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東商業高校のWiki
東商業高校 ナビランク(3739位/5677校中)
基本情報
Infobox 日本の学校
校名:大阪市立東商業高等学校
過去校名:東区甲種商業学校
大阪市立東商業学校
大阪市立東工業学校
国公私立:公立学校
設置者:学区:大阪府全域
併合学校:大阪市立浪華商業高等学校
校訓:士魂商才
設立年月日:1920年5月27日
創立者:大阪市東区
閉校年月日:2014年3月31日
共学・別学:男女共学
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:国際経済科・会計科・総合ビジネス科(1997年度〜2011年度入学生)
商業科(1996年度以前の入学生)
学期:3学期制
高校コード:27227C
郵便番号:541-0056
所在地:大阪府大阪市中央区久太郎町1丁目7番12号
緯度度:34緯度分:40緯度秒:49.5
経度度:135経度分:30経度秒:28.8
date:20100110210422

'''大阪市立東商業高等学校'''(おおさかしりつ ひがししょうぎょう こうとうがっこう)は、大阪府大阪市中央区に所在した市立の高等学校。

概要


1920年に創立した商業高等学校だった。学校統廃合により、2012年度に大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校に統合され、2014年3月に閉校した。

伝統訓は「士魂商才」。利益をあげお金を稼ぐだけの才能ではなく、知性に裏付けられた商才をもつことを意味する。

従来は商業科1学科だったが、1997年度入学生以降閉校までは国際経済科・会計科・総合ビジネス科の商業系3学科を設置していた。

2004年度以降入学生については、受験時には学科の区別なく総合募集をおこなっていた。1年次の4月〜5月をオリエンテーション期間として各学科の授業体験をおこったのち、生徒からの学科希望をもとに、1年次の5月に正式に所属学科が決定されるシステムをとっていた。

かつては、夜間定時制課程を単独設置する大阪市立東第二商業高等学校および大阪市立新船場高等学校と校舎・敷地を時間差で共用していた時期があった。

旧制東商業学校

当時の東区の区会の決議により、1920年に東区甲種商業学校として、大阪市東区広小路町(現在の大阪市中央区上町1丁目)に創立した。学校設置には、当時の金額で100万円の巨費同時期に岩本栄之助が大阪市中央公会堂の建設費用として大阪市に寄付した額と同額となる。現在の貨幣価値に換算すると50億円相当になるともいわれている。が投じられた。創立時の敷地は、現在は大阪府立中央聴覚支援学校となっている。

1921年には東区の区立としての運営から大阪市の直営となり、大阪市立東商業学校として改編された。

太平洋戦争の際、戦時体制により1943年に工業学校への転換を余儀なくされた。生徒は学徒勤労動員により、大阪砲兵工廠・住友金属・久保田鉄工所などへと動員された。

1945年の大阪大空襲では、広小路町の校舎が被害を受けた。

浪華女子商業学校

戦時体制により男子商業学校が工業学校に転換された不足分を補うため、大阪市では女子商業学校を増設することにした。敷地を新たに見つけ校舎を新設する余裕はないとして、既存の国民学校を近隣校に統合させる形で廃校とし、空いた校舎を商業学校に転用する策をとった。

浪華女子商業学校もそのような策で設置された学校のひとつにあたる。浪華女子商業学校は、東区久太郎町にあった浪華国民学校(浪華小学校)の校舎を転用して1944年に設置された。

東商業高等学校

大阪市では終戦後の学制改革で、市立の旧制中等教育学校について、全校を形式的に新制高等学校に移行させるが、戦災被害やその他の事情を考慮して統廃合を適宜進める方針をとった。

これに伴い、旧制東商業学校は1948年の学制改革により新制大阪市立東商業高等学校へと移行した。また旧制浪華女子商業学校は同年、新制の大阪市立浪華商業高等学校に移行した。

1948年、大阪市立東商業高等学校が大阪市立浪華商業高等学校の校舎へ移転し、男子学校と女子学校の2校が同居する形で男女共学を実施した。当時、「大阪市立東浪華商業高等学校」と2校の校名を併称することがあったとされる。その後1950年に、正式に東商業・浪華商業の2校が合併し、合併後の校名は大阪市立東商業高等学校となった。

