そんな説明をするとは。何者ですか。冗談じゃありませんよ。
入社試験では「大学入学のいきさつ」は問われません。それは大学の成績表、すなわち卒業証明書、単位修得証明書にそんなことは関係なく、書かれもしないためです。
そもそも合格=入学
許可は、AOだろうが推薦だろうが、その大学が厳正に考査し、その大学、学部での学問に適するとして与えるものです。
ここは非常に厳しく、考査に不正があった(例えばカンニングがあった)ならば受検者に、金品になどによる便宜を図った事実が確認されれば、受検者本人と大学の担当者のどちらにも手錠がかかります。
さらに、あの人は例えばAO入学者ですなどと大学担当者が企業に漏らすと、それだけで大学担当者に手錠がかかり、大学も国から処分されます。
それは大学卒業あるいは修了=学位授与も入学
許可と同じく、その大学が厳正に考査した上でのものであり、習得不足の者に学位授与はできない、そして学位を授与された者は所定以上の能力があると「国家認定」されるからです。すなわち学位は国公私立大学を問わず全世界に通用する「日本国」が認める「資格」です。
だからこそ、高校までとは違い、大学は何度でも入学、卒業・修了でき、いくらでも好きなだけ学位を取得できるのです。
制式かつ重要なことであるため、正確に書きますが、私は国泰寺高校卒業後、大阪教育大学教育学部に進学、4年修了で教育学士、その後すぐに広島電機大学(今の広島国際学院大学)工学部の学士編入試験を希望、合格、3年次編入と決定、2年で卒業して工学士を得て一般企業に就職していますが、この広島電機大学工学部の編入学試験は
面接のみでした。
しかし
面接考査のみの3年次編入と広島電機大学工学部が決定するまでには、大阪教育大学での習得単位と具体的な履修内容、卒業論文内容の教授会での考査、さらには当時の文部省本省への確認と
許可があり、受検表が送られてくるまでには3ヶ月近くかかりました。
入社試験では2大学卒業者として扱われましたが、最終学歴が工学部、学位が工学士であることから、技術セクション配属とされ、工学部入学のいきさつ=入試については一切、
面接でも訊かれることはありませんでしたし、履歴書記載の要求もありませんでした。当然、広島電機大学の卒業証明書、単位修得証明書にも「
面接入学者」とは書かれておらず、ただ「3年次編入」と書かれているだけです。
こういった規程は今も変わってはいません。一体、何を考えているんでしょうか。
そして、もしもその予備校講師が言ったことが事実であれば、大学までも処分対象とされる重大な犯罪です。
事実であれば具体的にどこの大学でそういうことがあったのかです。もしも勝手な想像で講師が発言したならば、これも犯罪になります。
上の者です。学校関係者(教職員)もこの掲示板をご覧になっているでしょうから申し上げますが、上に私が書いたことに疑いを持たれるのであれば、ここでは名乗ることはできませんから、広島国際学院大学にご確認下さい。私は昭和42年の広島電機大学開学以来はじめての学士入学・卒業者です。そう言って直接お問い合わせ頂ければ、就職先も含めてわかります。私は大学からの情報開示要請を受けますので。私は上述の通り最終学歴、広島電機大学卒業者=工学士として扱われていますが、その入試の経緯による不利益など一切受けてはいませんし、研究室紹介なしの職業安定所の掲示板を観ての飛び込み受験でした。これも当時からいらっしゃる教授はご存知ですからそれもどうぞご確認ください。
その予備校の講師、といいますか、その予備校として各大学の入学者選抜試験、特に特別選抜試験を馬鹿にする、すなわち学位を軽視することは直ちに止めていただかないといけないことです(誤った学位授与規定の認識による就職差別の容認になります。)し、もうひとつ意見として言わせてもらうならば、何で予備校講師に、大切な進路説明会での説明を任せてしまうのかです。学校での生徒進路指導はあくまでも正規教員の職務・職責であると考えます。それ以外の者が指導に携わってはいけないというものではありませんが、それらの公立学校での軽率な発言は、最悪は処罰対象となりかねません。質問者が書かれている通りであったとするならば、講師の発言内容が事実であったとしても虚偽であったとしても、いわゆる一線を越えていることになりますが、これをどうお考えになられますか。
