B群の同窓生は同窓会へほとんど出席しない。
学業成績で生徒を差別し、その差別に卒業後もとらわれる東海高校のどこが自由なのか?
1970年代まで、旭丘はおろか、瑞陵の滑り止め校だったのが東海高校ですよ。公立高校の入試が学校群制度になってから東海高校が浮上したのです。瑞陵の方が自由な校風です。
高校の成績によらない選別方法をとった廣瀬奨学事業の海外研修旅行は、まさに瑞陵の自由な校風を体現しているのでは。そのような瑞陵の自由な校風に誇りを持ちます。
残念だけど
東海の同窓会はB群が多いんだよw
755 名前: 実名攻撃大好きKITTY [sage] 投稿日: 2014/05/30(金) 13:29:42.41 ID:lUdpbafC0
A群出身者(とくに勤め人、給与所得者)はそんなB群主導で運営されている東海同窓会に
不愉快な思いをして、嫌気がさして、関係を絶つ人も少なくないのは常識ですよ。
1970年代まで愛知の私立高校は1校しか受験できなかったから、
瑞陵入学者で東海高校を受験した人は皆無ですよ。
いい加減なことばっか書くなよ。
↑訂正
東海が瑞陵の滑り止めとか
いい加減なことばっか書くなよ。
大学区制のときは、東海を滑り止めにした生徒は珍しくない。本当の話。
いい加減なことを書くなよ
学校群前の時代は、瑞陵より東海の方が
大学進学実績は良かった。
しかも私学は1校しか受験できないから
東海落ちたら、公立も1校受験だから、落ちたら中学浪人。
だから旭丘のごく一部しか東海を滑り止めにしていなかった。
瑞陵では東海を滑り止めにできるはずがない。
上の方さま。
話題が違っています。別のところでやって下さい。
2年文理分けは、瑞陵の格式をおとしめるもの、受験至上主義の予備校化とおっしゃられているみなさま。
中学生が何を基準に高校を選ぶか、ご自身の中学時代を振り返ってください。
難関校に入れる力がつく(いい大学に入れてくれる)高校、または、自分にとって魅力のある高校・・・どちらかですよね。
2年文理分けは、それほど瑞陵の校風まで変えてしまうものですか?
進学実績が今よりも劣るものになるとお考えですか?
受験生が瑞陵を敬遠するようになりますか??
なんか、外野が学校改革をじゃましているだけじゃないですか。
これだけネガティブな書き込みをして、あなたたち自身が、瑞陵進学を考えている生徒を遠ざけるように仕向けているようにも思えます。
瑞陵の校風、建学以来の精神は、そんなことでは変らないです。
内緒さん@卒業生 [ 2014/06/25(水) ]
が正しいですよ。旧大学区時代の東海は
一学年800人くらいのマンモス校でしたから。
瑞陵・一宮>東海でした。
文理分けが2年生からになったのは、2、3年ぐらい前だった。今までは全生徒が2年生で数3をやっていたのだが、その年からは数3をやるクラスと、やらないクラスに分けた。これは実質的な2年生からの文理分けだ。その時、
数学の某教師は俺に、今の瑞陵生は文理分けを3年生からやる力は無い。だから、実験的に文理分けを2年からにするつもりだ。と言った。昔の瑞陵と、今の瑞陵は違うということではないだろうか。
東海の同窓会は地元自営業、会社経営のB群の方が強いしwwwww
今朝の新聞折込広告に高校受験の地元大手予備校の佐鳴の広告が入っていました。佐鳴は今年4月から従来の「トップ5」という表記を止め、瑞陵を含めた6校を大きな太文字で表記しています。つまり、事実上、「トップ6」という状況です。高校入試の難易度で瑞陵が千種を抜いたのが原因と言われています。県下、この6校だけは昨年まで3年生次文理分けでした。
なぜ瑞陵が千種を抜きトップ6状況になった今、瑞陵だけが2年生次文理分けへ変更する必要があるのでしょうか?3年生次文理分けの方が、優秀な成績の中学生が瑞陵を受験すると思います。
千種を瑞陵が入試難易度で抜いた、
という表現は間違い。
実際n塾の出したボーダーは
千種より瑞陵がはるかに上だった、
しかし実際の合格者の点数は
千種の方が高かったようです。
n塾のボーダーを信じていて
ショックをうけた千種受験生も
多かったとのこと。
↑ ただの思い込みw
そんなことで高校を選びませんよ。
豊明市と大府市は、名古屋市内の高校と半田高校、刈谷高校を受験できます。
その中で、刈谷高校と半田高校が2大人気です。
3年次文理分けの旭丘、明和、向陽は人気がありません。
刈谷高校と半田高校は、2年次文理分けですが、大人気です
豊明市では、2年次文理分けの刈谷高校についで、
同じく2年次文理分けの桜台に人気が集まっています。
3年次文理分けの旭丘・明和・向陽に合格できる生徒でも、
2年次文理分けの刈谷・桜台を選ぶ子の方が
圧倒的に多いです。
来年からは瑞陵も人気が出ますよ。
名古屋市民と豊明市民との教育意識は明確に違います。桜台が人気とか、勝手に創作しないで下さい。
5つ上さん(n塾うんぬんの書き込みの方)、佐鳴がこれまで一貫して使用してきた「トップ5」の表記を今春からしなくなった理由はなぜか教えてください。
豊明市内から刈谷高校へ毎年20人弱進学しています。
桜台高校もほぼ同数進学。
豊明市内の人口は6万。
名古屋の30数分の1だから、人気ががあると言えるね。
旭丘・明和・向陽の合計は10人前後だから人気はない。
それは豊明市から桜台は名鉄本線一本で通学しやすいから。昔から桜台へ入学する豊明市民は多いのでは。2年生次文理分けとは無関係です。
名古屋市内の優秀な中学生がどう判断するかが重要。「トップ校=3年生次文理分け」というのが名古屋市民の感覚では?私もそう考え高校受験したクチです。今どきの中学生ならネットですぐ調べるでしょう。そうすると、瑞陵はどうなってしまいますかねー。
「トップ校=3年生次文理分け」というのが名古屋市民の感覚」ということは全くありません。
特に受験生は気にもしていない子がほとんどですよ。
上の方の意見に賛成です。
一方で、ここに書かれている3年文理分けこそが伝統校の証であるような論点が外れた書き込みに左右されてしまう受験生がいないか心配です。
「トップ校=3年生次文理分け」というのが名古屋市民の感覚」との指摘も正しいと思います。
全ての名古屋市民の感覚ではありませんが、今まで瑞陵へ入学した層の一部の親である知識人・教育関係者(大企業、県職員、大学教授や中高の教員)の感覚としては正しいでしょう。教育に対する関心が高いから。
親が高校生だった当時に3年生次文理分けの場合、2年生次文理分けに対する評価が低いのは当然でしょう!
また、名古屋では3年生次文理分けの高校を卒業した人が指導的立場にたっています。3年生次文理分けの教育を受けた人が知識人となる確率が極めて高い。
したがって、「トップ校=3年生次文理分け」というのが名古屋市の知識人の感覚。その知識人の子ども(中学生)がどう判断するかが重要となる。
親が高校生だったころ・・・
今の高校生の保護者だから、40代後半から50代前半ですか。
そのころは、どこの学校も3年文理ワケじゃなかったですか?私もそうですけど。
そこから変らなかった名古屋の学校というだけで、それが正しいって言えるのですか。
それに、3年文理分け賛成派が多数なんて、それも本当ですか?
