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目次

浜田高校のWiki

Infobox 日本の学校
校名:島根県立浜田高等学校
過去校名:浜田中学
島根県第二中学校(廃止)
(連合浜田高等小学校)
(那賀郡町村組合石見学校)
島根県第二尋常中学校
島根県第二中学校
島根県立第二中学校
島根県立浜田中学校
島根県立浜田第一高等学校
国公私立:公立学校
設置者:島根県
学区:全県学区
全国募集あり
(全日制普通科5%以内、理数科10%以内、定時制4名以内)
校訓:質実剛健・不撓不屈
併合学校:島根県立浜田第二高等学校
浜田市立家政高等学校
設立年月日:【浜田中学】
1880年(明治13年)
【第二尋常中学校(再設置)】
1893年(明治26年)創立年
共学・別学:男女共学
分校:今市分校(2013年閉校)
課程:全日制課程
定時制課程
通信制課程
二部以上の授業:【定時制】二部制
(昼間部・夜間部)
単位制・学年制:学年制(全日制)
単位制(定時制・通信制)
設置学科:普通科
理数科(全日制)
高校コード:32124K
郵便番号:697-0024
所在地:島根県浜田市黒川町3749番地(本校)
緯度度:34 緯度分:53 緯度秒:58.8
経度度:132 経度分:5 経度秒:53.6
地図ズーム:13
中心緯度:34.899
中心経度:132.091
地図WikiData:yes


'''島根県立浜田高等学校'''(しまねけんりつ はまだこうとうがっこう、はまこう。

概要


歴史
1880年(明治13年)に開校した「浜田中学」(旧制中学校)を前身とする。1886年(明治19年)に一旦廃止され、1893年(明治26年)に再設置された。この再設置の年を創立年としている。1948年(昭和23年)の学制改革の際に新制高等学校「島根県立浜田第一高等学校」(男子校)となり、翌1949年(昭和24年)に高等女学校を前身とする2校の女子高と統合され、現校名の「島根県立浜田高等学校」となり、男女共学を開始した。2013年(平成25年)に創立120周年を迎えた。

設置課程・学科 (本校)
全日制課程 2学科 - 学年制
・ 普通科
・ 理数科
定時制課程 1学科 - 単位制
・ 普通科(昼間部・夜間部)
通信制課程 1学科 - 単位制
・ 普通科

学区 (2020年入試より)
・ 全日制課程普通科 - 島根県全域(5%の県外枠あり)
・ 全日制課程理数科 - 島根県全域(10%の県外枠あり)
・ 定時制課程 - 島根県全域(県外は4名以内)
・ 通信制課程 - 島根県全域(県外枠設定なし)

分校 - 2013年(平成25年)3月に閉校
今市分校(所在地: 〒697-0426 島根県浜田市旭町丸原46番地、name:今市分校)
・ 全日制課程 普通科

通信制課程 スクーリング協力校

大田地区
・ 島根県立大田高等学校

益田地区
・ 島根県立益田高等学校
・ 島根県立益田翔陽高等学校
(※3年おきに持ち回りで協力校となる)

