基本情報
Infobox 日本の学校
校名:広島県立広島皆実高等学校
国公私立:公立学校(県立)
設置者:広島県
校訓:勤勉・強行・責任・自由
設立年月日:1901年(明治34年)12月28日
共学・別学:男女共学
課程:全日制課程
単位制・学年制:単位制
設置学科:普通科
衛生看護科
体育科
専攻科:看護専攻科
学期:3学期制
高校コード:34103H
郵便番号:734-0001
所在地:広島県広島市南区出汐二丁目4-76
緯度度:34 緯度分:22 緯度秒:35.1
経度度:132 経度分:28 経度秒:31.7
公式サイト'''広島県立広島皆実高等学校'''(ひろしまけんりつ ひろしまみなみ こうとうがっこう)は、広島県広島市南区出汐に所在する県立高等学校。
体育科と衛生看護科を併設し、広島県内の高校で唯一、看護教育を行っている。
概観
歴史
1901年(明治34年)創設の「広島県立広島高等女学校」を前身とし、2011年(平成23年)に創立110周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 3学科(単位制)
・ 普通科
・ 衛生看護科(専攻科との5ヵ年一貫教育)
・ 体育科
校訓
「勤勉・強行・責任・自由」
学校教育目標
「教育基本法その他教育関係法令に基づき、心身ともに健康にして、高い知性・豊かな情操・強い意志をもった青年の育成をはかる。」
校章
現校章は二代目。工業科が広島県広島工業高等学校として分離した1953年(昭和28年)に制定された。柏の葉と雪の結晶の絵を組み合わせたデザインとなっている。
校歌
1961年(昭和36年)に制定。作詞は広島皆実高等学校、作曲は高木東六による。歌詞は3番まであり、校名の「皆実」は3番に登場する。
制服
男子の冬服は学生服(学ラン)、女子の冬服はセーラー服。
同窓会
「皆実有朋会」と称している。東京と近畿(奈良県)に支部を置く。
国際交流校
〜〜〜〜〜〜 (〜〜)(大新の読みは「テシン」)- 1991年(平成3年)より交流を開始。
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沿革
'''高等女学校時代'''
・1901年(明治34年)
12月20日 - 「'''広島県立広島高等女学校'''」の設置が文部大臣によって認可される。
12月28日 - 広島県知事により広島県立広島高等女学校の創設が告示される。
・1902年(明治35年)
2月4日 - 東京女子高等師範学校助教授広瀬豊十郎が初代校長に就任。
3月6日 - 学則を制定し、修業年限を4ヶ年、生徒定員(4学年合計)を400名とする。
4月12日 - 入学選抜試験を実施し、100名が合格。
4月18日 - 入学式を挙行。
4月21日 - 下中町の広島県師範学校校舎(下中町)を継承し、授業を開始。
5月28日 - 地久節祝賀式を挙行。
・1903年(明治36年)
2月4日 - 開校記念式を挙行。
2月11日 - 紀元節拝賀式を挙行。
5月14日 - 校舎の大修理を実施。
・1904年(明治37年)5月28日 - 校友会(生徒会)が発足。
・1905年(明治38年)11月3日 - 校友会機関誌「真巳とのとく」を発行。
・1906年(明治39年)
3月27日 - 第1回卒業式を挙行。77名が卒業。
4月1日 - 補習科(修業年限1ヶ年・定員100名)を設置。
この年 - 図書室を開設。
・1907年(明治40年)11月25日 - 閑院宮妃が来校し、裁縫・薙刀・遊戯体操の授業を視察。
・1908年(明治41年)10月16日 - 家事作法教室を新装。
・1909年(明治42年)