3年文理分け賛成派は、ごく一部の偏屈な人だけですよ。
投稿回数が多いから、多数だと錯覚させられているだけです。
大学受験生に聞けばすぐ分かります。
2年文理分け賛成派が圧倒的に多数ですよ。
それはほとんどの高校が
二年時文理分けであるから。
また言うならば三年時文理分けを
実践できている高校が少ないからです。
三年時文理分けを実践している高校の生徒は
三年時文理分けのメリットを理解しています
上の方は良い事を言いますね。
これだけ2年生次文理分けへの変更に多くの批判的な書き込みがあるのは、瑞陵生が3年生次文理分けのメリットを理解していた証左です。
3年生次文理分けのメリットって
要するに根拠のない思い込みによる誇りでしょ。
一般の名古屋市民は、どこの高校が3年次文理分けかなんて、ほとんどの人は知らない。
高校受験生ですら大半は知らない。
思い込みだけのプライドは空しいですね。
上の方に賛同です。
3年文理分け賛同の書き込みが多いから・・・
瑞陵生が理解しているって・・・何を根拠におっしゃっているんでしょうか?
どれだけ在校生の書き込みがありますか。
われわれの議論を冷ややかな眼で見ているだけです。むしろ嘲笑かもしれませんよ。
瑞陵生は、過去の栄光を背負っているのではなく、瑞陵の伝統と校風を受け継いでいるのです。それは、3年文理分けに起因するものではありません。
3年時文理分けであるということに
プライドを持っているのではなく、
高校を卒業し、大学、社会人として
一大人として生きていくうえで、
3年時文理分けは大きなメリットがありました。
名古屋市民や受験生が知っているかなど
関係ないのです。
誰も自分が高校時3年時文理分けだと
知らなかろうが、自分自身が
3年時文理分けでよかったなあと
思う時があるのです。
それが3年時文理分けの大きなメリットではないですか?
高校生時代は目先の大学受験を
第一優先にしている
2年時文理分けの高校が羨ましく
思えたりするものですが、
3年時文理分けはその後の人生で得られるものが
大きいのだと実感しています。
この感覚は3年時文理分けを経験してきた
人間にしかわからないのです。
3年次と2年次文理分けの具体的な履修科目の違いを見れば、
そんなに大げさな違いはない。
2年次文理分けへの変更で具体的には、
理系の場合、社会の地歴履修が1科目減るだけ。
文系の場合、数3の履修がなくなるだけ。理科については物理か地学を選択できる分、逆に選択の幅が広がったから歓迎すべきだ。
こんなちっぽけな違いしかないのに、
「大学、社会人として、一大人として生きていくうえで、大きなメリット」って、一体何を大層なホラを吹いてるんですか。
こんなものは大学へ入ってから、たっぷりある時間を使って自習すればいいのですよ。
大学の一般教育科目の選択次第でさらに深めた勉強もできます。
あなたは大学の一般教育科目をまじめに履修しなかったのですかね。
3つ上の方。
在校生はただ今、テスト期間中です。在校生の書き込みは少ないかもしれませんが、注目していますし、学校でかなり話題になっています。生徒会の人の中では、怒っている生徒もいます。
「一般人」を名乗るあなたこそ、部外者そのものではありませんか!?
恩師である加藤十八校長は「旭丘(一中)への対抗心があるのが瑞陵だ」とかねがね仰っていました。旭丘を含めた名古屋の上位の公立高校が3年生次文理分けを維持しているのに、瑞陵は2年生次へ変更とは。今の校長先生には旭丘への対抗心が感じられません。瑞陵魂がないのです。
じゃあ、旭丘が2年次文理分けにしたら
瑞陵はどうすべきなの?
3年次文理分けの方がメリットがあるから変更しないの?
トップ校が2年次になったら、対抗して真似するの?
>文系の場合、数3の履修がなくなるだけ。
東大文科受験生にとっては必要な知識です。
以下長文の引用なので関心のある方だけ読んでください。
「東大では、知識は教科書レベルでも発想の仕方で差が生まれる問題が多い。また、文系であっても
数学3、
数学Cの知識があることが望ましい。設問としては
数学3、
数学Cの知識が全く無くても解答できるように設定されている(この点については非常に厳密に守られている。)が、これらの知識があることで発想可能範囲が広がるものである。これは高校の指導要領では
数学の履修範囲について、本来は文理の区別はされておらず、文系であっても
数学3、
数学Cの履修は制限されていないように、理想的には全科目において全範囲(例えば
数学6科目、理科4科目、地歴3科目など)を取得していることが高校生として望ましいと大学側が考えているからである。これは大学側としては受験科目に特化した授業体系を取っている有名受験校出身者に偏ることなく、地方県立高出身者の割合を低下させたくないと考えているからである。(かつては地方県立高は理科社会は全科目履修が当たり前という時代があったのである。)」
(ウィキブックスの東大対策より引用)
4つ上の在校生さん。
テストが終わったら、是非、みなさんの意見をお聞かせください。
わたしは、どちらの見方でもありません。
一般人ですから。
でも、この議論をずっと眺めたとき、現在の受験の現状を的確に把握せず、瑞陵の現状が変更されたことに憤りを覚え、けしからんという言い方が違っていると思ったから注目しているだけです。
そして、全人教育とは、たくさんの知識を教授してもらうことではなく、何事にも懸命に取り組む姿勢やモラル、知への好奇心や学び方・考え方を学ぶことです。その伝統や校風は、ずっと瑞陵に受け継がれていると思います。それが瑞陵魂という言葉で表現されるものではないですか?3年文理分けと関係がありますか?