校訓
「質実剛健・不撓不屈」

校章
浜田城跡の丘陵が「亀山」と呼ばれていることに因み、亀の絵と「高」の文字を組み合わせている。

校歌
1959年(昭和34年)に制定。作詞は木島俊太郎、作曲は團伊玖磨による。歌詞は3番まであり、校名は歌詞に登場しない。

沿革


旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
・ 1880年(明治13年)7月 - 「'''浜田中学'''」が設置される。
・ 1883年(明治16年)9月 - 浜田師範学校を併設。
・ 1884年(明治17年)4月1日 - 「'''島根県第二中学校'''」と改称。浜田師範学校が松江師範学校に合併され、併設を解消。
・ 1885年(明治18年)- 初等中学科(修業年限4年)を設置。
・ 1886年(明治19年)5月 - 中学校令第6条(尋常中学校は各府県に1校ずつ設置)により、'''廃止'''される。
・ 1887年(明治20年)8月 - 元・島根県第二中学校の敷地に「'''連合浜田高等小学校'''」が設置される。中学校予備科を設置。
・ 1891年(明治24年)4月1日 - 連合浜田高等小学校が廃止され「'''那賀郡町村組合石見学校'''」が設置される。
・ 1893年(明治26年)4月1日 - 石見学校を県立移管の上「'''島根県第二尋常中学校'''」とする('''中学校が復活'''、'''創立年''')。
・ 1899年(明治32年)4月1日 - 中学校令の改正により、「'''島根県第二中学校'''」と改称(尋常を除く)。
・ 1901年(明治34年)6月 - 「'''島根県立第二中学校'''」と改称。
・ 1907年(明治40年)4月1日 - 「'''島根県立浜田中学校'''」と改称。
・ 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年に短縮される。
・ 1944年(昭和19年)4月1日 - 前年に閣議決定された教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限4年施行 の前倒しが行われることとなる。
  この時の4年生(1941年(昭和16年)入学生)から適用し、4年を修了する1945年(昭和20年)3月の施行となる。
・ 1945年(昭和20年)
  3月 - 決戦教育措置要綱 が閣議決定され、同年4月から翌年3月末まで授業が停止されることとなる。修業年限短縮の前倒しにより、4・5年合同の卒業式を挙行。
  4月 - 授業を停止。
  5月22日 - 戦時教育令が公布され、授業を無期限で停止することが法制化される。
  8月15日 - 終戦。
  9月 - 授業を再開。
・ 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る。
・ 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
  旧制中学校の生徒募集を停止。
  新制中学校を併設し(名称:島根県立浜田中学校併設中学校、以下:併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
  併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
  旧制中学校3・4年修了者は、そのまま旧制中学校に在籍し、4・5年生となる(4年で卒業することもできた)。
・ 1948年(明治23年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制高等学校の発足)
  旧制中学校が廃止され、新制高等学校「'''島根県立浜田第一高等学校'''」(男子校)が発足。普通科に加え、商業科と通信課程を設置。
  旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
  併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立浜田第一高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
・ 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止(修業年限の旧制5年から新制3年への移行が完了)。

県立高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
・ 1900年(明治33年)5月 - 「'''島根県高等女学校'''」を設置。
・ 1901年(明治34年)6月1日 - 「'''島根県立高等女学校'''」と改称。
・ 1907年(明治40年)4月1日 - 「'''島根県立浜田高等女学校'''」と改称。
・ 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
  高等女学校の生徒募集を停止。
  新制中学校を併設し(名称:島根県立浜田高等女学校併設中学校、以下:併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
  併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
  高等女学校3・4年修了者は、そのまま高等女学校に在籍し、4・5年生となる(4年で卒業することもできた)。
・ 1948年(明治23年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制高等学校の発足)
  高等女学校が廃止され、新制高等学校「'''島根県立浜田第二高等学校'''」(女子校)が発足。
  高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
  併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立浜田第二高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
・ 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止(修業年限の旧制5年から新制3年への移行が完了)。

市立高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
・ 1920年(大正9年)4月23日 - 「'''浜田町立女子技芸学校'''」が設置される。
・ 1933年(昭和3年)7月1日 - 実業学校規程により、「'''浜田町立実践女学校'''」となる。
・ 1940年(昭和15年)4月1日 - 「'''浜田高等実践女学校'''」と改称。
・ 1941年(昭和16年)4月1日 - 「'''浜田実践高等女学校'''」と改称。
・ 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
  高等女学校の生徒募集を停止。
  新制中学校を併設し(名称:浜田実践高等女学校併設中学校、以下:併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
  併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
  高等女学校3・4年修了者は、そのまま高等女学校に在籍し、4・5年生となる(4年で卒業することもできた)。
・ 1948年(明治23年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制高等学校の発足)
  高等女学校が廃止され、新制高等学校「'''浜田市立家政高等学校'''」(女子校)が発足。
  高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
  併設中学校は新制高校に継承され(名称:浜田市立家政高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
・ 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止(修業年限の旧制5年から新制3年への移行が完了)。

