結局、何を求めて大学に行くのか、そもそも大学が何のためにあるのか、いまだに意識普及していないということなのでしょう。国民の半分が大卒以上になっているのに。
「学位記は
授業料の領収書」サトウサンペイ氏の朝日新聞連載4コマ漫画「フジ三太郎」にありましたね。もう40年以上も前でしょうか。
「より条件の良い職に就くため。」昔からはっきり違います。大学では研究(探求)の方法を学びます。そして卒業、修了後は自らの分野で物事を探求し、新しい道を拓いていくことが求められます。職はそれに「付いてくる」もの、つまり個人の探求能力に応じていい職が得られるのであって、世間が勝手に序列化した、どんないい大学に進んだところで、肝腎の探求力をモノにできなければ、いい職は得られません。探求ができるとされる大卒以上の被雇用者には当然、組織の将来が託されますから責任重大、ゆえに失敗すればクビの上、個人責任も問われます。高給職ほど「危険」と隣り合わせ、医師はそのトップです。医師には、場合によっては殉職もいとわぬ崇高な精神が伴わなければ駄目です。わかっていない、結果、失敗する人の多いこと。日本の国力にもかかわることだけに深刻です。
↑同じ者かな。書き方から大体わかる。そこそこに学識のあるいい大人が、この掲示板にこういう投稿をするものではない。この世で最も卑怯で醜き者は、顔が見えなきゃ、バレなきゃ何を言っても、何をやってもかまわないという輩。学校でも鯉城同窓会でもかまわない。どちらも広く門戸を開いている。同じことを面と向かって言ってこい。
難関大学に合格できるだけの学力を身につけるには塾、
家庭教師、下宿代、全てにおいてお金がかかりすぎる。
経済的によほどゆとりがある家庭のひとでないと無理。
奨学金で行っても元がなかなか取れず惨めな生活送っている友人がいます。
そこまでして行く価値があるかどうかは微妙なところだと思う。