- 内緒さん 先輩478字:私は中学校の成績がとても悪く、1もとったこともあるし、数学で一桁をっとたこともあります。他の教科が特別良いわけでもなかったです。入試もほんっとにぜんぜんだめだったし、恒星のこと発光体って書いたり、数学のしょうめいは白紙だし、どこの部分が胚朱なのかもわからないし、れ点とかいみわからなかったし。自己表現も質疑応答で質問されたことと関係ないしっちゃかめっちゃかの答えをいってしまったし。ほんとに合格発表の日が不安でマジで自信がなかったし落ちて私立にいくことしか考えてなかったし泣いちゃうだろうなと思ってティッシュ箱ごと持っていった。ってくらい絶望しかなくて絶対落ちると思ってたけど受かってました。受かって嬉しいより先に、なんで?私より優れている人がいるのに。こんなに私は頭が足りていないのに。と思いました。今でも信じられません。はい、私のようにドがつくおバカさんでも受かったのでこれから市工を受験する人は諦めずにとにかくやってみないと結果はわからないからできるかできないかじゃなく、やるかやらないかです。心から応援しています。待ってます。頑張ってください‼
- 車大好き女子 先輩40字:絶対落ちていると思って、合格発表を見に行くと、一瞬息が止まるくらい、嬉しかった!
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公立
共学
偏差値 45
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概要
広島市立広島工業高等学校は、広島県広島市南区にある市立工業高等学校。
略称は「広島市工」、「市工(しこう)」。概要歴史1924年(大正13年)に「広島市工業専修学校」として開校。青年学校・工業学校を経て1948年(昭和23年)の学制改革により新制の工業高等学校となる。数回の改編を経て、1964年(昭和39年)に現行の工業高等学校となった。現校名になったのは1980年(昭和55年)。 - つづきを読む
略称は「広島市工」、「市工(しこう)」。概要歴史1924年(大正13年)に「広島市工業専修学校」として開校。青年学校・工業学校を経て1948年(昭和23年)の学制改革により新制の工業高等学校となる。数回の改編を経て、1964年(昭和39年)に現行の工業高等学校となった。現校名になったのは1980年(昭和55年)。 - つづきを読む