2月4日 - 同窓会「有朋会」が発足。
3月 - 募集定員を50名増員し、150名とする。
・1910年(明治43年)
1月21日 - 校友会事業として桐160本を植樹。
3月 - 募集定員を元の100名に戻す。
・1913年(大正2年)9月10日 - 雨天体操場が完成。体操服を制定。
・1915年(大正4年)
2月26日 - 当時の文部大臣一木喜徳郎が視察のため来校。
11月10日 - 大正天皇即位の祝賀式を挙行し、御大典記念に図書館と博物館を新築。
・1916年(大正5年)2月2日 - 募集定員を50名増員し、150名とする。
・1917年(大正6年)
2月2日 - 募集定員を更に50名増員し、200名とする。
10月10日 - 卒業生を開催し、割烹講習会を開催。
・1918年(大正7年)8月31日 - 米騒動のため、寄宿舎生が飯用米を持って帰舎。
・1919年(大正8年)6月15日 - 裁縫および洗濯教室が落成。
・1920年(大正9年)
3月30日 - 家事補習専攻の(修業年限3ヶ年・生徒定員50名)の設置が認可される。
9月 - 専攻科教室(2階建)「白塔」が完成
この年 - 校章と制服を制定。
・1921年(大正10年)3月〜 募集定員を50名増員し、250名とする。
・1922年(大正11年)2月28日 - 本館と付属施設が完成。
・1923年(大正12年)
3月5日 - 千田町に寄宿舎が完成。
4月1日 - 家事補習専攻科を専攻科に改称。
・1924年(大正13年)
3月 - 同年4月入学生より、修業年限を1年延長し5ヶ年とする。
5月16日 - 定員が1200名となる。
・1926年(大正15年)
3月16日 - 保護者会が発足。
5月25日 - 摂政宮が来校。
・1927年(昭和2年)3月 - 4ヶ年課程(1923年(大正12年)4月入学生)最後の卒業式を挙行。
・1928年(昭和3年)3月5日 - 広島女子専門学校(県立広島大学の前身)の設立により、専攻科を廃止。
・1929年(昭和4年)1月16日 - 裁縫室を焼失。
・1930年(昭和5年)11月7日 - 明治天皇文庫を創設。
・1934年(昭和9年)10月31日 - 校旗を制定。
・1935年(昭和10年)
2月11日 - 愛国子女団正式名称:愛国婦人会広島県支部広島県立広島高等女学校子女団を結成。
3月18日 - 奉安殿が完成。
6月17日 - 同窓会を「社団法人広島県立広島高等女学校有朋会」とし、理事長に河野ハルが就任。
10月4日 - 校歌を制定。(作詞は鈴木敏也、作曲は信時潔による)
この年 - 広島女子専門学校が宇品へ移転し、併設を解消。母子室、図書室を整備。
・1940年(昭和15年)- 紀元2600年奉祝式を挙行。
・1941年(昭和16年)
4月1日 - 宇品に広島県立広島第二高等女学校が開校したことにより、「'''広島県立広島第一高等女学校'''」と改称。
4月15日 - 勤労報国隊を結成。
11月22日 - 安佐郡八木村に修練道場を開設。
・1942年(昭和17年)
1月8日 -「大詔奉戴日」を制定し、護国神社参拝を実施。
10月1日 - 雨天体操場が完成。
この年 - 修学旅行が中止となり、代わりに宮島遠足と各学期1回の行軍を実施。
・1943年(昭和18年)
4月1日 - 高等女学校規定により、修業年限が1年短縮され、4ヶ年となる。3年生以上に英語を課さず、農作業・教練等を強化。
この年 - 4年生以上による広島陸軍被服支廠での作業奉仕が開始。
・1944年(昭和19年) - 5年生が広海軍工廠へ勤労動員される。雨天体操場にミシンが設置され、4年生が広島陸軍被服支廠の作業を行う。
・1945年(昭和20年)