1973年には都島区東野田・大阪大学工学部の跡地を大阪市が取得し、大阪市立東高等学校と大阪市立東商業高等学校の2校が同地へ移転する構想が持ち上がった。一時は「東高校・東商業高校の2校を統合したうえでの移転」の可能性も取り沙汰されたが、その後1977年に東高等学校のみの単独移転、および東商業高等学校の現地建て替えの方針が確定した。

1979年より元の敷地での校舎建て替えが進められることになり、1979年11月5日付で旧東高等学校校舎(東区北久太郎町1-1)に仮移転した。1982年に新校舎が完成し、同年3月15日に元の敷地に復帰している。新校舎は高層の建物で、学校校舎としては当時日本で2番目の高層校舎だったとされる。

大阪市では1970年代以降市立の高等学校での学校特色化の検討が始まり、1980年代以降には「意欲的で目的意識の明確な生徒の入学により学校が活性化することをねらい」として、府立高校とは異なった形での学校特色化の動きが具体的に進んだ。

商業系高等学校でも特色化の動きが生まれ、東商業高等学校では1993年よりコース制に移行したのち、1997年に3学科体制へと改編された。

閉校

大阪市教育委員会は2004年、大学や産業界と連携して、高度な専門性を持つ商業人の育成や、高校・大学の7年間を見据えた商業教育などをおこなう新しいタイプの市立商業高等学校を、既存校の統廃合で設置する構想を発表した。この時点では、具体的な統廃合対象校については言及されていなかった。

その後大阪市教育委員会は2007年6月、統廃合対象校と新商業高等学校の開校計画時期を発表した。発表によると、新商業高等学校は既存の大阪市立天王寺商業高等学校・大阪市立市岡商業高等学校・大阪市立東商業高等学校の3校を統合して、従来の天王寺商業高等学校の場所に2012年4月の開校を目指すとした。

これに伴い2012年4月より在校生も新商業高等学校内の新校舎に移転し、新商業高校・東商業高等学校・天王寺商業高等学校・市岡商業高等学校の4校が新商業高等学校の校舎を共用することが発表された。新商業高等学校は2011年、大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校の校名が決定した。

東商業高等学校は2011年度新入生を最後の学年として、2012年度以降は新入生募集を停止する形となった。2012年度以降の2年間のみ、天王寺区烏ヶ辻の大阪ビジネスフロンティア高等学校の校舎に移転して教育活動をおこない、最終学年が卒業する2014年3月に閉校した。

年表

・ 1920年 - 東区甲種商業学校として、大阪市東区広小路町に創立。
・ 1921年 - 東区から大阪市に移管。大阪市立東商業学校となる。男子のみの募集。
・ 1936年 - 夜間課程の東第二商業学校(のち東第二商業高等学校・新船場高等学校)を併設。
・ 1943年 - 戦時体制により工業学校に転換。
・ 1944年 - 浪華女子商業学校を東区久太郎町に設置。
・ 1945年 - 大阪大空襲で校舎が被災。
・ 1948年 - 学制改革により大阪市立東商業高等学校となる。大阪市立浪華商業高等学校(旧浪華女子商業学校)との同居で男女共学を実施。東区久太郎町(旧浪華女子商業学校の校舎)に移転。
・ 1950年 - 大阪市立浪華商業高等学校を合併。
・ 1979年11月5日 - 校舎建て替えのため、大阪市立東高等学校跡地(のちの中央区役所の位置)に仮移転。
・ 1982年3月15日 - 新校舎が完成。元の場所に復帰。
・ 1993年 - コース制に移行。
・ 1997年 - 学科を改編。従来の商業科1学科から、国際経済科・会計科・総合ビジネス科の商業系3学科体制となる。
・ 2004年 - 商業系3学科の総合募集を開始。
・ 2012年 - 大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校に統合、この年以降の新入生募集を停止。在校生(当時の2・3年)は大阪ビジネスフロンティア高等学校校舎に移転。
・ 2014年3月31日 - 閉校

学校跡地


学校跡地は2014年3月、一般入札でプレサンスコーポレーションに売却された。跡地の東半分にはタワーマンションが建設された。残る西半分は2015年2月、日本商業開発がプレサンスコーポレーションから取得し、スーパーマーケット・ライフ堺筋本町店が2016年5月に開業した。

