特に歯科医と外科医は、お受験なんてせずに普通に小中高と経て大学医学部に進んだ先生がいい。特に歯科医と外科医は手先が器用でないとまずいんだけど、手先の器用さは子供のころ、大体、中学生までに、どれだけものを作って遊んだかによって決まるから、幼い頃から勉強ばっかりの先生はちょっと…虫歯は詰め物がすぐに外れるし、手術は痛い。内科でも注射が痛いんだわ。
名前検索していて、このページにきたので。
国泰寺だと、学年で20位くらいまでが医者になれる可能性ありってとこかな。でも医学部はどこも難しくて、自分でどんどん課題を見つけてどんどん解決できる人でないと通らないから、順位なんてあんまり関係ないけど。
国泰寺から医者になる人は少ないですが、なる人はほとんどが家の事情のため。親のあとをつがないといけんで、医者になる人です。でもそういう人はみんな、有名じゃあないけど、ちゃんと医者になってます。
歌留多大会。そのクラスです。新春恒例の1年生あげての企画でした。
ああいう企画が今もあれば、国泰寺高校だと、どの程度というよりどういう人が医者になれるかのめやすになるかな。でももうあんな押し付け企画はないでしょうけど。
競技カルタの経験のある人がいれば選手資格なしでコーチとする。他のシロウトは
国語の冬休みの宿題として百人一首をおぼえてくる。冬休み明けのぺ−パーで100首100点とった人が選手候補。そこで希望する人どおしでクラス内で予選、勝ち残った5人がクラス代表となって10クラスで対抗、3位まで学校が個人表彰するでした。つまり400人中の15人が表彰でした。
でもこの企画は成績には全く関係なしのものだったから、押し付けと思う人にとっては嫌なものでした。
うちのクラスは、成績の優秀な人が学年イチで多く、東大、京大、名古屋大、阪大、東北大、慶應大、上智大と7人も出ています。
でも学年イチでまとまんないクラスでもあって、手をあげたのは、もしかしたら大学どこも無理かもの5人。人数ちょうどで、クラス内の予選が成立しないし、練習相手がいない。しかたがないから5人で終電、というか、ひとりが江田島からの通学だったから、船便がなくなるぎりぎりまで残って練習していました。
でもこの5人が後に有名になっています。谷さんがリーダーで脇を固めたのが安井君(芸陽バス社長)と平川君(発明家)でした。他の2人も凄いですが、一般に出身高校を発表されていないので伏せます。
あのとき、押し付けだからと文句たらたらで誰も手をあげず、担任のK先生が、それなら僕があとは何とかするから棄権するかと言われ、黙って聞いていた安井君が、押し付けでもいいじゃないか。ふうの悪いことはすまーでと手を上げ、続いて谷さんと平川君が手を上げ、さらに5人でやれば何とかなると手をあげたのがY君で、これにMさんが文句を言わずに楽しくやろうよと続きました。
歌留多大会の後はすぐに定期試験のため、夢中になって練習している5人を、勉強もできんのによくやるよと馬鹿にして冷たくみていた人もいましたが、やると決めたらそんな他人の目なんて気にしないでとことんやるというのがこの5人のいいところ。3位入賞を獲ってきました。
10クラス中8つのクラスに競技カルタの経験のある人がいて、指導してもらってのものだったし、1、2位のクラスもそうだったから、シロウト5人が独力でよくやったと感心しました。大会の日は、どんどん勝ち上がっていくので、馬鹿にしていた人も、最後にはイケイケの大応援でした。
でもこの5人、おかげでテストは予想するまでもなくボロボロだったそうです。
そしてうちのクラスで今、全国的に知られるようになっているのはこの5人だけです。
私はペーパーで100点取れなかったから、選手資格なしでした。