最近10年くらいを有機的にとらえると、伸び伸びした瑞陵らしさが失われつつあるのが明白。2年生次文理分けへの変更も、その一環ように思える。
今の2年生は去年のアーチの大きさが当たり前だと思っているし、1年生も去年からアーチが小さくなったなんて知らない。
本来のアーチの大きさを体験しているのは今の3年生だけ。3年生が後輩たちに一昨年までのアーチの大きさについて伝えることが大きな意義をもつ。
今の3年生が後輩に瑞陵の伝統を伝えることが出来るかが鍵となりそうだ。
私たち卒業生が瑞陵に誇りを持つのは、大学合格実績に対してではなく、瑞陵の自由な校風である。
自由な校風とは、大学受験に従属せず、高校の独自性という意義に基づくものである。
瑞陵を卒業した後、社会で生活する上での最低限度の知識・教養がなければ、自己の偏見から「自由」になれないのであり、そのために、進学先が文系理系を問わず、瑞陵では満遍なく科目を履修することになっていた。つまり、今まで、2年生次に文理分けをしてこなかったのである。
しかし、2年生次文理分けの方が入試科目以外の科目の勉強をしなくて良いため、大学入試に有利だからという、およそ上記の瑞陵の自由の校風の理念とは異質の理由により、2年生次文理分けが強行されてしまった。
今、瑞陵の自由な校風は危機に直面している。私たち卒業生の瑞陵への誇りがズタズタにされようとしている。何よりも、在校生に大学入試に関係のないことは無駄という風潮が生じないかが不安である。
瑞陵の自由な校風が危機に直面している!
瑞陵の自由な校風が危機に直面している!
瑞陵の自由な校風が危機に直面している!
今回の変更であっても、2年生次には各生徒の科目選択があるだけであるため、実質的には3年生次文理分けと変わらない運用と聞いています。本当でしょうか?
しかし、そのような運用をするなら「3年生次文理分け」の看板はそのままにしておけば良かったと思います。
看板を「2年生次文理分け」へ変更するから、このレスが210を超えるという大反響及び不快感をよんでいるのです。
変更するにせよ、看板は代えないという、もっと上手なやり方があったのだと思います。
今、大学受験優先の日本社会では大学合格実績が第一とされ、それに沿った高校教育が望まれるため、瑞陵の自由な教育を馬鹿にするのは簡単!
しかし、その社会や周りの風潮にも飲み込まれず、生徒に個性をひたすら追求させて突き進む、そのことこそ高校教育の本当のあるべき姿だと思わぬか!
本当の偉人とはその成し遂げたことで偉大な人になるのではない。真に強い個性を発揮したために偉大な人となるのだ!
瑞陵の教育は、そのような発揮を可能にするものでなくてはならない!
【参考文献】
西田幾多郎『善の研究』
個性を目覚めさせるためには、多くの教科を履修する3年生次文理分けが適切ですね。
★西尾武喜・名古屋市長(当時)の発言。
「名古屋市内では、五中(瑞陵)が設立されて以来、一中(旭丘)、明倫中(明和)の三校は、互いに相競い、それぞれ、独自の校風を誇り、伝統と歴史に輝く名門校として、県下男子中等学校の三雄たる栄誉を担ってきました。」
→2年生次文理分けで、瑞陵の栄誉は担われいるの!? 今なら、まだ間に合います。3年生次文理分けへ戻しましょう!
文理分け2年になったからと言って瑞陵の自由な雰囲気が失われていることは決してありません。ただ、少し授業ペースが速くなり、今まで、勉強面も個人個人の自立による先取が必要だったのが、学校側がひっぱってくれることによって、私達はより部活や学校行事に集中することができるようになったということです。一人の現役の学生としての意見ですが、文理分け2年は、自由という面でも勉強面でもとてもプラスだと思います。あと、受験に必要ないカリキュラムは無くなってしまうというような意見が出ていましたが、カリキュラムが公式サイトにあるので見てみて下さい。教科数はほとんど変わっていません。