新制高等学校(男女共学)
・ 1949年(昭和24年)4月1日 - 高校三原則に基づく公立高等学校再編により、以上の3校が統合され、「'''島根県立浜田高等学校'''」(現校名)が発足。
  当面の間、校舎は元・浜田第一高校と浜田第二高校の2校舎体制をとる。
・ 1950年(昭和25年)4月1日 - 旧・浜田歩兵第21連隊兵舎の改造工事が完成し移転。浜田市から旧兵舎一棟を借用し、定時制課程(夜間部)を新設。
・ 1951年(昭和26年)3月 - 硬式野球部、第23回選抜高等学校野球大会(春)に初出場。
・ 1959年(昭和34年)- 校歌を制定。
・ 1960年(昭和35年)4月1日 - 島根県立矢上高等学校より今市分校(全日制課程普通科)が移管される。
・ 1962年(昭和37年)3月31日 - 通信制課程を島根県立松江北高等学校へ移管。
・ 1964年(昭和39年)4月17日 - 体育館兼講堂が完成。
・ 1965年(昭和40年)4月1日- 島根県立浜田商業高等学校の新設に伴い、商業科を移管。
・ 1968年(昭和43年)8月 - 硬式野球部、第50回全国高等学校野球選手権大会(夏)に初出場。
・ 1970年(昭和45年)11月10日 - 校舎の改築が完成。
・ 1971年(昭和46年)
  3月 - 硬式野球部、第43回選抜高等学校野球大会(春)に20年ぶり2回目の出場。
  8月 - 硬式野球部、第53回全国高等学校野球選手権大会(夏)に3年ぶり2回目の出場。
・ 1976年(昭和51年)8月 - 硬式野球部、第58回全国高等学校野球選手権大会(夏)に5年ぶり3回目の出場。
・ 1977年(昭和52年)8月 - 硬式野球部、第59回全国高等学校野球選手権大会(夏)に2年連続4回目の出場。
・ 1979年(昭和54年)8月 - 硬式野球部、第61回全国高等学校野球選手権大会(夏)に2年ぶり5回目の出場。
・ 1980年(昭和55年)
  8月 - 硬式野球部、第62回全国高等学校野球選手権大会(夏)に2年連続6回目の出場。
  11月15日 - (1880年(明治13年)浜田中学の設置から数えて)創立100年記念館が完成。
・ 1981年(昭和56年)8月 - 硬式野球部、第62回全国高等学校野球選手権大会(夏)に3年連続7回目の出場。
・ 1982年(昭和57年)3月 - 硬式野球部、第54回選抜高等学校野球大会(春)に11年ぶり3回目の出場。
・ 1984年(昭和59年)1月 - サッカー部、第62回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。
・ 1993年(平成5年)10月29日 - 創立100周年記念式典を挙行。
・ 1997年(平成9年)8月 - 硬式野球部、第79回全国高等学校野球選手権大会(夏)に16年ぶり8回目の出場。
・ 1998年(平成10年)
  1月 - 大学入試センター試験島根県西部地区の試験会場となる。(〜2001年(平成13年)1月)
  8月 - 硬式野球部、第80回全国高等学校野球選手権大会(夏)に2年連続9回目の出場。
・ 1999年(平成11年)
  3月 - 硬式野球部、第71回選抜高等学校野球大会(春)17年ぶり4回目の出場。
  8月 - 硬式野球部、第81回全国高等学校野球選手権大会(夏)に3年連続10回目の出場。
・ 2002年(平成14年)
  4月11日 - 定時制課程において三修制 の授業を開始。
  10月3日 - 学校図書館情報システムを整備。
・ 2004年(平成16年)8月 - 硬式野球部、第86回全国高等学校野球選手権大会(夏)に5年ぶり11回目の出場。
・ 2006年(平成18年)7月20日 - 記念館に校史展示室「素心室」を設置。
・ 2011年(平成23年)8月1日 - 部室が完成。
・ 2012年(平成24年)
  3月21日 - エレベーターを設置。
  4月1日 - 定時制課程に昼間部を新設し、従来の夜間部と合わせて二部制とする。通信制課程普通科を新設(1962年(昭和37年)の廃止以来、50年ぶりの復活)。
・ 2011年(平成23年)3月 - 今市分校の生徒募集を停止。
・ 2013年(平成25年)3月31日 - 今市分校を廃止。
・ 2020年(令和2年)「県立高校魅力化ビジョン」に基づき、普通科に設けられていた市外10%制限を撤廃。全県から志願可能とすると共に、普通科で5%以内、理数科で10%以内で県外からの志願受付を開始。
・ 2022年(令和4年)8月 - 硬式野球部、第104回全国高等学校野球選手権大会(夏)に18年ぶり12回目の出場。
・ 2023年(令和5年)10月7日 - 創立130周年記念式典開かれる。それに合わせ校歌の貼り替え、100周年記念館外廊下の屋根工事等が行われた。

部活動


全日制課程(本校)
・ 硬式野球部 - 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に12回、選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園)に4回出場
・ 軟式野球部 - 全国高等学校軟式野球選手権大会準優勝2回、国民体育大会優勝1回など
・ サッカー部 - 全国高等学校サッカー選手権大会出場1回 
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・ バレーボール部
・ バスケットボール部
・ ソフトテニス部
・ 卓球部
・ 体操部
・ 陸上競技部
・ 柔道部
・ 剣道部
・ 弓道部
・ 水泳部
・テニス部
・空手道
・自然科学部
・写真部
・書道部
・美術部
・合唱部
・吹奏楽部
・歴史・社会研究部
・語学部
・文芸・読書部
・礼法部
・放送部
・生活科学部
・Y.A.C地域系部活動

