私の出身高校(公立)もアルバイト禁止ですが、上の方が書かれているように、自分が学校に通うために校則を破り、勉学に費やすかけがえのない時間を労働に費やし、得たわずかな賃金を
学費につぎ込んでいる子がいました。ところがそれを見つけた学校当局がその子を校則違反として停学処分とし、結局、その子は退学するに至ってしまったことから同窓会が激怒しました。150年の学校の歴史の中で、これほどまでに愚かな裁定を下し、最悪の結果を招いたことはありません。すぐにこれまでの学校への協力を永久停止、浮かせた資金とその趣旨明示で同窓会費を上げ、全国に散っている卒業生に寄付を募って同窓会独自の返済不要の奨学金制度を作り、貧困にあえいでいる子をひとりでも救うべく活動を始め、衆院議員と県会議員に働きかけ、公費で喰わせる価値のない、処分を下した連中を全員、辞職に追い込みました。
校則は何のためにあるのかです。明治の昔からここはケースバイケースで柔軟に適用されてきた、子供たちの学業を護るための校則であるのに、学業を破壊するのでは何の意味もありません。校則の目的を正しく理解しているのであれば、厳しく指導するべきであるのかそうでないのかの区別は一発でできること、それができない者は教職不適格者です。高校はもう、自ら望んで行く学校です。よって校則は中学校までのものとは違い、教育的意味を持って存在するものではなく、純粋に組織の自治法として存在し、遵守しない者に対しては組織として、日本の法下で認められる制裁が加えられ、さらにはその制裁が日本の法下で適正なものであるのかの第三者判断もされます。その重さを教職員も生徒も、そして保護者も理解しておかねばなりません。
違反者が多い、雰囲気が悪いということは、まずもって校則そのものや、学校システムに問題があるのではないか、そこから考えなければならないことであり、まずは大人、卒業生や保護者が範を示し、是正に向けて具体的に行動することです。それが先輩から後輩への贈り物であり、学校の自治と伝統です。