悲しいかな、目先の利益にとらわれているのは、3年文理分け死守のお考えの方のほうが多いように思えます。(わたしは3年文理分けの学校を出ていますと・・・。わたしの出身校は、今でも3年文理分けをしている全人教育の素晴らしい学校だと言いたいとか・・・。わたしは、文系だけれど数3やCを勉強したからわかりますとか・・・。とも取れますよ。)
一つ上の方・・・でも、一宮も岡崎も2年で文理分けですよね。
文系の場合、
数学の配点は低い。
しかも数3の知識を使える問題が出るかどうかも分からない
数学のたった1問のために
多大な時間を使うのは、合理的ではない。
高校生の大学受験勉強には時間に限りがある。
充実した高校生活を送り、尚且つ現役合格しようとすれば、効率的な勉強は必須。
ごもっともなご意見です。
ただし、東大文科の
数学問題に限っては捨てるわけにはいきません。
以下また長文の引用なので関心のある方だけ読んでください。
東大
数学文科
試験時間は100分で、4つの大問からなる。配点は80点で、1問20点。理科との共通問題もある。
総じて、文系としてのみならず理系としても難易度の高い問題が出題されるが、最も差の付きやすい教科なので、捨てることは許されない。図形や整数などを絡めた複合分野問題が多く、定型化された解法だけでは対応できないことが多いとされてきたが、近年は計算力重視の傾向が顕著であり制限時間が厳しい。1問20点もあるので、難問が出ても、捨てることはせず、部分点を積極的に狙っていくことが大切である。
採点では、厳密に部分点の採点もなされている。理解不十分な解法により正答らしい解答がなされている答案よりも、正確な理解に基づいた途中答案の方が高得点が与えられることも往々にしてあると、東大教員は言っている。
数学が苦手な東大文科受験生でも、部分点を駆使するなどして、最低でも20〜30点を取ることを目標に受験勉強を行っておこう。
数学を得意とする受験生は、70点以上を獲得することも可能なので、他の受験生に一気に差をつけることが出来る。
(ウィキブックスの東大対策より引用)
>一つ上の方・・・でも、一宮も岡崎も2年で文理分けですよね。
東大文科の合格者は理科に比べて少ないですよね。まあ、定員がそもそも少ないわけですが。
それはある意味で核心をついているかもしれません。
2年文理分け校では、優秀な生徒が理系に流れる傾向があります。
ですから理系過多と2年文理分けは関係があるかもしれません。
近年の文系離れもそんなところに起因しているのでしょうか。
2つ上の方・・・みんながみんな東大に行くわけではない。むしろ、名大クラスの大学でどうかを議論したほうがいい。
一宮西は、2年文理分けだけれど、名大ねらいで
数学重視の文系クラスがある。
入るときは瑞陵より学力的に下だと思うけれど、名大への進学実績は瑞陵よりいい。
一宮西のようには絶対なって欲しくないけれど、受験対策だけの議論なら他にも方法があるように思います。
>みんながみんな東大に行くわけではない。
それもごもっともなご意見です。
でも瑞陵で、もうワン・チャンス狙える可能性を残しておいたほうが、優秀な生徒が来ると思うのですが。明和落ちの生徒が東海・滝に流れていってもいいんですか。
東海・滝は2年次文理分けですよ。
だから今までは明和落ちは、2年次文理分けの東海・滝に流れていったんですよ。
3年次文理分けでは
瑞陵で、もうワン・チャンス狙える可能性は低くなるんですよ。
東大文系での数3は詭弁に過ぎない。
時間対効果は大事!
文系での数3は、無駄に時間だけ取られて、非効率。
質問者さんのような受験生のために、情報を提供しただけです。若い人には効率重視の考え方に染まらないよう願いたいです。
効率重視を突き詰めたら、部活不要ということにもなりませんから。
高校時代を勉強だけに捧げてほしくありません。
また滅茶苦茶な論点のすり替えですね。
上にも書いたように部活をやり高校生活を充実させながら現役合格するには、
文系で多大な時間を使って数3をやることは効率が悪いということです。
高校生の勉強時間には制約があるのですよ。
その制限の中で効率を追求することが合格につながります。
23年度卒業生の保護者です。
文系ですが、数3はもともとやってないと思います。
旭や明和にはできて瑞陵にはできないとなると、御三家も返上しないといけないですね。
郡部の高校の真似をして、せいぜい進学実績を良くしてください。行き着く先が一宮西にならないことを願っています。
↑
根拠のない脅し(そうしないと○○になる)のような言い方は不快であるだけで、何の説得力ももちません。
建設的な意見交換でありたいです。
学校群以前に瑞陵が御三家と言われていたのは、
大学進学実績がベスト3であったからです。
現在の瑞陵を名古屋市内県立高校の御三家などと言う人はまず、いません。
ところが、2年次文理分けは、瑞陵が御三家として復活する起爆剤となる可能性を秘めています。
今や東大合格者数ベスト10のほとんどは、2年次文理分け校です。
3年次文理分けの旭丘は、浪人率が6割を超えています。
明和は合格最低点が一宮より高いのに、大学進学実績では2年次文理分けの一宮に完敗です。
2年次文理分けとなった瑞陵は、千種を引き離し、向陽を逆転することも考えられます。
御三家復活のために瑞陵の2年次文理分けは必須だと考えます。
2年文理分け賛成派ではありますが・・・
東大ベスト10のほとんどは、2年文理分け
ベスト10のほとんどは、中高一貫教育校です。
ベスト10ではありませんが、愛知の東海もそうですが、高2年までで一通りの授業を終えるようなカリキュラムですから、必然的に2年文理分けになりますよね。
対比する対象はきちんと見極めないと足元をすくわれます。
↑
認識が間違っています。
中高一貫校では、一般的に高1で数2Bまでを履修します。
よって数3は2年での履修なので、中高一貫校でも文系は数3を履修しません。
また中高一貫での先取りは主に
数学と
英語が中心で、
理科と社会は2年次文理分け公立とそれほど進度はかわりません。
文系数3履修の話はしていませんよ。
数1・2を1年でやってしまって、2年文理分け。
もう、高2の時点で数3をするかどうか選択しないといけないわけですから、自然に高2文理分けですよね。
これが、一般の公立校は、高1で数1、高2で数2ですから、文理分けが高2か高3かの選択が発生すると言っているのです。
高2までに授業が終ってしまうというのは言いすぎだったかもしれませんが、認識はあなたと大きく違わないし、中高一貫の2年分けと公立高校の2年分けは同じ議論に乗せられないことは、あなたの説明からも明白ではないですか?
???
公立の進学校は、一般的に高1で、数1と数2を、
高2で、数2の続きと、数3を履修します。
2年次と3年次の文理分けの最大の違いは、
文系が、高2で数3を履修するかしないかです。
これは公立も中高一貫も同じです。
理科と社会も、2年次と3年次の文理分けで大きな違いがありますが、
この点では、公立2年次文理分けと中高一貫では、それほどの差はありません。
>明和は合格最低点が一宮より高いのに、大学進学実績では2年次文理分けの一宮に完敗です。
一宮は行き過ぎた進路指導があるからでしょ。
一宮の板に行ってご覧よ。
実態がわかるから。
>根拠のない脅し(そうしないと○○になる)のような言い方は不快である
当方のコメントで不快な思いをさせてしまったのであれば、お詫び申しあげます。
一宮も、全員部活に加入で、学校行事も盛り上がり、充実した高校生活を送っているようです。
一宮と明和の大学合格実績の違いの原因は
「行き過ぎた進路指導」とかではありません。
最大の原因は、一宮の2年次文理分けによる大学受験に向けた効率のよいカリキュラムでしょう。
そして次の原因は、一宮の生徒は、明和の生徒よりもよく勉強しているということです。
模試の成績で希望しない大学でも勧められてしまうのは、行き過ぎた進路指導と言わないのですか?
瑞陵の掲示板で、関係ない高校の話題は慎みましょう。
>2年次と3年次の文理分けの最大の違いは、
文系が、高2で数3を履修するかしないかですす。
そういう認識はなかったです。
そして、瑞陵の文理分けが2年か3年かという問題に限って言えば、わたしの言っていることはたぶん間違っていないし、そういう議論です。
この掲示板での問題に関しては、あなたの認識が違います。
「一般の公立校は、高1で数1、高2で数2ですから」
これは間違っている。
名古屋の3年文理分けの5校は、
文系でも高2で数2と数3を履修している。
(各校HP参照)
大学進学実績はともかく、ゆるくゆとりがあるのが瑞陵。ゆとりの校風には、3年生次文理分けがマッチしている。
「2年生次文理分けにしたから、大学合格実績を増やさないと示しがつかない」と校長先生がお考えなら、ゆとりの瑞陵の校風が終わってしまう。
あと、今後、3年生次に理転・文転したい生徒には柔軟に対応してあげて下さい。文理を見極めたいと真摯に考えている生徒ほど学力のノビシロが大きいと思います。
全く分かってない人が多いですね。
大学受験を考えた場合、
2年次文理分けの方が、ゆとりが生まれるのですよ。
2年次文理分けになっても、
授業時間数が増えるわけではなく、
受験科目以外の負担が軽くなり、
大学受験勉強にゆとりを持って取り組めます。
だから、瑞陵は大学受験予備校ではないといっているでしょ! 「大学受験対策」なんて高校のカリキュラムにそもそも存在しないのです。「受験科目以外の負担」の負担の意味が分からない。
瑞陵の教育目標との関係で必要なことは、大学受験の科目と無関係でも、履修させるのが教育です!
