併願校(第二志望で選べる学校)に恵まれているかいないか、でしょうか。
第一志望か第二志望か
言いかえます
瑞陵の魅力と、残念なところは?
瑞陵は、戦前からの旧制中学で、旭丘・明和・瑞陵の三校は名古屋御三家と呼ばれていた名門校でした。
向陽は、戦後から進学校化した後発の高校ですが、最近はレベルが上がってきています。
先週のサンデー毎日の『令和の名門高校』特集記事では、名古屋市内の名門公立高校として、旭丘・瑞陵・明和・向陽の四高校のみの名前が取り上げられていました。(菊里・千種は名前が上がっていませんでした。)
つまり、どちらも、名門校として全国区の東京マスコミに認められた高校です。
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最近の瑞陵は2年文理分けのおかげで進学実績を伸ばし始めた。
でも旭丘、明和、向陽と比較すると明らかに見劣りする進学実績だから名門校とは言い難いと思う。
勉強の指導は良くなっていると思えばいいでしょうか
指導は公立上位校はどこでも同じ。私立の手厚さが10なら公立は2〜3です。自分の能力と努力次第。
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私立が手厚いと思ったら大きな間違いです
兄は私立の特進に行きましたが
うちとおなじで、
各教科の問題集を答えを渡すから自分でテスト範囲をやってこいという感じでした。
ただ
兄のところは、全教科に問題集がありました。
全部やって、解き方や答えをマスターすれば
赤点がないという感じでした。
しかも、
国語と
英語は、授業では使わない問題集もテストの課題にあって、うちよりも範囲が広かったです。
そうくらべると、うちと変わりません。
名門校というのは過去からの積み上げです。確かに現在の進学実績は、人為的な複合選抜の下、向陽高校に劣ることは否めません。ただ、歴史、卒業生の実績等から見て、瑞陵は(向陽高校以上の)名門校です。
向陽高校はノーベル賞受賞者を輩出したのが大きい。
後の国際科学科創設につながった。
向陽も瑞陵も優劣つけがたい名門校です。
瑞陵の卒業生が、向陽は戦後から進学校化した後発の高校と上から目線で発言しているが事実誤認があります。
向陽は明治17年創立の旧制CAと明治40年創立の市立第二高女が昭和23年の学制改革で統合して開校しました。
瑞陵も同じような経緯で開校しているのです。
旧制CAは、当時の愛知一中(現旭丘高の前身)と並び称される進学校でした。市立第二高女も女子教育の名門で公立大医学部長も輩出しています。
作家の城山三郎(旧制CAから一橋大)も向陽の先輩として学校行事で講演会に招き紹介されたこともあります。
昭和28年にCA卒業生の働きかけで名古屋商業が復活したため、向陽の概要のなかで旧制CAは記述されていあませんが、開校当時は旧制CAと市立第二高女の生徒が席を同じくしました。
名古屋商業が向陽から分離独立した形になったものの、旧制CAの流れをくんだ向陽の商業科(普通科は開校当時からある)は昭和40年まで存続しました。
向陽も瑞陵と同じく伝統と歴史のある名門校です。評価する場合はよく調べて頂きたいと思います。
向陽のノーベル賞受賞者は益川俊英さんは有名であるが、もう一人ノーベル賞候補者がいました。
神戸理化学研究所の竹市雅俊さんは数年にわたって医学生理学賞のノーベル賞候補と新聞に載っていました。
例の小保方事件で名前が上がらないようになりました。やはり、時の運、不運もありますね。
向陽は伝統的に理数系に強いのですね。
向陽の前身校である市立第二高女は明治40年創立です。
瑞陵の前身校の一つである県立五中も明治40年創立です。
昭和23年の学制改革で向陽、瑞陵とも開校したわけです。全く同じ経緯で開校しているわけです。
前身校の創立年、現在の高校名称の開校年、瑞陵と向陽は全く同一です。
歴史、卒業生の実績等からみて、瑞陵は(向陽以上の)名門校です。〜と7月19日(金)に投稿してみえる方がいますが、これも大いなる間違いですね。
向陽、瑞陵とも伝統校であり名門校であるわけです。
瑞陵は愛知五中というナンバースクールです。
向陽も名門です。旧CAといっても、現CAの方がイメージ強いし、市立2女子というのは市立1女子と同様、ナンバースクールではないです。(戦前の名古屋市は、一宮市、岡崎市、豊橋市等と同格)もっとも、昔から、向陽>>菊里です。
ナンバースクールと誇る優位点はあるのでしょうか。
学制改革以前は、男女別学であり男子は旧制中学へ、女子は高等女学校へ進学していました。
旭丘、明和と名古屋市内での最難関校と言われている明和はナンバースクールではありません。(藩校の塾が由来)
あまり伝統、伝統とこだわりすぎるのも感心しません。
現在が一番肝心ですね。
向陽高校の歴史がよくわかりました。 ということは、向陽>>>菊里(戸塚何某、木村何某の母校)ですね。
カドヘリンでノーベル賞が難しいだろう。
それより西塚泰美が受賞しなかったのが問題。