2017年9月、学校跡地の一角(旧敷地の南側)に大阪市立東商業高等学校跡地の記念碑が設置された。同所には、かつて東商業高等学校敷地内の北側道路沿いにあった、浪華小学校跡の記念碑、および新船場高等学校の記念碑も移設されている。

出身者


・ 西口徳次 - 日本の海軍軍人
・ 渡辺真良 - スポーツ用品卸売業「ゼット」実質的な創業者
・ 香西かおり - 演歌歌手
・ 谷晃 - 俳優、演出家
・ 青芝フック・キック - 漫才コンビ
・ 松鶴家祐二 - 漫談家。ラジオパーソナリティー
・ 九条亜希子 - 元女優
・ 駒田桂二 - 元プロ野球選手

交通


・ 大阪市営地下鉄中央線・堺筋線 堺筋本町駅 南へ約150m

参考文献


・ Cite book和書
author:大阪市史編纂委員会
year:1994
title:新修大阪市史 第七巻

・ Cite book和書
author:大阪市史編纂委員会
year:1992
title:新修大阪市史 第八巻

・ Cite book和書
author:大阪市史編纂委員会
year:1995
title:新修大阪市史 第九巻

・ Cite book和書
author:大阪市立東商業高等学校創立90周年記念誌編纂委員会
year:2010
title:大阪市立東商業高等学校創立90周年記念誌

注釈

group="注釈"

外部リンク


・ date:20100110210422
大阪市立東商業高等学校同窓会

Infobox 日本の学校
校名:群馬県立前橋東商業高等学校
過去校名:前橋商業高等学校大胡分校
国公私立:公立学校
設置者:群馬県
設立年月日:1965年
閉校年月日:2009年3月
共学・別学:女子校
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:総合ビジネス科
国際マルチメディア科
高校コード:10141K
郵便番号:371-0222
所在地:群馬県前橋市上大屋町105番地
公式サイト

'''群馬県立前橋東商業高等学校'''(ぐんまけんりつまえばしひがししょうぎょうこうとうがっこう)は、群馬県前橋市上大屋町にかつて存在した群馬県唯一の全日制課程の女子商業高校。通称は前東商であった。2年次より、生徒の興味・関心・進路などに対応して、総合ビジネス科と国際マルチメディア科のいずれかの学科を選択する選択制を導入していた。2007年4月に群馬県立前橋商業高等学校と統合、在校生が卒業する2009年3月をもって閉校。

沿革


・1950年(昭和25年)3月30日 大胡中学校に前橋商業高等学校大胡分校(定時制課程)設置認可
・1959年(昭和34年)2月16日 全日制女子商業科1学級設置認可
・1965年(昭和40年)4月1日 前橋商業高等学校大胡分校独立により、前橋東商業高等学校となる
・1977年(昭和52年)3月31日 定時制課程の生徒募集停止
・1986年(昭和61年)4月1日 情報処理科新設(第1学年5学級編成となる)
・1997年(平成9年)4月1日 国際マルチメディア科新設(第1学年情報処理科1学級減)
・2000年(平成12年)10月7日 創立50周年記念式典
・2002年(平成14年)4月 学校週5日制
・2003年(平成15年)4月 くくり募集開始。2年次に総合ビジネス科、国際マルチメディア科を選択
・2007年(平成19年)4月 群馬県立前橋商業高校と統合
・2009年(平成21年)3月 閉校

関連高校


・ 群馬県立前橋商業高等学校

外部リンク


・date:20160617120437

Navboxes
title:部活動実績

Infobox 日本の学校
校名:静岡県立伊東商業高等学校
国公私立:公立学校
設置者:静岡県
校訓:開拓
設立年月日:1963年
閉校年月日:2023年3月31日
共学・別学:男女共学
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:総合ビジネス科
学期:3学期制
高校コード:22106G
郵便番号:414-0051 
所在地:静岡県伊東市吉田748-1
緯度度:34 緯度分:56 緯度秒:42
経度度:139 経度分:6 経度秒:58.9
公式サイト

'''静岡県立伊東商業高等学校'''(しずおかけんりつ いとうしょうぎょうこうとうがっこう)は、静岡県伊東市に所在した公立の商業高等学校(三島・伊豆・田方地区)。