在校生が「大学受験でリベンジ」なんて発言をするところが、2次志望で入学してきた子が多いことを想像させますね。(倍率上がりましたし)それに答えてやろうという学校の方針なのでしょうか?まさに「○○高校に負けるな!」「○○高校を追い抜け!」という比較競争の風潮が今の瑞陵高校にはあるようですね。
通りすがりのものです。コメントさせていただきました。
2年次文理分けしたからといって、大学受験予備校のようになるわけがありません。
文系で数3を履修したり、物理が必修だと多くの時間を要し負担がかかります。
大学受験の科目と無関係な科目の履修は、2年次文理わけでもほとんどそのまま残り、多少軽減されるだけです。
また、数年前から、瑞陵は
数学に関しては実質的に2年で文理わけしていたのですよ。
2年生次文理分けで大学合格実績を伸ばしている郡部の高校は、管理教育の校風です。
あの岡崎さえ、夏休み返上で授業を行っています。滝も同じ。
2年生次文理分けにしたら大学合格実績が伸びるというのは幻想でしかない。
(岡崎高校の卒業生は「岡高は自由な校風」と言いますが、管理教育が厳しい岡崎地区の中では比較的自由であるに過ぎません。名古屋と岡崎では常識が違うのです)。
瑞陵は高校入試の
偏差値では千種より低いのに、
大学合格実績で、ここ数年、千種を抜くようになった。
この要因として、数年前から、瑞陵が
数学に関しては実質的に2年で文理わけしていたことが大きく貢献している。
その他の科目も2年次文理分けすれば
大学合格実績が伸びることは間違いない。
大学合格実績を他校と比較してもあまり意味が無いのではないですか。
3年分の合格実績が学校の公式サイトに載っていますが、取り立てて変化はないようですが。
どの辺りに
数学の2年次文理分けの効果が出ているのか、具体的な数字で示してください。
−−−-.|.-人|東|京|一|東|北|東|名|阪|九|-国‖-合‖.-割|
.−年度-|.-数|大|大|橋|工|大|北|大|大|大|-医‖-計‖.-合|
=====
2013年|320|-1|-2|--|--|-4|--|14|-4|--|---‖-25‖-7.8|
2012年|320|--|-3|-1|-1|-1|-3|24|-2|-1|--1‖-37‖11.3|
=====
2009年|320|--|-1|--|-1|-1|--|12|-2|--|--3‖-20‖-6.2|
2008年|320|--|-1|--|--|-3|--|12|-1|--|---‖-17‖-5.3|
−−−-.|.-人|東|京|一|東|北|東|名|阪|九|-国‖-合‖.-割|
.−年度-|.-数|大|大|橋|工|大|北|大|大|大|-医‖-計‖.-合|
=====
2014年.|320|-1|-1|--|--|-4|-1|19|-2|--|---‖-28‖-8.8|
2013年|320|-1|-2|--|--|-4|--|14|-4|--|---‖-25‖-7.8|
2012年|320|--|-3|-1|-1|-1|-3|24|-2|-1|--1‖-37‖11.3|
=====
2009年|320|--|-1|--|-1|-1|--|12|-2|--|--3‖-20‖-6.2|
2008年|320|--|-1|--|--|-3|--|12|-1|--|---‖-17‖-5.3
早速ありがとうございます。
お手数ですが、2010年、2011年のデータもお願いします。
内緒さん@一般人 [ 2014/06/30(月) ]が引用されているように、最近、東大をはじめとする難関大学は、入試科目以外の科目についても高校で履修している受験生を重視する傾向がある。なぜなら、そのような受験生の方が大学に入学してから伸びると大学側は実感しているからである。
あと数年でセンター試験も廃止される方向である。センターが廃止されたら、高校の内申が重視される。
同じ内申点でも、高校格差があるため、上記の傾向にある難関大学では、3年生次文理分けの高校をAランクと高く評価し、2年生次文理分けのBランク低く評価することによって、高校を選別することになる。
その時、難関大学による瑞陵は評価はいかなる評価になるかは、簡単に想像がつく。あと5年くらいの間、3年生次文理分けで踏ん張ることができれば良かったのに。
目先の大学合格実績を追っていると、中学生とその保護者によって2流校と評価されるばかりか、難関大学によっても2流校と烙印がおされてしまう。
これは、瑞陵にとって今そこにある危機なのである。
>センターが廃止されたら、高校の内申が重視される。
>2年生次文理分けのBランク低く評価することによって、高校を選別することになる
根拠のないただの妄想は止めましょう。
合格実績がC高校を抜いているという
のも誤りですね
大差ないように思います。
C高校は国公立が少なめですが
そのぶん早稲田慶応には瑞陵の何倍もの
合格者を出していますし、海外の大学への
進学も多いようです。
さらに昨年度はここ数年瑞陵が
上だった名大もC高校のほうが多く
東大京大も同数。
どちらも優劣差なくよくやっていると思いますよ
>根拠のないただの妄想は止めましょう。
説得力のある考察だと思いますが。
説得力ゼロだよ。
馬の耳に念仏というわけですね。
センター廃止によって日本の大学入試をアメリカの大学入試に近づけようというのが教育再生実行会議(座長;鎌田早大総長)の方針。
アメリカの大学入試は、高校の内申重視で、大学による高校のランク付けが重視されている。
こんな基礎知識くらい、頭に入れておいてください。校長先生は目先のことしか頭にないのでは? 教育は100年の計です。瑞陵の百年後を見通してください!
↑その通りでしょうが、だからといって、3年文理分けの学校をAランクとか・・・飛躍していませんか?
高校時代の学習状況を大切にするといっているだけですよね。
文科省や国の方針にそって右往左往するのが100年の計ですか?
資料は、説得のための資料であって、右から左に受け流すものではありませんよ。
私も説得力ゼロだと思います。
3年文理分け公立校で、2年で数3を履修しているとおっしゃる方。
きちんと調べてください。
数3の1部分です。数3の履修ではありません。
3年文理分け時代の瑞陵では、数3+Cの5単位のうちの1単位です。
これを2年での数3履修といいますか?
