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桜井高校のWiki
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基本情報
Infobox 日本の学校
校名:奈良県立桜井高等学校
過去校名:奈良県立桜井高等女学校
国公私立:公立学校
設置者:奈良県奈良県
学区:全県一学区
校訓:普く・絶えず・正しく
設立年月日:1904年(明治37年)4月
共学・別学:男女共学
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:普通科
学科内専門コース:書芸コース
英語コース
学期:3学期制
高校コード:29115D
郵便番号:633-0091
所在地:奈良県桜井市桜井95
緯度度:34緯度分:30緯度秒:54.5
経度度:135経度分:51経度秒:10.1
/公式サイト

'''奈良県立桜井高等学校'''(ならけんりつ さくらいこうとうがっこう、英語表記:''Nara Prefectural Sakurai Senior High School'')は、奈良県桜井市桜井に所在する公立の高等学校。

また、前身である'''奈良県立桜井高等女学校'''(ならけんりつ さくらいこうとうじょがっこう)についても本項で紹介する。

概要


歴史
1904年(明治37年)創立の「奈良県立桜井高等女学校」を前身とする。1948年(昭和23年)4月の学制改革により、新制高等学校(女子校)となり、同年9月に総合制の高等学校となり男女共学を開始した。高等女学校を前身としていたこともあり、男女共学になってからも男子生徒の在籍していない時代(1963年(昭和38年)に新年度入学生を女子に限定、完全女子高化は1966年~1974年)であったが、1973年(昭和48年)に男子生徒が入学し、男女共学が復活した。2014年(平成26年)に創立110周年を迎えた。


設置課程・学科
全日制課程 普通科
・文系 - 英語コース・書芸コース
・文理系 - (2016年入学生を最後とし廃止)
・理系
:(英語コースは特色選抜で40名・書芸コースは特色選抜で35名を選抜し、1年生から3年間クラス替えなし。)

校訓
「普く(あまねく)・絶えず・正しく」
高女第2代校長野村伝四氏(夏目漱石門下生)の教育方針である。「総てに対して、常に正しいと信じることに最善を尽くす。」という意味である。

校章
1948年(昭和23年)に制定。高等女学校時代の徽章に使用されていた桜と藤の花弁を継承。本校教諭(当時)の由井貞夫氏が高女の徽章を出来るだけ生かしつつも男子学帽の帽章に合うようにと考案したもの。それぞれS(「桜井」と「SCHOOL」)とH(HIGH)の文字を桜と水(井)に弁化したものとなっている。中央に「高」の文字を置いている。左右対称でない点が特徴である。

校歌
1950年(昭和25年)に制定。作詞は前川佐美雄、作曲は平井康三郎による。歌詞は2番まであり、両番に校名の「桜井高校」が登場する。作詞者・前川の自筆の歌詞が応接室に飾られている。

賛歌
1984年(昭和59年)に生徒募集の中から採用。「闘志の渦」「熱き血潮」など力強い歌詞であり、新入生歓迎会などで歌われる。

高大連携
・英語コース - 奈良教育大学、関西学院大学、関西外国語大学、天理大学、関西国際大学
・書芸コース - 筑波大学、奈良教育大学、大阪教育大学、高野山大学