設置学科


・ 総合ビジネス科
2019年度の募集定員は全日制普通科120名となっている。

沿革


・1963年4月1日 - 開校。
・2023年 - 静岡県立伊東高等学校と併合し、静岡県立伊豆伊東高等学校が開校。それにともない伊東商業高校は閉校。

部活動


運動部
・野球部
・サッカー部
・陸上部
・テニス部
・男子バスケット部
・女子バスケット部
・卓球部
・男子バレーボール部
・女子バレーボール部
・バドミントン部
・水泳部

文化部
・簿記部
・情報処理部
・ワープロ部
・珠算部
・吹奏楽部
・家庭部
・華道部

卒業生


・中村稔 - プロゴルファー
・土山録志 - プロゴルファー
・岩下吉久 - プロゴルファー
・坂下定夫 - プロゴルファー
・竹安大知 - プロ野球選手(二松学舎大附属より転校)

所在地


・〒414-0051 静岡県伊東市吉田748-1

外部リンク


静岡県立伊東商業高等学校

校名:北海道札幌東商業高等学校
国公私立:公立学校
設置者:北海道
校訓:公正・善意・信頼
設立年月日:1963年11月
記念日名称:開校記念日
創立記念日:11月1日
共学・別学:男女共学
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:流通経済科(2クラス)
国際経済科(2クラス)
会計ビジネス科(2クラス)
情報処理科(2クラス)
学期:2学期制
高校コード:01112G
郵便番号:004-0053
所在地:札幌市厚別区厚別中央3条5丁目6-10
緯度度:43緯度分:2緯度秒:31.2
経度度:141経度分:28経度秒:14.0
公式サイト

'''北海道札幌東商業高等学校'''(ほっかいどうさっぽろひがししょうぎょうこうとうがっこう、''Hokkaido Sapporo Higashi Commercial High School'')は、北海道札幌市厚別区にある公立(道立)の商業高等学校。地元での略称は、「'''東商'''」(とうしょう、とんしょう)。

沿革


・ 1964年 - 開校
・ 1999年 - 学科改編
・ 2001年 - 校舎改築落成

著名な出身者


・ 鈴木ゆき - 歌手
・ 西尚美 - 漫画家
・ 水野美波 - 漫画家
・ 木藤玲子 - 声優、俳優、ナレーター
・ 真壁あやの - バスケットボール選手

その他


・国家資格の基本情報技術者試験(FE)の午前科目免除制度の認定校となっている。これは札幌市内に存在する高等学校としては唯一の取り組みである。

外部リンク


北海道札幌東商業高等学校

校名:東京都立台東商業高等学校
過去校名:東京都立台東高等学校
国公私立:公立学校
設置者:東京都
設立年月日:1948年
閉校年月日:2009年3月
共学・別学:男女共学
課程:定時制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:商業科
学期:3学期制
高校コード:13190D
郵便番号:111-0024
所在地:東京都台東区今戸一丁目8番13号

'''東京都立台東商業高等学校'''(とうきょうとりつ たいとうしょうぎょうこうとうがっこう)は、かつて東京都台東区今戸にあった都立商業高等学校。後身は東京都立浅草高等学校。

沿革


・ 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、高等女学校の「東京都立浅草高等女学校」と、実業学校の「東京都立隅田女子商業学校」を統合し、新制の「東京都立台東高等学校」として開校。普通科、商業科、家政科を設置。台東区立山谷掘国民学校旧校舎を改修して使用する
・ 1951年4月1日 - 定時制設置
・ 1956年4月1日 - 商業科のみとなり、「'''東京都立台東商業高等学校'''」と改称
・ 1972年 - 5階建体育館棟竣工
・ 1987年 - 9階建校舎棟竣工
・ 1989年(平成元年)1989 - 体育館棟竣工、創立四十周年・新校舎竣工記念式典挙行
・ 1998年 - 創立50周年記念式典挙行
・ 2006年4月1日 - 本校内に、都立2校目の単位制高校「東京都立浅草高等学校」(昼間と夜間の定時制課程)が開校(後継校)。上野・両国・墨田川・小松川・小岩から定時制課程を浅草高に統合する
・ 2007年3月 - 本校全日制が閉課程(浅草高に統合)
・ 2009年3月 - 定時制が閉課程し閉校(浅草高に統合)