明和は、教育課程を公表していますが、2年は数2となっています。
それに対して、東海高校を例にしますが、私立一貫校は、高2までにすべての数3の授業を終えます。だから、その前の高2になるときに文理分けなんです。
数3の全ての内容をすべての生徒が履修している学校があれば後学のために教えてください。
旭丘。
1単位と言っているが
高2の後半に週2、3時間の負担は文系にはきつい。
しかも最後まで終わらず中途半端にしかできないから無意味。
明和は実際は2年で数3をやってますよ。
ひょっとすると実質、
数学だけ2年で文理分けしているかも。
3つ上の方へ。
大学による高校評価は厳格ですよ。慶応が瑞陵の指定校推薦を取り消したのご存知ではないのですか。高校のカリキュラムを大学はきちんとチェックしています。あと5年くらいで国立大学も同じことをするでしょう。
したがって、かなり説得力があるのです。
おそらく人生が全て愛知県人である校長先生は、中央政府の意向を踏まえず、愛知県の地方官吏の感覚で、文理分けの学年を変更したのではありませんか。
人材輩出に責任がある五中瑞陵の校長なら、中央政府の動向をチェックしていないと務まらないはずです。
地方紙の中日新聞もいいが、全国紙の読売新聞・朝日新聞・毎日新聞も読んでください。
あと5年くらいでセンターが廃止されたら、名古屋市外の「愛知の管理教育」の高校は存在意義がなくなる。
「愛知の管理教育」の高校では、朝に0限授業を夕方に8限をやり、プリント課題を課したり、一年生次から夏休み返上の授業をやっている。そして、2年生次文理分けである。要するに、知識詰め込み教育である。
しかし、センター廃止によって瑣末な知識の暗記は不要になる。詰め込み教育は存在意義を失うのである。
その時、高校に求められるのは、真の基礎学力の育成となる。嗚呼、それは、まさに去年までの瑞陵の教育ではないか!瑞陵のゆとり教育こそ、日本の教育改革を先取りしたものだったのに、それを変更してしまうとは!
瑞陵が陥落しても、名古屋市内は旭丘、明和、菊里、向陽、千種が依然、3年生次文理分けです。ご心配ありません。
3年文理分けの高校が高く評価されるということに対して、みなさんの話は、全然説得力ないと思います。
一切、その根拠は示されていません。
希望的観測やすり替えではなく、客観的な内容で示してください。
瑞陵の慶応推薦枠の話も真実かどうかの確認はさておき、本当だとしても、それが2年文理分けになったから取り消されたのではないですよね。
東大合格者10名以上のその他の公立校をみたとき、東京都立は、3年文理分けですね。
でも、地方の公立高校の多くは、2年文理分けです。
盛岡第一、県立浦和、高崎、水戸第一、宇都宮、長崎西、一宮、岡崎
3年文理分けは、都立以外では、
県立千葉(2年では数2まで履修)、旭丘かな。
名古屋の実情だけを見て、それが常識のように言われている方も見受けられますが、あなたたちの方が見えていないのではないですか?
↑一行目「その他の」を削除してください。
全国の公立トップ校を地域別に調べてみると3年次文理分け校のほうが進学実績で圧勝しているところもあります。
北海道は、公立トップ4校のうち3校は3年次文理分けです。
3年次文理分け校
札幌南高(東大10(うち理32名),京大12,北大118(うち医学科19名))
札幌北高(東大4,京大3,北大116(うち医学科7名))
札幌西高(東大2,京大2,北大85(うち医学科0名))
2年次文理分け校
札幌東高(東大1,京大2,北大98(うち医学科1名))
数字は各校のホームページより、札幌東高だけ今年のデータがアップされていなかったので前年データ。
熊本県の公立トップ2校は次のとおりです。
3年次文理分け校
熊本高(東大18,京大21,九大59,熊本大80)
2年次文理分け校
済々黌高(東大2,京大4,九大19,熊本大94)
このように地域によっては3年次文理分け校のほうが優勢なところもあります。
↑札幌南高の東大理三は2名です。
要するに公立トップ校、イコール3年文理分けという式は成立しないということですね。
こんな当たり前のことも分からない頑固者が粘着して、3年文理分けを脳内で神格化しているのでしょう。
↑上のデータをどう読んだら、そういう結論になるのでしょうか?
北海道、熊本、東京は、3年文理分け・・・それだけのことですよね。
そうして圧倒しているのですか???
そうして→どうして
訂正してください。
全都道府県別に示さないといけないですか?
今まで瑞陵では物理が必修だった。しかし、今後は2年生次文理分けの導入で必修でなくなるという。今日、科学技術の発展が目覚しいため、文系でも物理の基礎知識くらい理解していないと不味くないか? 大学入試の科目で不要なら高校での履修も不要と言うのは、安易すぎないか?
要するに、名古屋市以外の愛知の県立高校の大学合格実績が良いのは、全国的には公立高校は3年生次文理分けが主なのに、2年生次文理分けをしているからなのでしょう。
実際に、岡崎(二中)、時習館(四中)、一宮(六中)、半田(七中)、刈谷(八中)は2年生次文理分け(時習館以外は「愛知の管理教育」の高校)。
「愛知の管理教育」は大学受験に特化しているというカラクリが分かりました。優秀だから大学合格実績が良いのではなく、カリキュラムによる細工なのですね。週刊誌の高校ランキングでは分かりませんでした。今後、瑞陵も「愛知の管理教育」の門下に入るということなのでしょう。
3年次文理分けと管理教育とは
何の関係もありません。
埼玉県立浦和高校は、埼玉県の超トップ高校で2年文理分けですが、
自由な校風です。
東海高校も2年文理分けですが、
自由な校風です。
瑞陵の文系は、物理と地学の選択だから、
物理を選択することも出来るのですよ。
今までは地学の選択が出来なかったのだから、
素晴らしいではないですか。
物理と同様に地学の基礎知識も重要です。
高校生活には時間的な制約があるから
何もかも履修すればよいというものではなく、
必要なら大学に入ってから以降も自習して基礎知識をつけることは可能です。
それとも瑞陵の生徒は、高校で教えてもらわないと物理の勉強が出来ないのですか?
文部科学省の学習指導要領に基づいて、構成された教育課程であるのに、どうしていけないのでしょうか。
文部科学省は、基礎的な科学知識、思考力、問題解決能力について基礎科目の履修を必修とした上で、「生徒一人一人の能力・適性,興味・関心,進路希望等に応じて深く学び,自然を探究する能力や態度を高めることができるよう・・・」と、応用的分野については、選択としています。
また、物化生地のうち基礎分野について3科目を必修とするといっています。
それでいけませんか?
4つ上の方
「愛知の管理教育」とは、何をさして言うのでしょうか。きちんと定義してください。
どんな言葉でも、錦の御旗のように振りかざし、それで片付けてしまうことは危険です。
(管理教育についての議論がしたいわけではなく、論理としてはっきりさせたいだけです。)
>全都道府県別に示さないといけないですか?
全都道府県を示さなくても、進学実績と文理分けの学年に因果関係がないことは分かったでしょう。何のために全都道府県を調べるのでしょう。時間の無駄ですよ。
4つ上の方へ。
大学の教養教育がしっかりしていない以上、高校で各科目の基礎について満遍なく学習させる必要があると思います。名大をはじめ旧帝大の一般教養では十分ではありません。したがって、現在のシステムでは、高校で行うことが望まれます(ただ、このことは日本の教育システム全般の問題でもあります。旧制高校のような教養教育をする機関を戦後廃止したことが原因です。駒場がリベラルアーツと自称しているのは、現状を知っているだけに笑えてしまいます)。
4つ上の方へ。
文部科学省の学習指導要領は最低限の定めです。学習指導要領に違反したら、校長の裁量権は逸脱濫用で不当なものであり、懲戒の対象となります。
学習指導要領(文科省による最低レベルのハードル)に違反しないことと、瑞陵の教育目標(瑞陵独自のさらに上のハードル)に基づき文理分けの年次を3年生をすることとは、別次元の問題です。
ご理解できましたか?
