東大を目指すように学校が仕向けてるのは西大和だけ。
他の難関私学には学校方針のようなものは無く、最もできる生徒は自由意志で医学部を目指す者が多い。
関西の最優秀層が医学部にシフトした結果、京大のレベルが昔より下がったのは事実だが、それでも北野がレベルアップしたのは否定しようがない。
一番上の書き込みは、何を言いたいのか?わざわざ北野の板に落書きをしに来た目的は何か。
まるで幽霊が、他人の家に間違って出てしまって、愚痴をこぼしているような。さっさと自分の巣に帰った方がいいと思うがね。
北野が京大合格数で躍進しているのが気に入らない人が多いんでしょうね。難癖つけるような落書きですね。
そういう視点をもてるならきっと頭の良い人なんだろうなと思う。ただ頭の良い人ならこんな所にこんな文章で書きこむ事はしないだろうとも思う。
なんだろうね、この自己矛盾感。
昔は、京都大学も東京大学も1学年約1500人程度だったが、現在3000人を超えている。また地方の国立大学の医学部医学科は、大阪大学の工学部程度で充分合格した。1970年代の北野や天王寺高は京都大学合格者は、既に100名超えを達している。
東進の林先生の言うように、現在の東大生は理科三類を除きバカばっかし、と言われている。北野のレベルが昔に戻っただけで、それほど燥ぐことではない。
東大は1970年代と定員数が変わらず3000人ほど。
京大は1970年代2500人、現在2800人前後。
京大の定員が増加した要因の1つ目は、1993年に総合人間学部という新学部が設置されたこと、2つ目は2004年に医学部にリハビリテーション系を中心とした保健学科(現在は人間健康科学科)が新設されたことによるもの。
ところで、現代と1970年代とでは大学進学者数が全く違いますよね。もしかすると入学難易度は現代の方が高いかもしれませんよ?
概算で申し訳ないとことわったうえで、
1970年代:学年200万人、大学進学者40万人、東大京大5500人
2010年代:学年120万人、大学進学者60万人、東大京大5800人
「受験生に占める定員」という意味での難易度
1970年代の求人倍率:5500/40万=0.01375
2010年代の求人倍率:5800/60万=0.00967
「学年人数に占める入学者数」という意味での入学者レベル・希少性
1970年代の希少種遭遇率:5500/200万=0.00275
2010年代の希少種遭遇率:5800/120万=0.00483
結論
40年間で、難しさは1.4倍、価値は0.57倍になった。
西大和が名門校? 東大寺はわかるが。
少なくとも今年も東大理三に3人の合格者を出しているのだから西大和も十分に名門でしょう。北野からは1人も出せませんよね?
あー東大寺憧れるわ名門やわー
西大和の東大理3の合格者は2人。あと1人は医学部推薦合格。理3合格者出したら名門になるわけじゃないんだよな。これだから新興成り上がり勘違い学校は困る。
そういうのを世間では負け惜しみって言うんだよ。
誘導されて宣伝に使われる生徒たちがかわいそう。