前身校の沿革

東京都立浅草高等女学校
・ 1910年(明治43年)4月1日 - 「柳北女子実技学校」(私立、浅草区向柳原)として創立
・ 1917年(大正6年) - 東京市に移管「東京市立浅草家政女学校」と改称
・ 1922年 - 「東京市立浅草実科高等女学校」と改称
  1926年 - 「東京市立蔵前商業女学校」を併設
・ 1943年(昭和18年) - 都制移行に伴い、「東京都立浅草高等女学校」「都立蔵前商業女学校」とそれぞれ改称
  1945年 - 蔵前商業女学校を廃校

東京都立隅田女子商業学校
・ 1922年(大正11年) - 「東京市立浅草実務女学校」創立
・ 1935年(昭和10年) - 「東京市立浅草高等実践女学校」と改称
・ 1943年 - 都制移行に伴い、「東京都立浅草高等実践女学校」と改称
・ 1944年 - 「東京都立隅田女子商業学校」と改称

アクセス


・ 都バス「浅草七丁目」停留所 徒歩3分
・ 東京メトロ銀座線・東武伊勢崎線浅草駅 徒歩12分
・ 都営浅草線浅草駅 徒歩15分

著名な出身者


・ 星ひとみ(タレント)
・ 泉じゅん(女優)
・ あきは@(漫画家)
・ 橘皆無(漫画家)

設置学科


・ 総合ビジネス科

沿革


・ 1905年 亀戸実業補習学校として設立
・ 1918年 男子生徒と女子生徒を分離し、女子亀戸実業補習学校に改名
・ 1932年 東京府南葛飾郡立亀戸実業専修学校に改名
・ 1933年 東京市城東区立亀戸実業専修女学校に改名
・ 1935年 東京市城東区立城東実業専修女学校に改名
・ 1943年 東京市立城東実業女学校に改名後、7月には東京都立城東実業女学校へと改名
・ 1945年 3月10日の東京大空襲により、校舎が全焼
・ 1948年 東京都立江東女子商業新制高等学校に改名
・ 1950年 東京都立江東商業高等学校に改名
・ 1988年 情報処理科を設置
・ 1995年 新校舎完成
・ 2003年 総合ビジネス科を設置
・ 2005年 創立100周年記念式典挙行

教育目標


#人権尊重の精神に則り、民主的で平和な社会の実現に貢献できる人材を育成する。
#自主、自立、協調の精神、そして豊かな情操を身につけ、「生きる力」を備えた人材を育成する。
#基礎学力を身につけさせ、英語、会計、ITのビジネス3言語を道具として活用できる人材を育成する。
#自己実現を的確に支援し、高い志を持ち国際社会に羽ばたく人材を育成する。

交通


・JR東日本総武本線亀戸駅より徒歩10分
・東武亀戸線亀戸水神駅より徒歩4分

学校行事


・4月 - 入学式、対面式
・5月 - 芸術鑑賞、1・2年遠足、中間考査
・6月 - 体育祭
・7月 - 期末考査
・8月 - 部活動合宿
・10月 - 中間考査、江商祭、2年修学旅行、3年遠足
・11月 - 学校説明会
・12月 - 期末考査、芸術鑑賞
・2月 - 3年学年末考査
・3月 - 卒業式、1・2年学年末考査

部活動


・華道部
・茶道部
・吹奏楽部
・軽音楽部
・演劇部
・アニメコミック部
・クッキング部
・簿記部
・パソコン部
・ワープロ部
・JRC
・マーケティング部

・バレーボール部
・バスケットボール部
・テニス部
・バドミントン部
・ソフトボール部
・野球部
・サッカー部
・ダンス部
left

制服


・ 冬服  男子:詰襟、女子:セーラー服(黒)  
・ 夏服  男子:ワイシャツ、女子:セーラー服(半袖・長袖)

特記事項


・50校以上から指定校推薦がある。
・公務員試験での合格を目指し、公務員指導を行っている。
・毎年就職希望者全員が内定されている。

著名な出身者


・ 柳内光子(浦安商工会議所会頭)

外部リンク


東京都立江東商業高等学校


このページは以下にある削除依頼の議論を保存したものです。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートで行ってください。このページは編集しないでください。

