学校に入学して、そこの学校で、卒業するまで同じ校舎で、あるいは校地で過ごす、そういう前提で入ってるし、誰かに強制的に引っ越しさせられるとか、まっぴらだわ。
そんなに強制移動が好きなら、あなたの住処を私が決めてやろうか?他人が酷い目に遭ってるのは大好物?俺様はそんなの嫌だ?そんな都合よく行政が動くと思うか。
学校だけじゃない、次はあんたや私が「ここに引っ越せ」って命令される、そういう未来がくるよ
、あんたの調子で話が進めば。そんなのはイヤだわ。絶対にね。
だから、ちゃんと「イヤ」って言ってる人は、当たり前のことを言ってるし、そうやって行政に言いきかせられたのなら、理不尽な未来が多少なりも遠ざかるので、私にとっても大変有難い話ですわ。
城内高校の校舎へ強制移動させられた生徒はそういう前提では入学していません。
一方、平城から仮称国際高校へ学籍移動するのは、計画発表後に実施された入試で平城へ入学する学年だけで、三年生に進級時に学籍だけ国際高校に移って、新生平城高校を卒業するが、校舎は登美の丘へ移らずにそのまま平城高校で過ごすとなっていましたので、↑の意見は的外れです。
つまり、入学後に強制移動させられたのは奈良高校の生徒であって、学籍移動する平城高校の生徒は校舎の移動が計画になく、得意の反対活動のエネルギーを使って仮称国際高校の校名を畝傍、郡山、奈良商工の前例を引き合いにして平城高校へ変更さえすれば良かっただけの話。
他の新設校は廃校になってるのに、特別扱いで存続できるんだから、せめて校舎の移転は飲まないと廃校になった新設校関係者の理解は得られないです。
奈良、畝傍、五條、奈良商工だって移転してるのに、平城高校だけ移転断固拒否というのは通りませんね。
自分ごととして理解できんのかな?
あんたは強制移動されたいのか?ならば私が決めてあげるよ。シベリアでいいでしょ?
そんなの嫌じゃない?
なら、高校生も強制移動なんてやめたれよ。
>城内高校の校舎へ強制移動させられた生徒はそういう前提では入学していません。
あんなのはまともじゃないって話だよ。あんたもそんなの嫌でしょ。
自分の話として考えてみなよ。明日からシベリア行けるんかあんたは?
また的外れなK国みたいなことを言ってますね。
佐渡の金山で働いていたのは募集に応募した人たちで、K国から強制的に連行されたのではない。
同様に平城高校から仮称国際高校へ学籍移動する生徒は学籍移動することを募集要項に明記された入試に応募し入学した学年だけで、閉校発表前の入学者は対象ではないから強制移動ではない。
登美ケ丘は奈良県でトップクラスの高級住宅地、高の原より高級だよ。
登美ケ丘高校の近くにあった北大和高校の後塵を平城高校はずっと拝して、富雄高校との統合が決まるまで追い抜けなかったから、高校の立地としても悪くない。
平城高校が可哀想だと思っている木津川市民です。
私も高の原駅前で平城高校閉校反対の署名をさせて頂きました。
第三者の立場から見ても、平城高校を潰したがっている人の論理展開はおかしいです。
どうして平城高校が移転する必要があったんですか。
平城高校を高の原で国際高校にすれば良かっただけじゃないですか。
在学中の学籍移動?
不自然です。
とても急いでいて、何かを隠している感じがします。
少しでも早く平城高校の場所を空けたかったように映ります。
>登美ケ丘は奈良県でトップクラスの高級住宅地、高の原より高級だよ。
それが何ですか?
学校の立地は高級住宅地かどうかより、生徒たちが通いやすいかどうかです。
>登美ケ丘高校の近くにあった北大和高校の後塵を平城高校はずっと拝して、富雄高校との統合が決まるまで追い抜けなかったから
京都府の人間は郡山高校の次が平城高校だと、昭和の終わり頃から認識していました。
塾で京都府の生徒と奈良県の生徒が混在していてお互いの情報が入りますから。
それから「登美ケ丘高校の近くにあった北大和高校の後塵を平城高校はずっと拝して、富雄高校との統合が決まるまで追い抜けなかったから」が、どうして「高校の立地としても悪くない。」に繋がっていくのか意味不明です。
高校の立地として悪くないのであれば、どんな場所に移転してもトップを維持するであろう奈良高校が移転すれば良かったのでは?
関係者が存続の可能性を奪ったのですね。
>関係者が存続の可能性を奪ったのですね。
平城高校の最後の学年を三年生進級時に国際高校に転籍させ、国際高校を特別に平城高校の後継校にしてあげる、校名を「平城国際」「平城山国際」にしてあげても良いという、登美ケ丘高校関係者の存在を全く無視した提案でしたね。
でも、県内私立高校関係者が「公立高校を減らしてくれる約束だったのに国際高校や県立大附属高校なんか新設して!」と怒っていますから、また教育委員会に頼んで国際高校や県立大附属高校を潰してもらうのでしょう。
そうであれば、平城が平城国際、平城山国際として延命しても先は長くなかったということです。