4つ上の方へ。
「愛知の管理教育」の下記の成果を見れば、その内容が明らかです。
1、東大出身者のAV女優第1号;愛知県立岡崎高校が輩出。
2、一昨日、現役京大生がAVデビュー;愛知県立刈谷高校が輩出。
3、一昨年、校風を苦に校内トイレで首吊り自殺;愛知県立一宮西高校で発生。
全人的教育よりも大学受験実績を重視すれば、上記のようなことが起こるのは明白です。
瑞陵が上記の高校のようにならないことを祈るばかりです。
《2、一昨日》は間違い。一昨年です。
瑞陵の生徒は、高校で教えてもらわないと物理の勉強が出来ないのですか?
この問いの答えになっていませんが。
大学の教養教育とは関係なく、高校の内容くらい、必要だと判断したら自分で勉強すればいいだけのことです。
瑞陵の生徒は、高校で教えてもらわないと自学自習もできないのですか?
高校の物理教育の全否定ですか。
正しい指導者の元、必要な実験をすることで、物理学の理解が深まるのです。実験結果によっては、理論の再構築が必要となります。
自学自習だけでは、机上の空論となりかねません。
化学・生物も実験の重要性は同じです。
実験を疎かにしたからSTAP細胞のようなことが起きたのではありませんか。
本題とは関係ないことですが、一言コメントさせていただきました。
4つ上の方へ
管理教育とはどういう教育かと聞いています。
答えになっていません。
2つ上の方がコメントされていることは、物理ではなく、理科教育全般に関わることです。
したがって、物理を学習しないからといって達成できない目標ではありません。
高等学校の学習指導要領を読んでください。
そこにきちんと高等学校での理科教育のねらい、それを達成するための方策が明記されています。
これまでの議論は、何人かがおっしゃられていますが、とても概念的で、結論ありきの誘導型が多いようにみえます。
>学習指導要領(文科省による最低レベルのハードル)に違反しないことと、瑞陵の教育目標(瑞陵独自のさらに上のハードル)に基づき文理分けの年次を3年生をすることとは、別次元の問題です。
決められた時間の中で、何をどのように履修させるかは、学校の裁量です。その通りです。
しかし、そのことと、3年文理分けがどう結びつくのですか???
私の頭では、その間の論理を埋めることができません。まさに別次元の問題ではないですか?
「瑞陵の生徒は、高校で教えてもらわないと自学自習もできないのですか?」
→あなたは高校の授業そのものを否定するのですか?
高校で先生に教えていただくのは、その分野に専門知識を有する教員の授業を受けることが本人が知識を獲得するのに合理的効率的だからです。
何でも本人が自力でできるのなら高校の授業がそもそも不要になります。
2つ上の方へ。
まず、それは貴方の下記の書き込みが曖昧だからです。
「文部科学省の学習指導要領に基づいて、構成された教育課程であるのに、どうしていけないのでしょうか。」
これでは、学習指導要領に基づきさえすれば何ら問題が無いとおっしゃっているように読めます。
したがって、上記のように回答いたしました。
次に、3年生次文理分けとの結びつきへの質問についてです。
瑞陵高校では、瑞陵の教育目標に基づいて従来から3年生次文理分けを行ってきました。3年生次文理分けの根本的な考えは、将来日本社会で指導的立場に立つことが予定されている瑞陵校生にとっては、理系文系の出来るだけ広い範囲の知識を獲得することが望まれるという考え(解釈)です。したがって、大学入試とは関係ない科目についても必修科目としてきました。瑞陵の教育目標から3年生次文理分けという扱いが生じたのです。
したがって、瑞陵の歴代校長が採ってきた上記の解釈を変更するならば、それなりの理由や状況の変遷が必要です。しかるに、大学受験の2年生次文理分けの方が有利だからという安易な理由では、上記の解釈変更の説得的な理由付けにはならないのです。
以上から、2年生次文理分けへの変更は、今の校長先生による、3年生次文理分けを維持してきた歴代校長に対する僭越行為と認められます。
「大学受験の」2年生次文理分けの方が有利だからという安易な理由では、上記の解釈変更の説得的な理由付けにはならないのです。
↓
「大学受験で」2年生次文理分けの方が有利だからという安易な理由では、上記の解釈変更の説得的な理由付けにはならないのです。
一見目覚しい大学合格実績をあげている岡崎、刈谷、一宮西の暗部にはゲッソリ。伸び伸びとした学園生活が送れる瑞陵で本当に良かったです。
↑
失礼ですが、在校生ですか?
岡崎、刈谷、一宮西・・話題には出ていますが、通学圏がばらばらの接点が少ない学校について、「暗部」「ゲッソリ」と言えるほど詳しいのですね。
どんな話を実際にお聞きですか。伝聞の話で批判するならやめましょう。
4つ上の方へ
説明不足でしたら申し訳ありません。
必修と選択があるのです。どの教科でも。
それは、すべての科目を必修にしては、時間数が足らなくなることや、生徒の特性を考えてのことですよね。
理科や
数学が話題になっていますが、地歴や
国語についても同じことが言えます。
その時間を活用してどんな学習をするかは確かにポイントであると思います。
しかし、だから、3年文理分けをして、広くたくさんの教科を学習し、それが、全人教育だとおっしゃっているのであれば、議論は平行線ですね。
なにより、2年文理分けは、受験のためだけのカリキュラム変更だということが念頭にあるようですので。そこが出発点になっているのであれば、なおさらのことです。(それなら、2年文理分けは、受験偏向の教育であることで論じるべきで、この議論の反証として持ち出すべきではないと思います)
最後に、
>「瑞陵の歴代校長が採ってきた上記の解釈」
全人教育と3年文理分けについて、どこに書かれているのか、教えてください。
2つ上の書き込みに追加です。
これとばかりに、他校への批判を書くことのないようにしてください。求めているわけではありません。その逆です。
このような書き込みにより、他校を安易におとしめることは、この掲示板の趣旨ではないことを言いたかったのです。
ご理解ください。
3年次文理分けと全人教育は関係ないです。ただのこじ付けです。
全人教育は、小原國芳によって唱えられた教育理念。
大正デモクラシー期の教育改革運動である大正自由教育運動のなかで生まれた八大教育主張のひとつ。
小原は自身の全人教育を実現するため、玉川学園を創設した。
全人とは小原の説明を借りれば、
「全き人間」(the whole man)という意味であり、
教育の目的は、人間文化の6つの要素である学問、道徳、芸術、宗教、身体、生活について、
それぞれの理想である「真」、「善」、「美」、「聖」と、
それを支える補助的な価値として「健」、「富」を備えた完全で調和のある人格を育むべきであるとするものである。
この理念のために、従来の教育で欠けていた道徳、芸術、宗教などを重視した。
その全人教育の玉川学園は
2年次文理分けです。
3つ上、訂正です。
全人教育とはおっしゃっていませんね。
失礼しました。
しかし、「将来日本社会で指導的立場に立つことが予定されている瑞陵校生にとっては、理系文系の出来るだけ広い範囲の知識を獲得することが望まれるという考え」がどの校長先生がどの場面出発言されているのか、それが3年文理分けと関連付けた発言なのか、あるいは学校としての見解としてそういうことがあったのか、はっきりさせていただきたいということです。
よろしくお願いします。
だから「解釈」と書いているのですが!