3月1日 - 5年生と4年生の同時卒業式を挙行。5年卒業者は広海軍航空廠へ、4年卒業者は広島陸軍被服支廠川内村工場への動員が継続される。
3月7日 - 2年生が広島印刷・広島航空に動員される。
4月29日 - 4年生が東洋工業・広島航空に動員される。
7月1日 - 戦況の悪化を受け、千田町寄宿舎が川内村へ疎開。
7月18日 - 2年生が広島印刷・広島航空・陸軍被服廠川内村工場に動員される。
7月23日 - 1年生が川内国民学校(現・広島市立川内小学校)で分散授業を開始。授業は週1日程度となる。1年生の一部は建物疎開作業に従事。
8月6日 - 広島市への原子爆弾投下により、甚大な被害を受ける。
・爆心地から650mの校舎は倒壊の上、焼失。校長と教職員19名、建物疎開作業中の1年生他生徒281名277名とも。が死亡。
9月2日 - 被爆後最初の職員会議と保護者会役員会を草津町で開く。
9月30日 - 学校本部を草津町さくら寮に置き、さくら寮・川内国民学校・八木修練道場の3か所で分散授業を開始。元・大竹海兵団より机の転用をうけ搬入。
12月20日 - 草津教専寺で原爆犠牲教職員生徒の慰霊祭を執行。
・1946年(昭和21年)
1月22日 - 分散授業場を草津町のさくら寮と、出汐町の元広島陸軍被服支廠倉庫の2か所とする。
4月1日 - 修業年限が5ヶ年に戻る。
4月12日 - 元・広島陸軍被服支廠の一部倉庫を修理し、全生徒を収容して授業を再開。
5月6日 - 下中町の旧校地跡に、被爆教職員生徒の慰霊木碑を建立。
8月6日 - 慰霊碑前で被爆一周年追悼会を執行。哀悼歌(作詞:岸谷敞子)を合唱。
秋 - 第1回復興祭を開催。校友会(生徒会)活動・クラブ活動を再開。
・1947年(昭和22年)
4月 - 学制改革(六・三制の実施)により、暫定措置として新制中学校を併設(以下、併設中学校)し、同年3月時点で高女1・2年の生徒を新制中学校2・3年生として収容。
5月19日 - 元・広島陸軍被服支廠倉庫から木造建物に校舎を移転し、旧・広島被服支廠本館を学校の本館とする。
秋 - 第2回復興祭を行い、復興歌を制定。修学旅行が復活。
・1948年(昭和23年)3月25日 - 高等女学校最後の卒業式を挙行。267名が卒業。
'''新制高等学校'''
・1948年(昭和23年)
5月3日 - 学制改革(六・三・三制の実施)
・広島県立広島第一高等女学校が廃止され、新制高等学校「'''広島県広島有朋高等学校'''」(有朋の読みは「ゆうほう」、女子校)が発足。
併設中学校を継承。併設中学校卒業生を新高校1年生、同年3月時点で高女4年を新高校2年生、高女卒業生(希望者)を新高校3年生として収容。
・広島県立広島第二高等女学校が廃止され、新制高等学校「広島県広南高等学校」(女子校)が発足。
9月22日 - 生徒自治大会を開催し「あけぼの会」(会長 長谷川澪子)誕生。
10月10日 - 保護者会に代わり、PTAが発足。
・1949年(昭和24年)
3月13日 - 有朋高等学校の解散惜別音楽会を広島高等学校の講堂で開催。
3月19日 - 有朋高等学校の最初で最後の卒業式を挙行。卒業生は104名。
3月31日 - 暫定措置として設置されていた併設中学校が、最後の卒業生(1946年(昭和21年)高女入学生)を送り出し、廃止される。
4月30日 - 高校再編により、下記4校が統合され総合制高等学校「'''広島県広島皆実高等学校'''」が発足。普通課程・生活課程・工業課程を設置。男女共学となる。
・県立3校(広島県広島有朋高等学校・広島県広南高等学校・広島県広島工業高等学校)と市立1校(広島市立工業高等学校)の計4校。
