そうなんですね。女の子のくせに三国なんて、とか、女の子は就職してお嫁さんに行けばいいとか、本当は教師か医者になりたかったし、その頭もあったけど、就職させられるのが嫌で帝塚山に仕方なく行ったとか。いまでもブツクサ言ってます。
祖母の最終学歴が短大って、高学歴なほうだし、一般的には女性の中では勝ち組だったんじゃないですか?
おばあさままで遡らなくても、今の高校生の母親世代の多くが40〜50代前半あたりと考えると4年制は男子が行くのが普通の時代。田舎ほど、跡取り男子を就職や結婚で見劣りさせないようにとか
学費を男子に注ぎ込むために、女子の進学は抑制された。
特に女子の就職は、親族の縁故や一般職事務という20才までの女性が結婚までに勤めるせいぜい5年前後までの職場なんてことも。
でも人手不足と言われる今だって、女性が育児休暇取得や一旦離職しても復職しやすいとか家庭と両立しやすいようにはなってないけどね。
おばあ様は70歳台でしょうか?
私は60歳台ですが、三国丘高校在学当時、女子は文系なら教育大へ理系なら薬学部へ行け〜と言っている先生がいました。
(ひどい進路指導ですが、将来、就職で男女差別をあまり味わうことなく、ほどほどの努力で行ける進学先という意味でした。)
それで、大阪教育大や大阪薬大(当時は4年制、私立の薬大の中では
授業料安くお手頃だった)が、まあまあ多い進学先でした。教育実習生がよく来た大阪女子大も近くだし、多かったです。
(京大や阪大に進学した優秀な女子もいましたよ。)
今は、大教大も大薬大も移転しました。(大薬大は大阪医科薬科大学に。)大阪女子大は府大に吸収されてなくなってしまいましたね。その府大も大阪公立大に。
70歳台の方なら、成績がよくても短大進学もあったのかもしれませんね。
おばあ様よりもさらに上の方なら、藤田スミ氏(故人、ご存命なら90歳)のように高卒の方もいらっしゃいます。