約20年前に在校していました。結局は転校しましたが、その時の夢を今もみます。今から思っても、そんな問題ある行動をした訳では無かったですが、私のとった行動が問題となり謹慎処分を受けました。その際に、担任であった先生に迷惑をかけて御免なさいと、個人的に反省の手紙を書きました。が、担任の先生には無視されました。多感な時期でしたのでとても傷ついたのを覚えています。そこから、何をしてもどうでも良くなった気がします。その後も色々あり結局は自主退学という形で転校し、大学にも入り仕事もし人並みの人生を送っていますが、高校を変わるという大きな出来事は私に大きな心の傷、履歴にも傷になりました。今思えば、あそこで愛情のある先生に出会えていたら違った形になっていたと思います。
30年以上も前に在校していました。あの頃はまだ女子校でご参考になるかはわかりませんが、お勧めしません。振り返りたくないほど、辛い学生生活でした。他の学校をお勧めします。私が在校していたころは、
授業料を支払わずに、優秀で無料で高校に来ていた人数名(特別待遇の生徒)に、有名な大学を重複して何件も受験させ、学校の合格実績にされていました。あと、先生は、お金持ちの生徒と、貧乏な生徒への待遇が全く違いました。お金持ちでない生徒には実力より低い学校を進路先に一方的に勧められます。他の貧乏な生徒たちにもそうでした。生徒同士で話しているとよくわかりました。
その頃は、個人情報が厳しくなかった時代で、お中元やお歳暮など高額なものを先生に送っていたお金持ちの生徒には、よい待遇をし、そうでない貧しいもしくは普通の生活レベルの生徒には、それは人としてどうかという態度をとる教師が、その時代には何人もいたのが正直なところです。
たとえば「テストで平均点満たなくても授業態度がよいとかで〔日本史の教師「あた〇 みつま〇」、最低の教師でした。〕5をつけ、平均点より30点以上も高くても授業態度が悪い生徒にされ(普通に受講していても、お中元やお歳暮がない貧乏な生徒は先生からみると授業態度が悪い生徒になる。)3をつけたと、みんなの前で言われました。一生忘れない。
卒業生なので、母校のことをよく言いたいのですが、「ここに行かなければ、他によい生き方ができたのに」と、一生の反省です。
特に大学先は、将来、就職してから、社会人になっても、人生で一生つきまとってくるので、そんな大事な時期に自分の感情や自分の利益だけで、変なえこひいきをする担任や教師が何人もいたので「大人ってきたないな」と子どもながらに傷ついていたことを思い出します。
今は、商業科で指導されていた先生が校長になり、その頃の年配の先生は老人施設に入っている年代なので、先生方の入れ替わりでよくなっているとよいのですが…。
もし、保護者の方や生徒さんがこのコメントをご覧になっていたら、学生時代はただ勉強だけをするのではなく、大学等の進路先もよく調べ、自分が行きたい道を明確にし、希望を先生に言え、聴いてもらえ、真剣にひとりひとりの人生を大切にしてくれる先生がいるのかを見極めたほうがよいと思います。
皆さんの直感を大切に。