5月9日 - 開校式を挙行。
6月8日 - 初代校章(鳩の羽根とペン)を制定。
・1950年(昭和25年)
3月1日 - 広島皆実高等学校としての第1回卒業式を挙行。普通科131名と工業科317名が卒業。
7月1日 - 家庭クラブを結成。
8月20日 - 皆実同窓会を結成。
この年 - 北グラウンドが整備され、スタンドが設置される。
・1951年(昭和26年)
1月 - B校舎の移転改修工事を完了。
9月 - C校舎が完成。
・1952年(昭和27年)
1月25日 - 第1回校内マラソン大会を開催。
2月20日 - 生徒歌「友よ」(作詞は坂下喜治と珠山哲弥、作曲は北千枝子による)が発表される。
9月1日 - 女子の制服を制定。
11月1日 - 三段峡遭難で工業部の生徒7名が死亡。
・1953年(昭和28年)
4月1日 - 工業科が分離し、広島県広島工業高等学校(再)として独立。なお両校の敷地は隣接したまま。
5月2日 - 新校章(柏葉と雪、二代目・現校章)を制定。
・1954年(昭和29年)
5月23日 - 有朋会と皆実同窓会が合併し、「社団法人皆実有朋会」が発足。
・1955年(昭和30年)
6月24日 - 木造2階建ての中校舎が完成。
8月5日 - 広島県立第一高等女学校原爆犠牲者遺族会が発足。旧第一高女正門跡に「原爆犠牲者追憶之碑」を建立し、慰霊祭を執行。
9月1日 - 相談室を設置し、カウンセリングを開始。
・1956年(昭和31年)
7月1日 - 旧第一高女の門柱を「追憶之碑」そばに移設。
9月13日 - 旧校舎を講堂兼体育館と南校舎に、柔道場と音楽室を図書館に改造。
この年 - 普通科に総合選抜制度導入。国泰寺高校・観音高校・基町高校・舟入高校との一括募集となり、「広島市内五校」(後に井口高校が加わり「広島市内六校」)と称される。
・1958年(昭和33年)
2月22日 - 北校舎が完成。
4月6日 - 皆実有朋会(同窓会)が生徒会売店の仕入れ・経営を行う。
4月30日 - 生徒ホールが完成。旧校舎の一部を柔道場に改造。
・1959年(昭和34年)9月22日 - 隣接する広島工業高校との間で使用グランドを決定し、北グラウンドが割り当てられる。
・1960年(昭和35年)4月28日 - 同窓会の寄贈により「皆実有朋プール」が完成。
・1961年(昭和36年)
4月6日 - 校旗を制定。
5月3日 - 校歌(現校歌)を制定。
5月 - 同窓会結婚相談所「柏葉会」が発足。(1977年(昭和52年)12月に解散)
・1962年(昭和37年)
1月29日 - 音楽教室が完成。
8月21日 - 平屋建ての体育部室が完成。
・1963年(昭和38年)5月13日 - 1号館が完成。
・1964年(昭和39年)5月12日 - 鉄筋コンクリート3階建ての新本館と渡り廊下等が完成。旧本館は生徒急増期のため解体を延期の上、美術・書道教室に臨時改造。
・1965年(昭和40年)
3月31日 - 体育館兼講堂が完成。
5月31日 - 特別教育活動校舎が完成。
10月6日 - 本館を増築。
・1966年(昭和41年)
4月1日 - 衛生看護学科(生徒定員1学年、40名)を新設。
6月10日 - クラブ部室が完成。
8月31日 - 農林事務所を改造の上、衛生看護学科の仮校舎とする。
・1967年(昭和42年)
1月16日 - 理科校舎が完成。
9月11日 - 武道場が完成。
12月6日 - グラウンドを整備。
・1968年(昭和43年)10月1日 - 「'''広島県立広島皆実高等学校'''」(現校名)に改称(県の後に「立」が加えられる)。
・1969年(昭和44年)4月1日 - 衛生看護専攻科(2年間)を新設。
