世間ではツーブロック禁止とかブラック校則に対して敏感ですいずれここも取り上げられますよ
中には奇声を発したりする非常識な連中がいるもんなので
近所からのクレムーもその1つです
生徒を変えないと無理です
学校生活を仏教の精神に基づく一種の修行の場と考えているからです。しかし厳しい修行(行事)や校則は今の時代の若者には幾ら諭しても響かなくなってきており、忍耐と我慢の先に人間の成長があると言うのはひと昔前の考え方で今の若者には受け入れ難い思想です。
東大寺学園
校則
いわゆる校則というものはありません。非常に自由です。校則をまとめておく必要がないので、学生手帳も存在しません。
学校生活で守るべきルールみたいなものは存在するそうですが、今まで意識したことはありません。日本の法律でしてはいけないこと以外はだいたいなんでもオッケーだと思います笑
校則
そもそも校則自体はありません。なので基本は自由です。ある程度のルールはあるように思います
校則
まず、校則というものが存在しません。気ままに学校生活を送れます!
校則
ないといっても過言ではないです。髪の色もいろいろな人がいます。笑
校則
校則はなく、生徒手帳も制服もありません。すべて生徒の自主性に任されており、よっぽどのことがない限り、指導はされません。
校則
校則というものは存在しない。ただし学年により暗黙の了解みたいなものが存在している。
校則
他の学校よりだいぶゆるいと思います。始業から終業まで携帯の電源を切っておくことくらいで、髪を染めていようが本分に影響なければ特に何も言われないようです。
この結果ww
↓
https://www.tdj.ac.jp/gaiyou/shinro.html※あの東大寺直営の学校です。
目ん玉見開いてみるべきだ。
https://www.tdj.ac.jp/gaiyou/gaiyou.html学園が目指すこと
1.基礎学力の重視
中高一貫教育を基本として、基礎学力の充実・練磨につとめ、高等教育への素地をつくる。
2.進取的気力の育成
進んで心身を鍛錬し、個性の伸長・自主性の確立につとめ、いかなる苦難にも屈せぬ気概を養う。
3.豊かな人間性の形成
東大寺創建の精神にかんがみ、生あるものすべての共存・相互扶助への自覚を深め、情操豊かな人間性の育成につとめる。
この三つの教育目標の中では「自由」ということばを用いてはいないが、個性や自主性、しなやかな感性を育む上で、「自由」という教育環境は不可欠であると考えている。したがって本学園では、不合理なもので生徒を縛りつけるようなことはない。一方的に生徒に従順さを強要することもない。生徒の「自由」を最大限尊重したいと考えている。そして、この良き伝統を、今後も大切に守っていきたいと考えている。生徒が「自由」を享受し、互いに切磋琢磨しながら自らの可能性を追求することを、切に願っている。
本来、清風くらいの学力のある学校なら校則で縛らなくとも物事の善悪を自分で判断出来るはずです。
良く体罰をする教師は自分がそうされてきた人が多いそうです。自分もそうして鍛えられてきたからと間違った価値観で指導してしまう訳です。
何が言いたいかと言うと、厳しい校則で忍耐や我慢が成長の糧と教えられて学校生活をした生徒のその先は、家庭や職場で平気でパワハラする大人になる可能性が高いと言う事です。
大学に行って
「高校の時散髪検査あった」って言ったら
公立高校出身の子が「えっ?」って
それだけでびっくりするんだ。
○風カットなんていったら
彼は卒倒するんじゃないか。
それくらい違う世界で生きてるんだ。
情けない学校だが、一応貼っておきますね。
https://www.seifu.ac.jp/soul/建学の精神
徳・健・財、三拍子そろった姿でルールを守り、世の中のために尽くす人間になるために勤勉努力する人材を育成する。
一筆龍
一筆龍は、学園創立者平岡宕峯が60年以上にわたり書き続けた、高祖弘法大師の除災招福秘伝のひとつであり、三世三界天地人において縁のある人々の除災招福、そして世界に役立つ人が一人でも多く出現することを祈りながら書かれたものです。世界中の多くの文献によると、神仏が人間の運命を支配する場合には、必ず龍神様をお遣いになります。神社やお寺では拝殿のどこかに龍神様の御姿があることも、私たちの信仰の中に龍が入っている証だと考えられます。
教育方針
勤勉と責任とを重んじ、自立的精神を養うと共に、明朗にして誠実、常に希望の中に幸福を見出し、社会の全てから「安心」と「尊敬」と「信頼」の対象となり、信用され得る人物を育成するため、仏教を中心とした宗教による教育を実施する。
コレ、なぜ仏教なのかの説明が一切ないんですよ。建学の精神にも仏教が一言もないのに、教育方針の末尾に急に仏教が出てくる。やはり異常ですね。
東大寺直営か平岡直営かで
仏教は善にも悪にも変わるということだ。
写経等制裁規定として仏教を使う学校など
宗教の冒涜でしかない。
この三つの教育目標の中では「自由」ということばを用いてはいないが、個性や自主性、しなやかな感性を育む上で、「自由」という教育環境は不可欠であると考えている。したがって本学園では、不合理なもので生徒を縛りつけるようなことはない。一方的に生徒に従順さを強要することもない。生徒の「自由」を最大限尊重したいと考えている。そして、この良き伝統を、今後も大切に守っていきたいと考えている。生徒が「自由」を享受し、互いに切磋琢磨しながら自らの可能性を追求することを、切に願っている。
↑
東大寺学園は当たり前の事を書いてるが、
皮肉にもこれは上六の某独裁私学に対する
すさまじいアンチテーゼにも思えてくるw
たまにいるキチ○いはどういうことですか?