議論の結果、'''特定版削除''' に決定しました。
----
2007年4月30日 (月) 02:24の版〜title:%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E6%9D%B1%E5%95%86%E6%A5%AD%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1&diff:next&oldid:12224064,からの転載。
・(特定版削除)依頼者票。--fromm 2007年5月4日 (金) 11:18 (UTC)
・(特定版削除)ごく一部に中抜きされた項もありますが、ほぼ全体に渡り一致。偶然に一致するとは考えづらい表現等も一致しており、転載の虞。学校側ページにCopyrights表記がある点も書き添えます。--kokuen 2007年5月4日 (金) 13:28 (UTC)
・(特定版削除)学校公式サイトの沿革は主要な部活動の大会成績や空襲による校舎喪失など、素材の選択に創作性が認められ編集著作物に該当。当該版の加筆がこれをほぼ全て利用していることを確認しました。--竹富島 2007年5月20日 (日) 13:49 (UTC)
 (対処)2007年4月30日 (月) 02:24 (UTC) 以降の版を 岡山県立岡山東商業高等学校/削除20070618 にて特定版削除しました。--スのG 2007年6月18日 (月) 13:35 (UTC)
 ・(確認)2007-04-30T02:24:52 (UTC) by Fruity以降の版が削除されている事を確認致しました。--Kotoito 2007年6月19日 (火) 03:22 (UTC)
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Infobox 日本の学校
校名:岡山県立岡山東商業高等学校
国公私立:公立学校
設置者:岡山県
校訓:誠実・質素・勤勉
設立年月日:1898年
共学・別学:男女共学
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:ビジネス創造科
情報ビジネス科
高校コード:33108C
郵便番号:703-8281
所在地:岡山県岡山市中区東山三丁目1番6号
緯度度:34緯度分:39緯度秒:7
経度度:133経度分:56経度秒:29
地図ズーム:13
中心緯度:34.657
中心経度:133.928

caption:
'''岡山県立岡山東商業高等学校'''(おかやまけんりつ おかやまひがししょうぎょうこうとうがっこう)は、岡山県岡山市中区東山にある県立の高等学校である。通称は「'''東商'''(ひがししょう)」。

概観


同校は1898年(明治31年)に岡山県商業学校として創立して以来、岡山県内の商業教育の拠点として120年の歴史を有し、約3万人の卒業生がいる。地域経済の活性化に貢献する高度な職業人の育成を標榜し、現在ではビジネス創造科と情報ビジネス科の2学科を持っている。バレーボール部やソフトボール部ボート部をはじめとして部活動も盛んに行われており、特に野球部は、1965年(昭和40年)の第37回選抜高等学校野球大会で優勝している。

教育の特色

ビジネス創造科と情報ビジネス科の2学科を設置している。ビジネス創造科は国公立・私立大学進学を目標とした「アドバンス」、製造・卸売・小売・販売・サービス業就職を目標として商品・流通科目を重点化した「総合ビジネス」、簿記・会計のエキスパートとして日商簿記検定取得や専門学校・経営学部の大学進学を目指す「会計ビジネス」の三類型がある。

2年次からの選択制としている。情報ビジネス科ではWebプログラミングやネットワークの構築等の授業を重点化している。いずれも生徒の多様な進路に対応するカリキュラムが組まれている。また、教育の一環として、模擬会社を設立し生徒に商品提案・企画・販売を担わせる企業実践も行われており、毎年11月頃には「'''東商デパート'''」と称するイベントを開催し、各クラスでの店舗経営を実施している。