・1970年(昭和45年)
5月28日 - 家庭クラブを発展的に解消し、「白樺会」とする。
この年 - 水泳大会と柔剣道大会を廃止。
・1971年(昭和46年)4月16日 - 同窓会館「皆実有朋会館」が完成。
・1972年(昭和47年)
3月1日 - 隣接の広島工業高校との校地交換が決定。
3月15日 - 衛生看護科・専攻科校舎が完成。
・1973年(昭和48年)3月31日 - 4号館が完成。
・1974年(昭和49年)
1月31日 - 渡り廊下に木造波板ビニール屋根を設置。
2月28日 - 流紋岩の校門を設置。校内庭園「いこいの森」が完成。
・1977年(昭和52年)3月31日 - 衛生看護学科の寄宿舎を廃止。
・1978年(昭和53年)3月17日 - 平和教育「先輩諸姉の被爆体験を聞く会」を実施。
・1980年(昭和55年)4月16日 - グラウンド前に自転車置き場を設置。
・1981年(昭和56年)
3月31日 - 3号館の一部と渡り廊下が完成。
8月23日 - 皆実有朋会が教育振興資金のための基金募集を開始。
・1982年(昭和57年)
3月31日 - 3号館特別教室一部が完成。
8月6日 - 原爆犠牲者銘板を除幕。
・1987年(昭和62年)7月26日 - 弓道場が完成。
・1989年(平成元年)1月24日 - 広島工業高校との共用プールが完成。
・1990年(平成2年)3月31日 - 1号館と2号館校舎のリフレッシュ工事が完成。クラブハウスが完成
・1992年(平成4年)
4月1日 - 体育科(生徒定員40名、学区は全県一円)を新設。
7月18日 - 皆実高校スポーツ交流団が訪韓。
12月20日 - 第二体育館が完成。
・1993年(平成5年)3月16日 - グラウンド改修工事が完了。
・1996年(平成8年)3月31日 - 2号館と特活校舎のリフレッシュ工事が完了。
・1997年(平成9年)3月31日 - 第一体育館下の雨天練習場人工芝工事が完了。
・1998年(平成10年) - 総合選抜制度全廃。普通科も単独選抜に移行。
・1999年(平成11年)8月31日 - 看護在宅実習室の整備工事が完了。
・2002年(平成14年)
3月25日 - 皆実会館が完成。
4月1日 - 5年一貫看護教育(3年+専攻科2年)の開始。
10月31日 - 7号棟・39号棟の内部リフレッシュ工事が完了。
・2003年(平成15年)3月26日 - 防球ネットを設置。
・2004年(平成16年)
3月26日 - 駐輪場を新設。
5月31日 - PTAにより普通教室34室に空調が設置。
・2005年(平成17年)3月31日 - 第二情報数室を新設。
・2009年(平成21年)1月12日 - サッカー部が、3年連続8回目で出場した第87回全国高等学校サッカー選手権大会で初優勝(創部60年目)。
学校行事
・ 新入生歓迎遠足
・ 皆実祭
・ 体育科野外活動
・ 運動会
・ 修学旅行(東京)
・ 合唱祭
・ 韓国親善校との国際交流
・ マラソン部・弓道部・剣道部が全国大会への出場経験あり。近年は水泳部・卓球部が県大会上位入賞している。
文化部
・ 英会話部
・ 演劇部
・ 茶道・華道部
・ フォークソング部
・ 社会問題研究部
・ 写真部
・ 美術部
・ 文芸部
・ 自然科学部
・ 書道部
・ 吹奏楽部
・ 視聴覚(放送)部
・ 園芸部
運動部
・ 弓道部
・ 剣道部
・ テニス部
・ 男子サッカー部・女子サッカー部
・ 柔道部(女子)
・ 水泳部
・ 新体操部(女子)
・ 卓球部
・ 男子バスケットボール部・女子バスケットボール部
・ バレーボール部
・ ソフトテニス部
・ ボート部
・ 陸上競技部
著名な出身者
50音順