(例えば、憲法9条に、集団的自衛権はおろか個別的自衛権自体、書いてないでしょう。「解釈」なのです)
解釈でも結構ですが、その解釈は、どこから生じるのですか?
あたかもご自身のお考えが、歴代の校長や学校の考えにすりかえられているように思います。
「したがって、瑞陵の歴代校長が採ってきた上記の解釈」
↑
あなたは、「こうおっやられています。」
すみません。
自分の中で整理をせず、何度も書き込んで申し訳ありません。
解釈は、ご自身の解釈ですよね。でしたら、それをもとに、「したがって、瑞陵の歴代校長が採ってきた上記の解釈」とおっしゃるのはおかしいのではないかということ。
逆に、歴代の校長の具体的な学校経営の中での3年文理分けについての発言や記述をもとにあなたが解釈されたなら、その根拠は示すべきです。
といいたかったのです。
ということは、3年文理分けだけについて言えば、歴代の校長が大切にしてきた理念とは言えないということですね。
*もちろん、全く関係がないとはいいませんし、ある程度の関連はあると思うのですが、この問題は、限られた時間の中で、どの教科をどうやって履修させるかという問題であり、それぞれの時代背景の中で校長先生が判断されてきたことだと考えます。
今の校長について、判断がどうだったかは別にして、現時点で、歴代校長のお考えを全く考慮しない独善的な決断をする悪者のように言うことはやっぱりよくないといいたいです。
「解釈」というワンクッションを入れなくても、この半世紀近く歴代校長と教員が守ってきたのが3年生次文理分けだとすれば、3年生次文理分けも瑞陵の伝統の一つであるため、それを変更するにはそれなりの理由が必要であると認めれます。
上の方へ。
「独善的な決断をする悪者」→誰もそんな書き込みをしていません。
>以上から、2年生次文理分けへの変更は、今の校長先生による、3年生次文理分けを維持してきた歴代校長に対する僭越行為と認められます。
この書き込みから「解釈」しました。
3年文理分けが伝統とか守ってきたものだという根拠をしめしてくださいといっているのです。
あなたは、何の根拠も示していません。解釈にしても、その解釈のもととなる考えがあるはずです。
それを示していただければ、「学校の考え」と「あなたの解釈」の間に何があるか、第三者にもあなたの主張が見えてきます。
現段階でのあなたの考えは、あなたの中の虚構にしか過ぎないと思います。
守ってきたのか、システムとして最良だから採用したきたのかということですね。
教育理念があってのことではあっても、システムとして合理的に判断しているものであれば、過去の校長云々という話にはならないね。
2つ上の方
なんか、3年文理分け、絶対死守!が大前提の論法に読めてしまいますよ。
歴代内閣の解釈を変えるのにはそれなりの理由が不可欠である(某国)と同様に、50年以上に渡り歴代校長と教員が守っていた3年生次文理分けを帰るのにはそれなりの理由が不可欠である。
このアナロジーが分からんのかなあ。
2つ上の方へ。
システムとして合理的に判断しているものであっても、教育理念があってのことであり過去の校長云々という話になるのは当然だね。
なんか、2年文理分け、絶対賛成!が大前提の論法に読めてしまいますよ。
(お気づきのように、上記は貴方の書き込みの主従を逆にしただけです。貴方の論法には規範定立がないので、価値判断次第で、YESにもNOにもなります。基礎学力が低いからです。)
「3年文理分けが伝統とか守ってきたものだという根拠」
→50年(60年では?)以上、続いてきた、瑞陵の教育と密接な制度だからでしょう。永続した事実としての重みだけでなく、教育と密接な制度であるのがポイントです。
あのー、明文がなくてもあっても、最後は解釈で決まるというのが大学生以上の知識なのです。2年生次文理分け絶対賛成の「一般人」さんは実は高校生ではありませんか?
それとも、2年生次文理分けで文系科目ついて充分な教育を受ける機会に恵まれなかった理系の人なのでしょうか?
2年生次文理分けに賛成の方は、カリキュラム編成権が校長の裁量権の範囲にあることを根拠にしているように思えます。
しかし、瑞陵のような伝統校においては、「王といえども神と法の下にある」改め「校長といえども瑞陵の伝統と法の下にある」のです。
名古屋御三家と言われた頃の瑞陵で学んだ瑞陵会の役員だって校長に「大学進学実績を上げてして欲しい」と言ったりしているそうですが、それは瑞陵の伝統を維持することを前提に発言しているのであって、3年生次文理分けという伝統を変更してまで大学合格実績を上げよと言っている訳ではないのです。
僕は道を歩いていて、ときどきクスッと笑うことがある。
「ああ、自分は瑞陵高校の生徒なんだ」と思うと、嬉しさがこみ上げてくる。
瑞陵に進学したときのあの喜びがいまだに続いている。
「欧州ヤブロンスキー校に匹敵する日本を代表する名門エリート養成機関、その名を天下の愛知県立瑞陵高等学校」・・・・・
その言葉を聞くと、僕は自然と身が引き締まります。
先輩、卒業生の方々に恥じない自分であっただろうか・・・・。
しかし、先輩方は僕に語りかけるのです。
「いいかい?伝統というものは生徒が作りあげていくものなのだよ」と。
「あるがままの君でいいのだよ。それが瑞陵の自由・自主・自律だ」と。
そして「瑞陵を誇る事なかれ 瑞陵が誇る人となれ」と語りかけるのです。
僕は感動に打ち震えます。
"Ask not what your Zuiryo can do for you,
ask what you can do for your Zuiryo"
「瑞陵が何をしてくれるかを問うてはならない。君が瑞陵で何をなしうるかを問いたまえ」
僕は使命感に胸が熱くなり、武者震いを禁じえませんでした。
でもそれは将来の日本を支える僕たちを鍛えるための天の配剤なのでしょう。
愛知五中・瑞陵を作りあげてきた先輩はじめ先達の深い知恵なのでしょう。
嗚呼、江戸川先輩、スギハラ先輩、谷川先輩、都留先輩ら、近現代日本を支えた偉人が先輩という誇り。
嗚呼、戦時下でも貫かれた愛知県最古の自由な校風。
嗚呼、大名古屋市を下に見て瑞陵上に聳え立つ、名古屋最古の大正時代の講堂、五中山、オリーブの木とポプラ並木。
瑞陵に進学することにより、僕たち生徒は五中・瑞陵の自由の伝統を日々紡いでゆくのです。
なんてすばらしき学舎哉、嗚呼、愛知県立瑞陵高等学校。
高校は予備校ではないのだから!