定時制課程
・ バスケットボール同好会
・ バドミントン同好会

著名な出身者


スポーツ
高校野球などが盛んで、OBにもプロ野球選手が多い。
・ 上迫忠夫 - 体操
・ 金山友紀 - フットサル
・ 清水雅治 - 野球
・ 新宅洋志 - 野球
・ 竹本正男 - 体操
・ 土井将平 - サッカー
・ 梨田昌孝 - 野球
・ 福井誠 - 水泳
・ 和田毅 - 野球
・ 岡村佳典 - 野球
・ 久保田治 - 野球
・ 佐々木誠吾 - 野球
・ 佐々木常助 - 野球
・ 竹野吉郎 - 野球
・ 新田均

芸能・メディア
・ 岡隆一 - アナウンサー
・ 尾原秀三 - アナウンサー
・ 賀山祐介 - 俳優
・ 左右田禎子 - アナウンサー
・ 田中亜矢 (アナウンサー)
・ 花田恵吉 - アナウンサー
・ 福岡ユタカ - ミュージシャン
・ 肥後マコト - 声優

政治家・官僚
・ 岩本久人
・ 大達茂雄
・ 大谷藤之助
・ 俵孫一
・ 福浜隆宏

官界・実業界
・ 久代敏男 - マルハニチロホールディングス社長
・ 熊谷典文 - 元通商産業省事務次官、元住友金属社長
・ 小山龍三 - 元中日新聞社社主
・ 坂根正弘 - 元コマツ会長、武田薬品工業取締役会議長、元日本経団連副会長、元総合資源エネルギー調査会会長
・ 七田眞 - しちだ教育研究所所長
・ 冨金原俊二 - 元経済企画庁事務次官

学術・文化
・ 朝枝善照 - 学者
・ 石本正 - 画家
・ 江原絢子 - 教授
・ 佐野文子 - 廃娼運動家
・ 橋本明治 - 画家
・ 服部之総 - 歴史学者
・ 三浦浩 - 作家
・ 志川節子 - 作家
・ 朝田隆 - 医者
・花本金吾 - アメリカ文学者、早稲田大学名誉教授

軍人
・ 神本利男
・ 小川団吉

外部リンク


島根県立浜田高等学校

校名:島根県立浜田高等学校今市分校
過去校名:島根県立矢上高等学校今市分校
国公私立:公立学校
設置者:島根県
設立年月日:1954年4月1日
閉校年月日:2013年3月
共学・別学:男女共学
本校:島根県立浜田高等学校
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:普通科
学期:3学期制
郵便番号:697-0426
所在地:島根県浜田市旭町丸原46
緯度度:34 緯度分:51 緯度秒:55.4
経度度:132 経度分:15 経度秒:25.9
公式サイト

'''島根県立浜田高等学校 今市分校'''(しまねけんりつはまだこうとうがっこう いまいちぶんこう, Imaichi Branch of Shimane Prefectural Hamada High School)は、島根県浜田市にあった島根県立浜田高等学校の分校。

概要


歴史
1954年(昭和29年)に島根県立矢上高等学校の定時制分校として開校。1960年(昭和35年)に、全日制に切り替えた上で、島根県立浜田高等学校に移管された。2011年(平成23年)3月に生徒の募集を停止し、創立60周年を目前にして2013年(平成25年)3月に閉校した。

設置課程・学科
全日制課程 普通科

校訓・校章・校歌
島根県立浜田高等学校#概要を参照。

沿革


・ 1954年(昭和29年)
  4月1日 - 「'''島根県立矢上高等学校今市分校'''」として設置。定時制課程(修業年限4年)農業科と家庭科の2学科(定員各科50名)を設置。
  4月15日 - 那賀郡今市村外二ヶ村組合立那南中学校の校舎で第1回入学式を挙行。当面の間、中学校の校舎を共用。
・ 1955年(昭和30年)
  3月31日 - 開校式を挙行。
  9月17日 - 那南中学校の校舎が移管され、専用校舎となる(中学校との共用を解消)。
・ 1958年(昭和33年)4月1日 - 家庭科の生徒募集を停止。
・ 1959年(昭和34年)3月 - 第3棟(畜舎・管理室・製図室)が完成。
・ 1960年(昭和35年)4月1日 - 移管により「'''島根県立浜田高等学校今市分校'''」となる。全日制課程普通科(修業年限3年)を設置。
・ 1965年(昭和40年)9月24日 - 地元一般寄付により調理室が完成。
・ 1994年(平成6年)6月3日 - 創立40周年を記念し、多目的集会室が完成。
・ 1997年(平成9年)
  3月 - 旭町多目的広場が完成し、学校グラウンドとして使用。
  10月 - 若人の森記念植樹を実施。
・ 2011年(平成23年)3月 - 生徒募集を停止。
・ 2013年(平成25年)3月31日 - 閉校。

部活動


運動部
・ 卓球部
・ 山岳部
・ 軟式野球部
・ バレーボール部
文化部
・ ワープロ部
・ 放送部

外部リンク


・ date:20111127040259