サッカー
・朝日大輔 - 元サッカー選手(カターレ富山)
・井林章 - サッカー選手(サンフレッチェ広島)
・梅田直哉 - 元サッカー選手(FC岐阜)
・金本圭太 - 元サッカー選手、現サッカー指導者
・木村孝洋 - 元サッカー選手、FC今治監督
・木村允彦 - サッカー選手(ファジアーノ岡山)
・小林優希 - サッカー選手(ファジアーノ岡山)
・重廣卓也 - サッカー選手(アビスパ福岡)
・柴村直弥 - サッカー選手(ヴァンフォーレ甲府)
・下田崇 - 元サッカー選手(サンフレッチェ広島)
・秦賢二 - サッカー選手(FC琉球)
・疋田優人 - サッカー選手(ファジアーノ岡山)
・藤原悠汰 - サッカー選手(サガン鳥栖)
・堀健人 - サッカー選手(ヴェルスパ大分)
・前川黛也 - サッカー選手(ヴィッセル神戸)
・増田卓也 - サッカー選手(サンフレッチェ広島)
・松岡祐介 - サッカー選手(ソニー仙台FC)
・的場千尋 - 元サッカー選手(水戸ホーリーホック)
・丸川太誠 - サッカー選手(バレッタFC)
・森重真人 - サッカー選手(FC東京)
・山根巌 - 元サッカー選手(柏レイソル)
・吉弘充志 - サッカー選手(MIOびわこ滋賀)
・渡大生 - サッカー選手(アビスパ福岡)
その他スポーツ
・瀬戸彬仁 - フットサル選手(シュライカー大阪)
・為末大 - 陸上選手(400mハードル日本記録保持者・エドモントン、ヘルシンキ両世界選手権銅メダリスト)
・中広大悟 - プロボクサー
・福部真子 - 陸上選手
・渡部真代 - バスケットボール選手
・三間瑠依 - バスケットボール選手
・上長美菜 - バスケットボール選手
・奥村鈴 - バスケットボール選手
芸能
・今村美月 - STU48(アイドルグループメンバー)
・古今亭菊志ん - 落語家
・角梨枝子 - 元女優
・月丘夢路 - 元女優
・松前吏紗 - まなみのりさ(アイドルグループメンバー)
・松本裕見子 - ローカルタレント
・森山あすか - お笑い芸人
ミュージシャン
・奥田民生 - シンガーソングライター(UNICORN)
・二葉あき子 - 元歌手
・MEG - ミュージシャン、モデル、デザイナー
・吉田拓郎 - シンガーソングライター
・磯部正文 - シンガーソングライター(HUSKING BEE)
マスコミ
・磯野恭子 - 元山口放送アナウンサー、テレビディレクター
・石川みなみ - 日本テレビアナウンサー
・久保田智子 - TBS報道記者・元アナウンサー
・京面龍太郎 - テレビ高知アナウンサー
作家
・佐伯千秋 - 児童文学作家
漫画家
・市川ヒロシ - 漫画家
実業家
・河村泰貴 - 吉野家ホールディングス代表取締役社長
学者
・西田友是 - 東京大学名誉教授、元
交通アクセス
'''最寄りの鉄道駅'''
・JR西日本 山陽本線・芸備線 「広島駅」
・広島電鉄(路面電車) 皆実線(5号線) 「南区役所前電停」、「皆実町二丁目電停」
'''最寄りのバス停'''
・広島駅から
広電バス(青)・広島バス(赤)・広島交通(オレンジ)
・まちのわループ右回り(302号線) 「出汐二丁目」バス停
広電バス(青)・広島バス(赤)
・大学病院行き(322号線) 「大学病院入口」バス停
・旭町循環線(332号線) 「大学病院入口」バス停
広島バス(赤)
・県病院行き(342号線) 「出汐二丁目」バス停
・広島みなと新線広島港行き(312号線) 「出汐二丁目」バス停
'''最寄りの道路'''
・国道2号 「出汐」交差点
・広島高速2号線 「東雲出入口」
外部リンク
・
広島県立広島皆実高等学校
Navboxes
title:部活動実績