玉川学園は中高一貫校です。中高一貫校が2年生次文理分けと行っても、瑞陵との比較にならないです(東海との比較も同旨)。
話になりません。
教育理念とカリキュラムを同じ土俵に乗せて、現在の時流も考えずに3年文理分けこそが伝統の証である、変更されていないことが暗黙の校長の了解であるといっていることがおかしいといっているのです。
校長は、その時々で、今まで、3年文理分けが適切な学習・進路指導であると考えて実施してこられたのは確かであろうと思います。
それと同様に、今の校長も、社会の流れや生徒の現状を把握された上で、現在の瑞陵生にとって一番良い教育課程を決断されたということだけの話です。
どのように批評しようと勝手ですが、だったら、自分の論の中で、自分が信じる資料を基に説得すべきであり、それを伝統だとか、校長の考えだとかにすり替えているといっていると指摘しているのです。
わたしは、2年文理分け賛成派ではありません。
この議論が、何の確固たる根拠もなく、自己中心的な「解釈」というもので押し切られようとしていることがおかしいといっているのです。
また、論点についての批判ならともかく、基礎学力が低いとか文系教育をきちんと受けていないとか、論に関係なく、確証もないことを平気で言うこと、そして、それは「解釈」などと平気で言われてしまいそうなところ。まさに、この議論の程度の低さを象徴していると思います。
「今の校長も、社会の流れや生徒の現状を把握された上で、現在の瑞陵生にとって一番良い教育課程を決断されたということだけの話です」
→「社会の流れ」っておっしゃいますが、旭丘明和菊里向陽千種が今も3年生次文理分けを守っているのに、なぜ瑞陵が今年から2年生次文理分けへ変更なのでしょう? 社会の流れなんですか?
要するに、
上記の5校と比べて瑞陵は低学力であるからカリキュラムを変更したと宣言すれば良いだけの話です。
あと、第三者の私から見ても、上の方(とりあえず「X氏」とします)の基礎学力は低いです。
例示しないと根拠が無いと書き込みがありそうなので、例示します。
「この議論の程度の低さ」
→議論とは、意見のインターラプトのこと、賛成者と反対者の両方のやり取りといいます。すなわち、議論の中には、X氏の書き込みも含まれるのです。したがって「この議論の程度の低さ」とは、X氏の書き込みの程度の低さをも意味するのです。X氏の真意が、2年生次文理分けへの変更に対する反対意見の程度の低さへの批判ならば、そのように書かないと意味が通らないのです。端的に言えば、X氏は概念・言葉の捉え方がアバウトなのです。概念を的確に把握できないことは
国語表現だけの問題ではなく、的確な思考ができないことを意味します。
したがって、第3者である私ですら、X氏はきちんとした日本語の表現できない、全うな教育(私のような旧帝大の教育)を受けたこと無い人物と評価することになります。まあ表現力については日本人の平均ぐらいの学力でしょう。上記の「的確」とは、日本社会でのトップレベルでの話ですから、おちこまないでくださいね。ネットだからX氏はざっくばらんに書き込んでいる可能性もありますし。
「上記の5校と比べて瑞陵は低学力であるからカリキュラムを変更」
そのとおり!
改革を断行した今の校長先生は偉いんだよ!
「上記の5校と比べて瑞陵は低学力であるからカリキュラムを変更」
そのとおり!
改悪を独断専行した今の校長先生は○○○んだよ!
上の方へ。
私も2年生次文理分けへの変更に反対ですが「悪」かは断定できません。校長先生もお考えがあってのことだと思います。
それにしても、レスが200を超えました。こんなことは、この瑞陵の掲示板では史上初です。
今回の変更に賛否評論があることはともかく、これだけの関心を呼ぶ瑞陵高校とは多くの人に愛されているのだなと思いました。
改めて、母校の瑞陵に誇りを持ちました。
名古屋の老舗の高校だからでしょ!
しかし、この変更は瑞陵にとって大転換を意味するのでは?
約10年前に合唱祭が廃止され、昨年、体育祭のアーチが縮小され、今年、文理分けの学年が変更になった。
最近、時代に迎合的する安易な風潮が瑞陵に蔓延していませんか?
今年もアーチは小さいの? 先生方の事なかれ主義でしょ!?
最近10年くらいを有機的にとらえると、伸び伸びした瑞陵らしさが失われつつあるのが明白。2年生次文理分けへの変更も、その一環ように思える。
今の2年生は去年のアーチの大きさが当たり前だと思っているし、1年生も去年からアーチが小さくなったなんて知らない。
本来のアーチの大きさを体験しているのは今の3年生だけ。3年生が後輩たちに一昨年までのアーチの大きさについて伝えることが大きな意義をもつ。
今の3年生が後輩に瑞陵の伝統を伝えることが出来るかが鍵となりそうだ。
私たち卒業生が瑞陵に誇りを持つのは、大学合格実績に対してではなく、瑞陵の自由な校風である。
自由な校風とは、大学受験に従属せず、高校の独自性という意義に基づくものである。
瑞陵を卒業した後、社会で生活する上での最低限度の知識・教養がなければ、自己の偏見から「自由」になれないのであり、そのために、進学先が文系理系を問わず、瑞陵では満遍なく科目を履修することになっていた。つまり、今まで、2年生次に文理分けをしてこなかったのである。
しかし、2年生次文理分けの方が入試科目以外の科目の勉強をしなくて良いため、大学入試に有利だからという、およそ上記の瑞陵の自由の校風の理念とは異質の理由により、2年生次文理分けが強行されてしまった。
今、瑞陵の自由な校風は危機に直面している。私たち卒業生の瑞陵への誇りがズタズタにされようとしている。何よりも、在校生に大学入試に関係のないことは無駄という風潮が生じないかが不安である。
瑞陵の自由な校風が危機に直面している!
瑞陵の自由な校風が危機に直面している!
瑞陵の自由な校風が危機に直面している!
今回の変更であっても、2年生次には各生徒の科目選択があるだけであるため、実質的には3年生次文理分けと変わらない運用と聞いています。本当でしょうか?
しかし、そのような運用をするなら「3年生次文理分け」の看板はそのままにしておけば良かったと思います。
看板を「2年生次文理分け」へ変更するから、このレスが210を超えるという大反響及び不快感をよんでいるのです。
変更するにせよ、看板は代えないという、もっと上手なやり方があったのだと思います。
今、大学受験優先の日本社会では大学合格実績が第一とされ、それに沿った高校教育が望まれるため、瑞陵の自由な教育を馬鹿にするのは簡単!
しかし、その社会や周りの風潮にも飲み込まれず、生徒に個性をひたすら追求させて突き進む、そのことこそ高校教育の本当のあるべき姿だと思わぬか!
本当の偉人とはその成し遂げたことで偉大な人になるのではない。真に強い個性を発揮したために偉大な人となるのだ!
瑞陵の教育は、そのような発揮を可能にするものでなくてはならない!
【参考文献】
西田幾多郎『善の研究』
個性を目覚めさせるためには、多くの教科を履修する3年生次文理分けが適切ですね。
★西尾武喜・名古屋市長(当時)の発言。
「名古屋市内では、五中(瑞陵)が設立されて以来、一中(旭丘)、明倫中(明和)の三校は、互いに相競い、それぞれ、独自の校風を誇り、伝統と歴史に輝く名門校として、県下男子中等学校の三雄たる栄誉を担ってきました。」
→2年生次文理分けで、瑞陵の栄誉は担われいるの!? 今なら、まだ間に合います。3年生次文理分けへ戻しましょう!
文理分け2年になったからと言って瑞陵の自由な雰囲気が失われていることは決してありません。ただ、少し授業ペースが速くなり、今まで、勉強面も個人個人の自立による先取が必要だったのが、学校側がひっぱってくれることによって、私達はより部活や学校行事に集中することができるようになったということです。一人の現役の学生としての意見ですが、文理分け2年は、自由という面でも勉強面でもとてもプラスだと思います。あと、受験に必要ないカリキュラムは無くなってしまうというような意見が出ていましたが、カリキュラムが公式サイトにあるので見てみて下さい。教科数はほとんど変わっていません。