平成29年度は11月18日(土)開催。

教育目標

「個性の伸長を図り、社会の発展に創造的に寄与できる心身ともに健全で人間性豊かな活力ある人材を育成する。」

年表

・ 1898年 - 岡山県商業学校として創立
・ 1899年 - 「商業学校規定」により甲種商業学校となる
・ 1900年 - 内山下新校舎に移転
・ 1901年 - 岡山県立商業学校に改称
・ 1919年 - 岡山県商業学校に改称
・ 1920年 - 岡山県岡山商業学校に改称
・ 1928年 - 岡山県第一岡山商業学校に改称 岡山県第二岡山商業学校を併置
・ 1945年 - 岡山県第二岡山商業学校を閉校
・ 1946年 - 岡山県第二岡山商業学校が現在の岡山市中区原尾島に復活
・ 1948年 - 学制改革により岡山県第一岡山商業学校を岡山県立岡山商業高等学校 岡山県第二岡山商業学校を岡山県立岡山産業高等学校に改称
・ 1949年 - 岡山県立岡山商業高等学校と岡山県立岡山産業高等学校が統合され岡山県立岡山東高等学校となる
・ 1953年 - 岡山県立岡山東商業高等学校に改称
・ 1965年 - 野球部が第37回選抜高等学校野球大会優勝 
・ 1972年 - 野球部が第26回国民体育大会硬式野球優勝
・ 1982年 - 第14回全国高等学校選抜速記競技大会団体優勝
・ 1998年 - 創立100周年
・ 2001年 - 放送部が第48回NHK杯全国高等学校放送コンテストラジオドキュメント部門優勝
・ 2003年 - 珠算部が第50回記念全国高等学校珠算競技大会伝票算競技優勝
・ 2006年 - 陸上競技部が2006日本ジュニア室内陸上競技大阪大会優勝(女子ジュニア走高跳)
・ 2009年 - 珠算部が第56回全国高等学校珠算競技大会電卓部門伝票算競技優勝

校訓

「誠実・質素・勤勉」

校歌

・ 作詞 吉田研一、作曲 大沢寿人によるもの。

トピック

生徒の制服のブラウスやワイシャツの袖口には「MDCCCXCVIII」という縫い取りがあるが、これは、創立年の1898をローマ数字であらわしたものである。

所在地

・ 岡山県岡山市中区東山三丁目1番6号

交通アクセス

・ JR岡山駅方面から
  岡山電気軌道東山本線に乗車、終点東山・おかでんミュージアム駅電停下車。徒歩5分
  岡電バス「新岡山港行」に乗車、「協立病院前(旧東高通り)」下車。徒歩5分

学校行事


・ 入学式
・ 1日遠足(3年)・球技大会(2年)
・ 対倉敷商業定期戦
・ インターンシップ(2年)
・ 翠光祭
・ 東商デパート
・ 修学旅行
・ 卒業式
・ 定期演奏会(吹奏楽部)

部活動


Col
'''運動部'''
・ 野球部(硬式)
・ ソフトテニス部
・ 卓球部
・ 柔道部
・ 剣道部
・ 柔道部
・ バレーボール部
・ 陸上競技部
・ バスケットボール部
・ ソフトボール部
・ ボート部
・ バドミントン部

'''文化部'''
・ 演劇部
・ 吹奏楽部
・ 書道部
・ 写真部
・ 珠算部
・ ワープロ部
・ 文芸部
・ 茶道部
・ 華道部
・ 美術部
・ ESS部
・ 新聞部

・ 放送部
・ 映画研究部
・ コンピュータ部
・ ダンス部
・ 簿記部
・ JRC同好会
・ クッキング同好会
・ ソーイング同好会

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野球部

硬式野球部は1903年に創部。選手権(夏の甲子園)に11度、選抜(春の甲子園)に8度出場。1965年(昭和40年)の選抜では、全国制覇を達成している。

1991年まで11度、選手権に出場しており、岡山県勢で夏の出場はトップだった。しかし、関西や倉敷商が台頭したことにより、2021年に倉敷商に出場回数で並ばれた。
主な卒業生 


・ 秋山登 (元プロ野球選手、監督、解説者)
・ 土井淳 (元プロ野球選手、監督、解説者)
・ 中田庄次郎 (元プロ野球選手)
・ 横溝桂 (元プロ野球選手、解説者)
・ 野上浩郷 (元プロ野球選手、解説者)
・ 石原碩夫 (元プロ野球選手、解説者)
・ 平松政次 (元プロ野球選手、解説者)
・ 奥江英幸 (元プロ野球選手、解説者)
・ 岡義朗 (元プロ野球選手、解説者)
・ ケネス・ハワード・ライト (元プロ野球選手)
・ 守岡茂樹 (元プロ野球選手)
・ 土居正史 (元プロ野球選手)
・ 寒川浩司 (元プロ野球選手)
・ 八木裕 (元プロ野球選手、解説者)
・ 岡本圭治 (元プロ野球選手)
・ 吉原孝介 (元プロ野球選手)
・ 星野大地 (元プロ野球選手)
・ 星野雄大 (元プロ野球選手)
・ 八名信夫 (俳優、元プロ野球選手)
・ 美木良介(俳優、野球部出身)
・ 中野周平(蛙亭)

外部リンク


岡山県立岡山東商業高等学校

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