環境がおかしいから生徒もおかしくなるととらえられないのだろうか?例えば貴方は拷問されながら
数学の問題を解けと言われても解けるのだろうか?例えば貴方は平岡一族の自慢話を聞いて世のためになる話だと感動できるのだろうか?
学校の校則や校風を変えるには生徒自治会を作るしかないですね。個の力では限界があります。保護者も巻き込んだクーデターを起こすしか変わらないと思います。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO39353760V21C18A2000000/ただし、特定の宗派の教えを押しつけることはしないという。
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そりゃそうだろ、高野山が出てきたり、チベットが出てきたり、松下幸之助が出てきたり、ここの考えがそもそも滅茶苦茶なんやから。
ここって
平岡の考えと仏教の考えが
抵触して相容れない場合
平岡の考えが優先してるんだよな。
たとえば徳健財の財。
仏さまが「カネが大事なんです」とは
普通言わないだろう。
その意味では
仏教学校ではなく
創設者崇拝教の学校なんだよな。
仏教教育の学校とか
いわれてるが
ここは平岡が都合よく
生徒支配のために
仏教を使ってるだけなんだよね。
ココの生徒はたいてい賢いから
それに
途中で気づいちゃうんだよね。
そうだね。何とか救ってやりたいんだが。
停学処分の欠席を
病気欠席に書き換えてる
悪質な学校があるようだが
ウソだと大学側に発覚すれば
合格取り消しです。
生徒の努力が無能教師の一筆でパーです。
注意しましょう。
ウソが書いてあれば入試前に大学に正直に申告しましょう。
調査書を
余分に頼んでおいて
1通を開封しましょう。
新入試制度で調査書の点数化が
なされるのであれば
遅刻日数の改竄などは即不合格でしょう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20210103-00215871/規則をきびしくすればするほど違反が目立つ。これはきれいな部屋ほど細かなほこりも目立つのと同じである。自由服ならば多少はでな服装も目立たない。だがセーラー服や黒いツメ襟制服で細かな規定をすればするほどわずかな違反も目立ってくる。この取締りのなかにのめり込んでいけばいくほどアラが見えてくるから生徒不信におちいってしまうのである。
(坂本秀夫『「校則」の研究』三一書房、218頁)
自由なカラフルな服装のなかでは、白かグレーは目立たない。色どころか、何を着用しているのかさえ、ほとんど気にならない。だが細かい規則をひとたび運用し始めると、小さなちがいが目立ってくる。そして規則がある以上は、その小さなことに指導を入れなければならない。
きれいになればなるほど、あるいは統一感が出てくれば出てくるほど、さらに微細な差異が目に付くようになる。こうしてその微細な差異への指導が入ることになる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e50f7e55575478f616cd8e46bd1454a8dd98db7d 部下にパワーハラスメント行為をしたとして、福島刑務所(福島市)は5日、男性看守長(46)を減給100分の10(1か月)の懲戒処分にした。
発表によると、看守長は2019年11月頃〜20年9月頃、部下の職員に、勤務態度などについて室外に聞こえるほどの大声で叱責(しっせき)。同10月には、部署内の雰囲気を心配するメールが他部署の幹部から届いたことについて同じ部下を問い詰め、部下が「話すことはありません」と回答すると、「その返答はおかしい」と強い口調で執拗(しつよう)に迫った。
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パワハラの基準として参考になる。清風は大丈夫か?