沿革


高等女学校時代
・1904年(明治37年)4月11日 - 「'''奈良県立桜井高等女学校'''」が開校。
・1922年(大正11年)9月 - 徽章制定
・1923年(大正12年)7月 - 洋服の着用始まる(生徒の自由に合わせたもの、制服ではない)
・1925年(大正14年)4月12日 - 第2回日本女子オリンピック野球大会で野球優勝。
・1927年(昭和2年) - 明治神宮大会で排球準優勝。
・1928年(昭和3年)4月 - 洋服が正式に制服と定められる。(新入生には上級生が裁縫練習として調整したもの)
・1930年(昭和5年)9月 - 全日本ジュニアガールズ選手権大会で籠球優勝。
・1939年(昭和14年)3月31日 - 私立学校令に基づき専攻学会を改組し'''桜井高女藤櫻学園'''設立。(1953年の専攻科設置まで存続)
・1944年(昭和19年)4月11日 - 被服廠工場となる。(大阪陸軍被服廠桜井支所)
・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
 高等女学校の生徒募集を停止。
 新制中学校を併設し(名称:奈良県立桜井高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を併設中学2・3年生として収容。
 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校に在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
新制高等学校
・1948年(昭和23年)
 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、高等女学校は廃止され、新制高等学校「'''奈良県立桜井高等学校'''」(女子校)が発足。
 ・高等女学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
 ・併設中学校は新制高校に継承され(名称:奈良県立桜井高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
 9月1日 - 高校三原則に基づく公立高校再編により、総合制・学区制の「'''奈良県立桜井高等学校'''」('''男女共学''')が発足。
・1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
・1950年(昭和25年)6月1日 - 新制服着用開始。
・1951年(昭和26年)1月25日 - 校歌を制定。
・1953年(昭和28年)4月1日 - 高等学校卒業生を対象に専攻科(修業年限1年)を設置。
・1953年(昭和28年)6月24日 - 奈良県指令総第146号を以て藤櫻学園廃止

・1956年(昭和31年)4月1日 - 女子課程(家庭課程)を設置。 女子制服が現在の背広型に改められる。

・1958年(昭和33年)11月7日 - 校旗を制定。
・1960年(昭和35年)9月30日 - 家庭科教室が完成。
・1962年(昭和37年)4月1日 - 通常制を「全日制課程」に、通常課程を「普通科」に、女子課程を「家庭科」に改称。
・1963年(昭和38年)6月30日 - 理科教室が完成。
・1965年(昭和40年)2月から1971年(昭和46年)4月までの間
 本館、同窓会館(1970年(昭和45年)10月10日)、体育館(1971年(昭和46年)3月25日)が完成。
・1972年(昭和47年)2月29日 - 正門と前庭を整備。
・1973年(昭和48年)1月5日 - 昭和48年度第1学年より男女共学が復活。
・1974年(昭和49年)4月1日 - 家庭科(女子)の募集を停止。
・1975年(昭和50年)6月10日 - 野球場バックネットが完成。
・1976年(昭和51年)3月31日 - 家庭科を廃止。
・1977年(昭和52年)12月20日 - 格技場が完成。
・1981年(昭和56年)
 3月31日 - 特別教室が完成。
 8月31日 - 新体操場が完成。
・ 1985年(昭和60年)3月30日 - 奈良県教育委員会規則により専攻科が廃止。
・1995年(平成7年)
 3月24日 - クラブハウスが完成。
 4月1日 - 普通科に書芸コースと英語コースを設置。
・1998年(平成10年)3月10日 - 防球ネットが完成。
・2000年(平成12年)
 8月31日 - 北館の改修を完了。
 10月31日 - コンピュータ実習室と校内ネットワークが完成。
・2004年(平成16年)10月31日 - 創立100周年記念式典を挙行。
・2011年(平成23年)6月12日 ‐ H23年度 全国高校総体奈良県予選 個人戦 第三位 久保貴洋 団体戦 第3位 メンバー(先鋒:大垣、次鋒:八瀬、中堅:松浦、副将:花谷、大将:久保)
・2011年(平成23年)7月24日 - 第49回近畿高等学校剣道大会 団体戦ベスト16 メンバー(先鋒:大垣、次鋒:八瀬、中堅:松浦、副将:花谷、大将:久保)
・2013年(平成25年)8月 - 硬式野球部が第95回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に初出場。

著名な出身者


・ 野上千鶴子 - 元女優
・ 山村龍和 - 書家 (2002年度・書芸コース卒)
・ 田津原理音- お笑い芸人

交通


・近鉄大阪線及びJR西日本桜井線 桜井駅

外部リンク


奈良県立桜井高等学校


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