AO受ければ割と受かるものと今まで思ってましたが周り見ると結構落ちてます。それまで
小論文などAO用の勉強をしてきたのにダメだとまたそこからスタートで一般受験の人たちより遅れもでてしまうので結構大変なんだなと正直思ったりもしています。
厳しい話ですが大学を卒業できるかどうかは高校入試でほぼ決まります。国泰寺高校に入学できるだけの力のある人はほぼ全員が大学を卒業できるだけの力のある人。どの受験方法でどの大学に入学するかは単に自分の得意とするものを選べばよいだけのことです。大学入試は通過点でしかなく、好きな大学に合格できればそれでいい。本当のチャレンジは大学卒業後からです。はじめの方が厳しく書かれていますがその通りだと思います。ちなみにこの方、地元有名企業の技術者を経て独立、研究開発会社を立ち上げてその社長。知っている人は知っています。国際学院大学への入学はラジオいじりの趣味が嵩じてどうしても本気で電気を学んでみたくなった。中学校よりも近くにたまたま専門大学があり、実家から自転車で通うこともでき、費用は
授業料以外にはほとんどかからなかった。そして趣味が仕事になった。しかし教師も好き。親を説得、
学費を出してもらって大阪に行き本気で勉強したこと。償い、趣味として塾を開き、仕事が終わってからもうけなしで地元の中学、高校生を教えておられます。(しかし西日本トップの教育学部卒業、京都大学、京都教育大学との共同研究論文をいくつか出されている先生です。もうけなしの格安塾で強制一切なしなのに大手予備校真っ青の高い割合で難関大学進学者を出すことから地元でひそかに有名。塾はいつも定員いっぱいです。洗脳のようなことをする質問者さんの書かれた予備校の先生とは品も格も違います。)好きなことを追いかけるのが好きだから自分には大学の
偏差値だの世間の評判といったものは全く関係なかったのだそうです。(雑誌の企業トップ紹介記事より。テレビでも何回か紹介されています。)そういうものだと思いますし、特に国泰寺高校の出身者らしい生き方だろうとも思います。今の国泰寺高校の在校生もこういう先輩たちがつくりあげてきた校風の中、先生がつくる押しつけ、強制的な雰囲気にはちょっとなじめないと思います。
推薦、AOならば簡単だと思っている人のほうが大間違い。タイプが違うだけのもので、トータルで要求される実力(能力)は同じとされているから、簡単に合格できるものではありません。しかも国泰寺高校くらいの学力レベルになると、推薦、AO、一般入試のいずれにしても、合否はほんのちょっとの差で分かれるものになります。だからこそ推薦、AOなどが向いているという人はそっち、一般入試が向いているという人はそっちを客観的に正しく見極め、最も可能性の高いものを選ぶのが当たり前。そのための進路指導でもある。なのに推薦、AOは就職に不利だの何だのとおかしなことを言い、向いてもいない人を一般入試にとは全く言語道断。大体、予備校講師の力を借りなければ進路指導ができないようなことならば、昔のように進路指導一切なしで結構。大きなお世話で混乱させないでほしい。
電大と大教大とは極端な例が出ていますが、電大は入学は簡単でも卒業の難しい大学として有名、本当に好きな3割くらいの人しかまともに4年で卒業できなかった、そのかわりどんなに不景気でも就職希望の人はほぼ全員が希望通りに就職できていたと記憶しています。つまりちゃんと好きで進学しないと就職も思うようにいかなくなるということで、成績で大学を決める、まして学校が下手に奨めたりは絶対に駄目です。そして好きでその大学で学びたいならば、とにかく何としても入学することを先に考えるべきで、就職をまず考え、成績で何となく入ると確実に失敗します。大学はそんないい加減な考えの通用するところではありません。