同じく私も2年目が終わりましたが、同じようなことを思っていました。実力テストなどの難易度の高いテストを作ること自体は悪いことではないと思いますが、一部の人しか解けないような難しい問題を出すのに、返却後の解説も教科によっては一切しないでいつもの授業をする先生もいらっしゃって、ちょっと生徒の自主性に任せすぎなんじゃないかな?と思います。
また、学習ガイドブックに各教科の1年間の授業計画表があるのですが、教科によってはかなりぎりぎりで終わることになっています。生徒は、塾などで早めに習っておくなど、学校の授業以外で予習している人が多いと思います。
私はどうしても現役で志望校に合格したいので、学校にあまり頼らず自力で頑張っています。
親世代のOBです。高校2年の終わりまではほとんど学年最下位(500番くらい)でしたが、ともかくも補習科を経て、難関といわれる国立大学に何とか進学しました。
この問題はいくら議論しても結論には至らないと思います。ですので、あえて舌足らずで言いますが、学校で受身でいるだけでは満足できる成績にはまず到達できません。できる人は、授業を大切にするという大前提のうえで、自分の勉強方法を確立しています(もちろん
塾に行くという意味ではありません)。その境地に、あなたがいつ到達できるかです。
実力テストは受験レベルなので、この目線を下げるということはあり得ません。出来なければ本人が目標とのギャップを自覚して、それを埋める努力(先生への質問など)を重ねるしかないのです。出来ないことを周囲のせいにしていては何の解決にもなりません。
私は大学で全国の有名進学校出身者と出会いましたが、本当にできる人は独力で徹底的にできます。一方、学校の指導に受身でついてきた人は、地頭はいいのですが大学で伸びる人とそうでない人にはっきりと分かれます。正直なところ、この大学にして多数派はこの程度かと思いました。
厳しいようですが、ここで悩むことが人生を生き抜くうえでの人間力を養成するといえます。
社会に出れば、正解や解説などありません。あくまで今の自分に近い目標に対してどう努力するのか(場合によってはスルーするのか)、そういった判断や訓練の第一歩だと思います。
さらに言えば、疑問に思うことがあれば相談するのはネットではなく、まずは先生だと思いますよ。批判ありきではなく、とにかく謙虚になって。
社会に出ても、中途半端にプライドが高い人は、できないことを棚に上げて周りのせいにします。私も、そんな「エリート意識」の同僚や部下をたくさん見てきました。
かくいう私自身も、高校時代は多くの先生方が不満でしたが(出来不出来というよりも、学問に対する姿勢が不満でした)、一人でも尊敬できる先生がいれば、勉強の姿勢は普遍的に学べるものです。
私は今でも、当時の
数学と日本史の先生とは文通し「最近こんな勉強をしました」と報告しています。当時の教えが今になってはじめて理解できるところも多々あります。
高松高校の教育には、いいところも悪いところもあります。だからどうこう言うのではなく、それを個性として、それをふまえた勉強方法を確立するしかないのです。今から灘や開成に転校するわけにはいきません。悩みつつもそれを乗り越える逞しさとしなやかさを、老婆心ながら切に望みます。
補習科は廃止するべきではないかな。補習科があるから「浪人して行きたい大学に!有名大学に!」と先生が言ってしまうのではなかろうか。まともな先生なら現役で合格させようとするはず。